革労協スレッド42
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>>795
大賀が早稲田に行ったのは解放同盟内で急激に勢力を拡大する解放派などの革命的左翼に対抗するためカクマルを利用しようとしたにすぎない。
しかもそれはこえ派としての行動ですらなかった。その証拠に彼が早稲田で講演したことを「解放新聞」をはじめとする解同系メディアは一切報じなかった。
百歩譲って大賀がカクマルを支持したとして、それが何か解放運動に影響を与えたのか?大賀はその後も中執であり続けたんだがな。
中核派が「全国連結成」で解放同盟と袂を分かち、解放派も奈良の山川戦争などで以前のような公然拠点を展開しなくなって以降、
今日に至るもカクマルは解放同盟の主催する集会には公然と参加することすらできないままだ。
80年代の末には狭山集会にこっそり忍び込み革命派がいないはずの「右派系県連」隊列にビラを配ろうとしたが「カクマルだ!」との一声で足を引っかけられて転ばされるは、
蹴り回されるは、果ては「自衛用」のコーラ瓶を取り上げられて半泣きになるなど惨めな姿を露呈したこともあったな。
しかしその反対に「カクマルが支持された」などのエピソードなど一つもないぞ! 受付前に人の輪が広がるにつれ、話もざっくばらんに
なってくる。「永井よ。今日は狭間は来るのかい?」
と聞かれ、「心配するなよ、あいつは俺が来させな
いよう計らったから」と胸を張る永井。社民的発想か
ら抜けきれず、それゆえに「革マル解体絶滅戦」と称
する謀略襲撃の追認には強い拒絶反応を示して青解派
から脱落した彼らにとって、狭間は無理論で肉体派丸
出しの学生活動家のくせに権力の謀略の追認によって
青解派の最高指導部におさまった成り上がり者でしか
なかった。 (続く) 三井一征とは懐かしい。
『我々の闘いは勝利だった』の東大時計台放送をした人だよね。
一時期は、よくテレビに出ていたね。
設計事務所かなんか、やってなかったかな。 800では、
解放派(元活)自身が、権力の謀略を解放派が追認していた、と認めているのには驚いた 権力が本当に革マル派への謀略襲撃をしていたなら、すごい権力犯罪だよな。
国会で追及すべきだし、何故当時問題にならなかったのだ? >>802
800は革マルだよ。
この物語は革マル機関紙エセ解に掲載されたものだよ。 革マル副議長の動労革マル松崎は国鉄分割民営化に率先協力し、闘いぬく国労などを解体しようとした。
動労革マルは丸ごと産報化したJR労組の官僚におさまり、JR の職制に出世し、自らがJR の労働強化のムチをふるった。
松崎は元警視総監秦野や自民党の金丸、分割民営化の張本人、三ツ塚等と交遊しパイプを作りながら、選挙でも労組として自民党を推薦した。
そんな革マルをどうして権力が襲撃するんだよ。
しかも、秦野や金丸などは革マル謀略論によれば、謀略の黒幕になっている。
どうして自らを襲撃する黒幕と革マル副議長が交遊したり、師弟になったり、選挙応援したりするのだ。
革マル謀略論なんて、完全に妄想じゃないか。 >>805
そうでしたか、やっぱり革マル派はデマ集団でしたか! >>804
『日本を暗くしているのは極左と極右だ』
By中曽根元総理 世界革命と切り離され、一国での特権官僚の権力の維持と帝国主義との馴れ合いのスターリニスト体制。
革命とは無縁のところで、一地域一職場一学園での大学当局や国家権力や経営陣との癒着で、自らの権力を維持し、他党派や闘う無党派層を弾圧して独裁体制を維持しようとする革マル・スターリニスト。
「ミニ一国社会主義」にもならないローカル権力を「永遠の今」として帝国主義者とともに安穏に維持し続けたい小ブル的階級的願望。
敵対するものは、ウジ虫とか青虫とか、階級的憎悪を煽って攻撃する。 日本を戦前のような暗黒の国にさせたいのが安倍ファシスト 中曽根の仕掛ける国鉄分割民営化にカクマルが積極的に加担したように、
大学の民営化、新自由主義化、兵営化、産軍学共同に何の抵抗もなく荷担している「拠点」校のカクマル。 >>803
>>権力が本当に革マル派への謀略襲撃をしていたなら、すごい権力犯罪だよな。
国会で追及すべきだし、何故当時問題にならなかったのだ?
国会内野党を動かして政府を追及できるだけの何の証拠も、革マル派は出せなかっただけ。 国会内野党ったて、メジロくらいしかいなかっただろ。
おまけに、メジロは三里塚に反対だったし、カクマルの
に反抗していた。 別に共産だろうと民主だろうと、何だろうと、政府を追及できる確かな権力犯罪の証拠が有れば、飛び付くはずだろう。 同和問題については、日共の考え方が最も正しい。
解同は役所と癒着して勤務実態のない同盟員に給料を払わせたり、八鹿高校事件のような
悪質な暴力事件を起こしたり、差別撤廃運動に泥を塗る行為を繰り返した。
新左翼は同和問題において、解同ではなく、日共と共闘すべきであった。 >>818
革マル批判に決まってる。
うじ虫なんて言葉、革マルしか使わんわ。 >>817
日共は狭山事件を石川氏有罪で論じており、重大な差別主義者。
部落が資本主義の発展で自然に解消するなどとして、水平社以来の部落民の主体的闘いを否定。部落解放はブルジョワジーが成し遂げてくれるとでも思っているようだ。
しかし、現実にはネットなどを通じて、部落差別はますます拡大している。
糾弾権が法務省通達によって否定されたことが、大きく悪影響を与えている。糾弾権の否定は、ヘイトデマの主張を蔓延らせる要因ともなっている。政府ブルジョワどもは、人民分断の手段として、差別意識を増長させている。
差別主義者実力糾弾を掲げる解放派には頑張って貰いたい。 >>819
生きたまま焼き殺したり包丁で刺すのは青虫だけ。 現実社会においては、差別撤廃運動は日共が目指した方向に進んでいる。
現在では、同和問題は差別問題の中心テーマではなく、多様な差別のひとつとして
位置づけられ、同和問題の大半はすでに解決したものと考えられている。
今日において残存している同和問題への偏見の多くは、解同とその同調者による粗暴な活動、
利権を漁る腐敗行為、八鹿高校事件のような明らかな犯罪行為に対する嫌悪感に由来する。
現在では、解同の影響力は小さくなり、行政が自律的に差別問題に取り組むケースが
増えている。 部落問題をめぐっての日共との対立点は、全国的には映画「橋のない川」をめぐってだ。
論点は、彼らが上映阻止闘争を「表現活動への弾圧」と批判したことに顕著に現れている。
それは今日の在特会らファシストの差別扇動をめぐる論点と同じだ。
革命派の主張は一貫している。「差別する自由など認めない」の一点だ。
ただ当時の上映阻止闘争は「権力による表現弾圧」を警戒し、上映阻止を掲げるが、会場に対し「貸すな」と圧力を加えなかった点だ。
その意味において今日の在特との闘いは一定の問題をはらむと言わざるを得ない。
しかし当時の日共の主張の過ちは明白だろう。 何をもって差別とするかは必ずしも明確ではない。当時、この「橋のない川」の上映阻止
運動に参加していた灘本昌久氏は、この運動に参加したことは思い込みに基づく誤りで
あり、そんな誤りを犯したことを恥じ入るばかりであると反省している。
差別と表現をめぐる原理原則からも逸脱していたとも述べている。
運動に参加していた人でさえ、このような意見もある。
作品の評価は、作品を鑑賞した人が自分でするしかない。
解同や党派が恣意的に差別と断定して表現弾圧したことこそ誤りである。
このような独善的な態度が差別撤廃運動の評価を低下させ、今ではほとんど支持されない
原因となった。 >>827
灘本の主張に普遍性があるならわずかなりとも賛同する声が出たはずだが、皆無だったな。
「ちびくろサンボは差別でない」などと突然主張し始めたレベルなら、根拠が曖昧な差別規定が横行していた解放運動への警鐘となりえたが、さすがに「橋のない川」に関する彼の主張には彼の仲間から誰1人の賛同者が現れなかった。
結果それ以降彼は部落解放運動から離れた。
そのレベルの主張をあたかも普遍性があるかに持ち出されてもな、 「橋のない川」は原作者の住井すゑ氏も映画の内容には批判的だったが、上映自体には
賛成であり、むしろ「差別映画」と騒ぎ立てる人に批判的であった。
その後、DVD化して流通しており、解同や党派の批判とは対照的に、一般の視聴者には
鑑賞され、差別撤廃の啓発に貢献した作品であった。 (承前)
青解派の一時代を築いたという下らぬ自負だけは残し
ている彼らにとっては狭間という男は、青解派内での
出世のために「宗派革マル」との「戦争」に突っ込み
、それを敗北に陥れ青解派をだめにした輩として、憎
悪と侮蔑の対象なのだ。その狭間が「墓前祭」に来る
くらいなら今すぐにでも帰ると言わんばかりの旧青解
派の徒輩にたいして、永井は−それを監視している我
々の目を全く気にもとめずに−彼らと同じ感覚で、あ
たかも、自分がチンピラ・スパイの狭間をコントロー
ル下においているかのような口ぶりで対応する。 そればかりではない。「向こうの門で萩野[現代派幹
部、ニコニコ鉄パイプ男]が高見(圭二:滝口派)と
福島(喜久満)を追い返していたぞ。せっかく線香上げに
来たんだから参加させたっていいじゃないか、なあ永井
よ」という声に永井は大きな声で「萩野は狭間の操り人
形なんだよ。あとで叱っておくよ。高見さんと福島さん
には謝らなくちゃいかんな」とすまなそうな顔をして、
自己の”監督不行き届き”として一同に平謝りし、おど
けてみせる。 この日、狭間派の官僚・萩野と河野繁芳(元青解派「全
学連委員長・藤本陽一)と谷口俊二(弾対部)の三人は
来るであろう滝口派のメンバーを「墓前祭」に参加させ
ないために墓園入り口で阻止線を張る”任務”について
いた。彼らは自分たちの指導部である永井のこの日の思
惑をうすうす知りつつ、しかし頭目・挾間の意を受けて
行動したのだ。これに対して永井は、狭間派中央指導部
としての立場から、「現代社」のチビ青虫が、滝口派の
メンバーの参加を阻止するための任務につくことを実質
的に容認しつつ、だがそうした狭間派のしがらみのなか
で自らの目的を貫徹しようとしたのである。 すなわち永井は「墓前祭」に滝口派の青虫を引き入れる
ために、中原の妻である多○子を「墓前祭」の「主催者」
に押し立てたのだ。日頃、滝口派の青虫と親交がある彼
女を「主催者」にたてることによって、永井は狭間派最
高指導部としては決して呼びかけるわけにはいかない
「墓前祭」への滝口派のメンバーの参加を、彼女に呼び
かけさせたのだ。実際笠原多○子は、滝口派のメンバー
を招き入れるために、自分の娘が焼いた献花用の壺を滝
口派のチビ官に預け、それを大義名分として彼らを壺と
ともに招き入れようとしたのであった。(実際はこれら
も萩野らに阻止され、引き返さざるを得なかった)
(続く) >>832
DVD 化し流通しているものは、後に解放同盟が撮りなおしたものだろう。
差別的な表現が改められている。 >>836
この「物語」は革マル機関紙エセ解に掲載されたものだ。
あちこちでコピペに戸惑ったらしく、変な改行だらけですね。
慌てんなよ‼ >>827
>>何をもって差別とするかは必ずしも明確ではない。
歴史的に多くの事例もあり、闘争の歴史もあり、明確でないことはない。何よりも差別を受け続けてきた被害者側の感覚を第一とすることは当然である。
明確でないなどと言うのは、差別者が居直るための言い逃れである。
差別者に対して糾弾することは、正当である。部落解放同盟も「部落解放運動における糾弾とは、抗議であるとともに差別をした人に差別の間違いをさとらせ、部落の解放をめざす人間に変わっていくことを求める闘いであり、それは教育活動でもある」としている。
>>運動に参加していた人でさえ、このような意見もある。
単にその個人の見解でしかない。
>>このような独善的な態度が差別撤廃運動の評価を低下させ、今ではほとんど支持されない原因となった。
何ら独善ではない。差別撤廃運動の評価は低下していないし、ほとんど支持されないなどと言うのは、日共や差別者側からのデマである。
世の中全体が右傾化、ファシズム化し、反動政府が敵対していることも有って困難なところも有るが。 >>827
犯罪を犯した側が、「ゴーマンかましてよかですか」とか、居直っているだけ。良いわけないだろ。
交通事故を起こして相手を傷つけておきながら、いけしやーしゃーと、ゴーマンかましてよかですかとか、騒いでいるようなもの。
そんな輩の目を醒まさせるためにも、差別糾弾は正当である。もちろん事実確認はキッチリやる必要はある。 1979年、町田曹洞宗宗務総長が「日本に部落問題はない」「百年ほど前にあったことで今はない」「部落問題を理由にしてさわぐ一部の人がいるだけ」などと差別発言をして、部落解放同盟から糾弾を受けた。
それを契機に曹洞宗は組織として部落差別克服に取り組むことになった。差別戒名や墓石の差別的表記なども明らかになった。
厳しい糾弾を受けることで、はじめて理解できたのだ。それを、「何が差別か明確でない」などと誤魔化して逃げていたら、その人物は永遠に迷いの世界だろう。 麻生太郎が、自民党の派閥の会合で、野中広務氏を念頭に「野中のような部落出身者を日本の総理にできないわな」などと差別発言をしたとされる問題で、部落解放同盟は当然ながら事実確認の上で、徹底糾弾するべきであった。
しかし、何故か曖昧なまま立ち消えとなってしまった。解同中央が何らかの条件で手打ちしたと言われた。
徹底糾弾しておれば、その後の麻生の「ナチスの手口」発言をはじめとして、数々の暴言はなかったかも知れない。 不平不満を言いまくると「脳が物理的に変わる」と科学的に判明! 愚痴を言うだけで「深刻なリスク」 - TOCANA https://b.hatena.ne.jp/entry/s/tocana.jp/2020/01/post_139975_entry.html
左翼の奴らって幹部が金儲けのために
不平不満を子分に焚きつけてるのが
わかってないんだよな〜
お前らの脳がおかしくなってるんだと >>839
つう事は青さんの中に革マルへの内通者が
いたっていう事ですね。 >>848
物語ってことはフィクション=嘘ですね。 スパイの方が多かったりして。。。。
だから権力の謀略を追認するわけだ(笑) 文春砲を思い出した。
最初チョロだしして、当該がムキになって否定すると、
次号で更に決定的なものが掲載される。
さあ、次に何が出てくるのかなあ。 >>855
次も何も10年以上前にエセ解放に掲載されてるやないか。 >>854
すると、この「物語」は権力のスパイから革マルが情報を得て描き出したのだな。 より正確には、この「物語」は権力のスパイ宗派である革マルが情報を得て妄想を膨らませて描き出したものだ >>856
じゃあ、次に何が出てくるんだい。
言ってくんないか。 >>856
なんかおかしくねえか、10年以上前?
10年前は2010年だぞ。
1987年のことだから、それから22年もたって書かれたってか。
30年以上前だったらわかるが、認知入っているのか? >>861
じいさんいじめないでください。
70過ぎると10年前も30年前も区別つかなくなります。
そもそも認知症の人間に「認知症じゃないの」と言って
も、自覚ないんだから逆ギレされるって経験上わかりませんか? >>818
いや、確かに
「革マル派は」を「中核派は」に
「ウジ虫」を「カクマル」に書き換えれば
実際のところは充分に当てはまる文章かもしれませんね >>861
何云ってんだ、おまえ、20年前だろうが、30年前だろうが、10年以上前じゃないか。
日本語大丈夫か? やっぱりな、20年前だろうが、30年前だろうが、10年以上前って
くくりでテキトーに表現するしかなくなっているんだな、結構進行
しているな、オマエの病状。 >>865
a=20 a>10
b=30 b>10
簡単な算数もわからんバカ >>836
(承前)
ところで永井が輪の中心でほおを緩めているのとは対照
的に、その外側で手持ち無沙汰に墓の周りの雑草をむし
っていたのが八十島義道・平林公一・萩原孝次といった
「現代社」のチビ官どもであった。ふだん権力の謀略を
追認することしかしておらず、それゆえに胸をはるもの
をもたない彼らは、かつては自分より目上の「オールド
解放派」と呼ばれる彼らから何を言われるか戦々恐々と
して、話の輪に入っていけないでいたのだ。 実質的な主催者である永井が、にもかかわらず青解派から
の脱落者達に取り囲まれ、彼らとの歓談に興ずることによ
り、「墓前祭」は予定時刻を大幅に超えて。12時20分
になってようやく開催された。まず一人ずつ献花したのち
に、笠原とは家族ぐるみの付き合いがある高尾威広の司会
で集会は始まった。最初に笠原の父親のあいさつ。これに
つづいて笠原の妻・多○子が「主催者あいさつ」にたった。
子供の成長を報告する彼女の発言が終わりにさしかかった時、
会場に緊張した空気がはりつめた。彼女が「墓前祭」に参加
しようとした滝口派のメンバーを排除した狭間派の行動を、
涙ながらに弾劾したからだ。 「今日、私の親しい友人が、ある人たちに妨害され引き返さ
ざるをえませんでした。残念でなりません!」と。参加者の
冷たい視線がいっせいに狭間派のチビ官に注がれる。オドオ
ドした表情で上目遣いに周りをみる八十島。顔を真っ赤にし
てうつむく平林。そのうしろで彼らに隠れるように小さくな
っている萩原。だが一人永井だけは、あたかも自分はそれと
は無関係であるかのように涼しい顔で、いやむしろ他の参列
者とともに蔑むような眼差しを八十島達に向けているのだ。
(続く) >>865
以上って云う日本語の意味知らんのか?
頭空っぽやな。 >>870
変な改行が改善されてないな。
どんなコピペしてんだよ。
こんだけ時間かけて、直せないとはな。 >>870
この物語で、現在の解放派が傷つくのか?
狭間らとは、とっくに決別しているのに。
まして、オールド解放派や全協の連中なんて現実の階級闘争に何の関係も無い。 ピンさんをたたえても、奥さんが出てこないというのはこういうことだったんだな。
本多延嘉氏の奥さんも、その後全く表場面には登場しないのも、すっかり旦那の組織が
いやになったんだろうな。 >>875
いつもお疲れ様です。
自分もいちいち反論したいんですが、仕事で疲れて古い機関紙を引っ張り出す元気がないんです。
いつも貴方の書き込みには勇気づけられています。陰ながら応援させて下さい。
オールド解放派より。 >>877
オマエのようなオールド解放派の連中なんて現実の階級闘
争に何の関係も無いって言われてるんだぞw
どんだけマゾなんだよwww >>878
Gresham's Law(bad money drives out good)の駄洒落だね。 >>872
は差別的発言
直ちに自己批判を要求する(ノ`△´)ノ >>873
いや、でも、いっぺんにアップされても
読む側としても疲れるので
毎日、これくらいのペースでアップしてもらった方が楽だし
長く楽しめていいような…((o(^-^)o)) う?1987年のお話ならば
今から33年前なのでは?
と思ったら…
すでに
>>861
さんが先につっこみを入れていたw
まあ、10年前でも30年前でも
どっちでもいいので
毎日の連載を
楽しみにしておりますです(^_-) 現代社は1月下旬になっても2020年の「闘春」すらネットの全学連サイトに出していないけど大丈夫だろうか?
現代社「シンパ」の「横浜生活保護利用者の会」の坂東君も消耗・脱落しちまったのかな?
ところで水面下で赤砦社と連絡を取り合って解放派本流の赤砦に戻りたいという現代社の現役メンバーもいるんじゃないか? もはや現代社には「裏切り者」をテロる力量もなさそうだし… 「今度(襲撃に)来たら死人の山となる」と白旗あげたくせによく言うよ >>888
まあ、謹慎憎悪というのは
なかなか根深いので
それはあり得ないのでは?! >>875
>まして、オールド解放派や全協の連中なんて現実の階級闘争に何の関係も無い。
赤砦が現実の階級闘争と関係があるのか? 『人間は天使になろうとすると獣になる』
By松崎明 ブントは諸分派で仲良く同窓会を開催して旧赤軍、旧12.18系、旧マル戦、旧叛旗が仲良く同席して酒を酌み交わしてるぞ
革共同や社青同が同窓会をしたらどういう招待党派メンバーになるのかね?
四トロは革共同と社青同の同窓会に臆面もなく出席しそうだな… 革共同両派が同席したら、お互いに「チッ」と舌打ちして
目を合わせないようにして、自派の古株同士で話し合う。
革マル派と解放派が同席したら、奥の方で殴り合いが始まる。 昔は敵対して戦ったが、互いの健闘をたたえて和睦することも大切だよ
仲裁人を立てて、手打ち盃を交わしてはどうか?
親分衆の中には、この手の儀式に詳しい人がいるから、相談してみるといい ヤクザじゃないんだから(ヤクザより低劣だから)
革共同三派や解放派諸派の同窓会なんて不可能です >>870
(承前)
「墓前祭」はその後、永井が企画した通りに運ばれた。
「文化人あいさつ」、そして「革労協代表あいさつ」
「解放派労働者あいさつ」とつづいたのである。一見狭間派
集会と見紛うこの議事次第も、だがその発言者はすべて永井
の人脈につながる面々なのだ。わが同志金築・清水虐殺事件
で権力に逮捕された永井の「救援運動」なるものにかかわっ
ていた非文化的「文化人」稲田健四。狭間派内では最後の解
放派創成以来の生き残り官僚であり、最高指導部内で狭間を
「軍事一辺倒主義」と嫌い、永井をバックアップするサンデ
ィカリスト・樋口圭之介(「革労協総務委員会議長」)。そし
て東大時代に永井が青解派にオルグし、当時は狭間派神奈川組
織キャップであった根本信一。(樋口と根本はのちに永井派結成
の中心人物として立ち現れた) 永井は「墓前祭」を、そこに参集した青解派の脱落者達・さら
には滝口派との融合の場とするために、自分と人脈的・イデオ
ロギー的につながりの深い二人をおのおの「革労協代表」(樋口)
「中原氏の指導を受けた解放派労働者代表」(根本)としてあい
さつに立たせたのである。実際、緊張の面持ちで発言に立った樋
口は、先の中原の妻による発言をうけて、「当然出席すべき人び
とを出席させない行為を遺憾に思います。慚愧の念に堪えません」
と「革労協代表」として「自己批判」したのである。それがわ
が同盟の監視下で開かれている集会であることを知ってか知ら
でか、樋口=永井は公然と狭間派の行動を批判したのである。
この発言には会場は大きくざわめき、少し間を置いて拍手が
起こった。ところが「現代社」のチビ官青虫はびっくりして、
しばらく口をあんぐりさせたままだった。 樋口=永井は、滝口派のメンバーの参加を阻止した狭間派の
チビ官どもの行動の責任を狭間になすりつけるために、あえて
この場でわび言を述べたのである。「墓前祭」の最後に永井
がしゃしゃりでて「昼食会」を呼びかけた。かたわらで黙々
と後片付けをする八十島を尻目に、永井は、一同をチャータ
ーしたバスまで引率する。このバスに乗車する直前に、青解
派からの脱落者たちがあらためて永井や樋口に握手を求めて
くる。「樋口さん、見直しましたよ」「永井氏よ、もう一度
解放派を蘇らせてくれ」「そのときはオレも一肌脱ぐぜ」と。
…
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