文章として成立はするだろうけどね。
しかしその滲み出る猟奇的人格は自身が書いている文章と激しく解離し、
こいつの良性も、相手の悪性も示す論拠には到底なりえない。

むしろその猟奇的性質こそ、事実は逆であろうと推察される根拠である。