様々な場所で見掛ける「死ぬ死ぬ」発言も、「去る去る」発言も、
その言動の根っこにあるものは同じなんじゃないかと思う。

「自分の価値が認められていない。不当に低く評価されている」
と、その言動に至るまでに本人は恒常的に感じていて、
普段はなんとかその評価を上げようと、認められようと、前向きに頑張っているのだけれど、
頑張っても頑張っても自分が満足するような評価を得るに至らない。

そんな風に、常に内心に不満を抱えている状態であるから、
ほかの人ならスルー出来るような煽り言葉も、敏感にキャッチしてしまい、
「こんなに頑張っているのに、なんで」と、余計に不満と苛立ちを蓄積させてしまう。

そして、ある日、傍目にはさほど大きなこととも思えないきっかけにより、
不満が閾値を突破し、爆発。

「もういい。頑張らない。何をしても無駄」から、「死ぬ死ぬ、去る去る」発言に至る。


上のような言動に至りやすい人々とは逆に、
他人に何を言われようとも、「ああそう」とスルー出来、
気分のむらが少なく、「死ぬ死ぬ、去る去る」発言に至らない人々は、
普段からそんなに「他人により認められたい、より高く評価されたい」
と願っているようには感じられず、従って「頑張っている」感や、自己顕示欲が、控え目であるように映る。

つまり、他者の評価ではなく、基本的には自己評価を心の軸に置いているように映る。

さらに、他者からの評価を心の軸に置いている人々は、
自分以外の人間が、他者から高く評価されることにも、
比較的敏感であるように感じられる。

自分以外の人間が、周りから高く評価されているのを目の当たりにした際、
あたかも自分の評価が下げられたかのように感じ、
密かに傷付き、内心の不満を募らせる場合があるように映るのだ。

そのような不満は、捌け口を求め、高い評価を受けた人間への攻撃や、
あるいは、自分を高く評価しなかった人間への攻撃へ、向かっている場合があるように見受けられる。

評価の軸を、自分自身の内に置き、他者からの意見については、
謙虚に耳を傾けはしても、それを全部一度に取り入れようと無理をするようなことはせず、
良い方向を模索中の、未熟な自分もそれなりに評価してあげることが、
常に自分や周りに不満を感じながら場にいる不幸を解決する、近道ではないかと思う。

そして、場に集う人間が一人でも多くそうなればなるほどに、
場自体も自然に発展・拡大してゆくだろうと感じる。