0021村一番
2010/12/16(木) 19:13:01323 名前:OFW :02/05/23 06:09
「これらの物が表しているのは、もはやただ、それらの生産に人間労働力が支出されており、人間労働が堆積されている
ということだけである。それらに共通な、この社会的実体の結晶として、これらの物は、価値・商品価値である。」
上記は労働価値説の内容そのものであるが、ポイントは「社会的実体の結晶」という表現にある。
価値は決して自然的実体ではなく、人間が自然の中から社会を形成し、自立するための営為である労働こそが社会的
実体であり、価値はその結晶としての対象化であるということ。
「したがって、ある使用価値または財が価値をもつのは、そのうちに抽象的人間労働が対象化または物質化されている
からにほかならない。」
殆どすべての人は「ある財が価値をもつ」という表現を「ある財には価値が内在している」と同義と考えるだろうが、その途端に倒錯に陥るこ
とになる。何故なら、確かにその生産のために抽象的人間労働が支出さ
れたが故に「ある財は価値をもつ」わけだが、それは自然的な属性のよ
うに財に内在しているわけではないから。近代経済学が「価値はある主
観的なもの」と主張するのはその限り正しいが、それは決して単に主観
的なものでなく、ある客観的な存在(社会的な必要労働)の対象化であ
ることを見逃している。