『過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民
始めは事なきやうにて終(つい)にほろびざるは候はず』 御書P1190


(過去、現在の末法の法華経の行者を軽蔑したり賤(いやし)んだりする王、臣、人民は、
はじめは事がないように見えるが、必ず最後は因果の理法により滅亡の悲運に落ちないものはない)

 この信心は、功徳も大きいぶん、罰(ばち)も途方もなく大きい。

仏罰の恐ろしさ
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