【社会人】アナタの好きな人ってどんな人?3638人目
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/==丶
lノリノハ )))より愛をこめて…
⊂ヽノノリ´Д`ノリ/⊃
ヽ /
( ヽノ
し(_) >>100>>102
成分献血で出来る影武者だと困るし、
簡単にそんな事したら、
そんな女性だと思われるでしょ?
あなたの影武者や、ソックリさん、
わざと似せたり、寄せて来る人が多すぎw
しかも、今は耳タグ付いてる、お面さんいるし
私のソックリさんも多いらしいし、
経団連、霞が関の爺さん、親父さん連中が、
電通にリクエストするらしくて、ゲッソリよ
それに妙にムキムキで、チープな黒Tなんで、
別人かと思ったんだから
本物さんだったら、ごめんなさいね
路上って、いくら、閑散としてても、何かね >>104
???
3、4年前から、
既にショートヘアじゃないので、
別人28号かもしれないですね 昔はまっすぐで艶やかだったのに…
今や加齢ウェーブな髪 >>103
\.:: /
\) ((/ ,、./ /
| | ./ ./
| |./ /||
|:.... // / ¨>、
|. ((/ 厶/死刑ゝ 死ねやボツリヌス菌ゆみこ♪
|:.. .| ノリ ^ヮ^ハ
|:.. .| ミミミミミミミミ
|::... .| ミミミミミミ
|::......| ミミミミ
|::......|
ノ ハ ノ ハ
"""""""~~~~~~~~~~~~~~ ひと目で人間性腐った創価学会員と分かる、異様な雰囲気、ゆがんだ意地悪顔の鬼みたいな顔のウチナーグチ、テルヤ、
嫉妬人むき出しの小太り52才、独身。
金は欲しいが仕事はしたくない矛盾したやつ 創価学会の教義の矛盾点を教えてください。
ベストアンサーに選ばれた回答
日蓮聖人を信じながら、日蓮正宗を批判し、平和という言葉を多用しながら、創価新聞に「仏敵がのたれ死ぬまで攻め抜け」と書いて敵対者を追い込むようなことをする。福祉、平和、平等と綺麗な言葉を並べながら、実際は、脱会者、批判者、創価信者とトラブルになった人たちをつけまわし、デマを流し、中傷ビラをばらまき、盗聴などの悪行を繰り返している。 https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b553076722
↑↑↑↑この処女になりすました激臭ウンコ顔老婆yoyototo08うんこブリブリ婆ア孝代は、小宇根俊興放火殺人狂に焼き殺された >>108
むしろ昔の方がストパーや矯正をかけてた可能性もありますよ
マジレスするとホルモンやストレスで髪質は簡単に変わります 頭の悪い女に惚れたお陰で
人生が目茶苦茶になった
責任取りやがれ! 電話をすると電話料金がかかっちゃうから電話しないほうがいいデス妖☆
_(:3 」∠)_ブゥポポポポポポポポ♪ >>143
滅茶苦茶だね
これから、もっと後悔するよ >>143
訴訟起こすべき
>>146
それお前だよ、新妻ブス美 タイタニックのディカプリオより
19歳のオレは美しかったよ >>143
自己責任だろ
どんなことでも自分に責任があるんだよ
人のせいだけにするのはあかん >>155
わいは視線を感じて後ろ見たらゴキがおったわw いや…
後悔なんて全くしてないんじゃない?
アホらし。 ■日本を操る「隠された支配構造」■
<著者プロフィール>
国際派ジャーナリスト・危機管理コンサルタント
丸谷元人(まるたに はじめ)
〇過去500年間 欧米諸国が使う植民地統治手法
皆さん、こんばんは。今月もわざわざお越しいただきましてありがとうございます。丸谷でございます。
今日は今までと少し違いまして、ちょっと歴史的なことをお話ししてまいりたいと思っております。
中でも今日題にいたしましたのは、「分断統治の構?」ということで、実は日本が封じ込められてきたのではないかと
いう観点からお話ししたいと思いますので、100分程度、皆さまにお付き合いいただきたいと思っております。
まず、まさに昨今、朝鮮半島、韓国がえらくもめております。
分断の歴史というか、朝鮮半島38度線で分かれてからずっと軍事政権であった韓国がようやく民政に移管したとはいえ、
まだまだ民主国家とはいえないような状況が続いております。
南北、北朝鮮の状況もまさに日本の周辺で起こっている分断の現在進行形ということですけれども、分断して統治する
という手法、これは実は過去500年間、世界各地で植民地を作り、異民族を支配してきた欧米諸国が得意とする手法であります。
私自身、彼らが何でこういう手法を思いついたのだろうかということを考えながら少しご説明していきたいと思います。
こういう分断統治法というのは非常に有効でありまして、例えば戦略的に重要であり、あるいは魅力的な資源を有する
国や集団を統治する際によく使用されてきたということなのですが、その戦略の根本は、支配される側の結束を分断するということであります。
例えばインドのケースでいきますと、人種、そしてイスラム教、ヒンドゥー教のような宗教、それからインドでもいろい
ろな人種・民族等が地域によって違うわけですが、地域の差異で分割した集団を互いに反目させるということです。
インドの場合、特にカーストというものがあります。
カースト制度は現代でも非常に厳しいものがございます。
インドのカースト制度を感じさせる場面に遭遇された、という方おられますか。
見たことがある、「インド人、実は結構やるな」という方はおられますかね。
私はインドにある子会社でセキュリティをやっていたときに、インドの会社とも関係してやっていたのですが、「年末
にパーティーをやりましょう」、例えば「同じ管理部門の中でパーティーに行きましょう、食事行きましょう」と誘わ
れることがあります。そうすると喜ぶ人はわーっと喜ぶのですが、「行かない」という人たちもいるわけなのですね。
なぜか、別に家で忙しいわけでもなければ、奥さんに怒られるわけでもないのです。
実は、行こう、行こう、と言ってる人たちが自分よりもカーストが上なのですね。それで、「行かない」となります。
もしわれわれが、「そんなバカなことを言わないで、一緒に行こうじゃないか」と言うと、今度は上のカーストとされる
人が、「何であいつら呼ぶんだ、冗談じゃない」ということを言い出すのです。
結構穏やかな人たちだったのですが、そういうときにその人たちの中でも、実はかなりそういうことがあるのだなということを感じました。 実際の仕事をしていても感じますし、みんなで行こうと言ったときに、何人かが抜けてしまったりということは、大体カーストが問題である場合が多いのですね。
それをイギリスは非常にうまく利用して、数百年インドを統治してきたのです。
一方インドネシアのケース、インドネシアはオランダが300年以上統治をしたわけですが、インドネシアの場合はむし
ろ地域ごとといいますか、そこもやはりスマトラ島とかジャワ島とかでいろんな人種・民族や言葉があるわけですけれども、彼らはあえて合体させませんでした。
インドネシアも、中国なんかも、今でも一部そういう地域があると思いますが、山を1つ越えると言葉が通じなくなってしまうということがよくありました。
そして、オランダはインドネシアの統治をする上でもこういう人たちを一緒にさせなかった、つまり共通語も作らなければ、全く相互の交流をさせなかったということです。
一方、オランダ人と現地人のハーフの人たちに、ちょっと良い待遇をして、それで自分たちの駒として使うのです。
すると彼らも半分白人の血が入っているものですから、自分たちの方が上だという意識があって、それで互いに反目し合うということですね。
マレーシアのケースも全く同じです。マレーシアはイギリスが支配したわけです。
そこにはもともと土着のマレー人がいたのですが、そこに華僑と印僑を入れました。
それで華僑は商売、印僑には金融に携わらせまして、それで互いにけんかをさせるのです。
そして三者で交じり合ってけんかをしてどうしようもなくなったら、最後には白人のマスターに、「マスター、マスタ
ー、何とかしてください」というふうに大岡裁きを頼みに来させるという統治の方法であります。
統治の方法といっても、特にイギリスのやり方というのは非常にうまかったのだなと思うのですが、今日もこの影響というのは残っております。
マレーシアの場合は1960年代に、マレーシアのナショナリズムが勃興して、マレーシア人であれば、例えば選挙だとか
何とかいろんな場合、教育だとかも優遇されるという、いわゆる逆差別的なものを導入して、今日もまだそれが続いており、問題になっています。
ルワンダのケースなどもそうです。
ルワンダはベルギーにずっと植民地にされてきたわけですが、ベルギーはツチ族とフツ族の対立というものをものすごく扇動しました。
その結果、94年くらいだったと思いますが、ルワンダの虐殺事件があったと思います。
それは本当に80万人くらい殺されたという話もありますけれども、これは詰まるところ、ここのツチ族とフツ族の分断
支配の結果として残された対立なのですね。そしてそれをベルギーがあおってやったのです。
ちょっと私も失念しましたが、ツチ族かフツ族かどちらかだったと思いますが、片方の部族が実はものすごい残虐行為
をしてると、だからあいつらをやっつけろというふうに、片方の部族の側についてニセ情報を流したのがベルギー人のラジオの司会者だったというふうにも言われております。
裏でこういうふうなことをいろいろとやっているのだなということが今日でも続いている、わずか20数年前でも続いているということです。
南太平洋の方ではフィジーです。
フィジーはやはり、地元の南太平洋系の人々がおられたのですが、そこに印僑が入ってきて、今でもクーデターが起きたりして、地元の人たちが権力を取り返そうとしたりしています。
これは私の個人的な結論ですが、実は学生時代にお付き合いしていた方が、たまたまオーストラリアの田舎の農場出身の方で、農場の方に何度か行ったことがあります。 それで、お父さんのお手伝いをさせていただきました。そのときに非常に牧羊犬を使ってうまくやるわけです。
何百頭という羊を分けていき、そして分けて、ひとつの方向に入れて行くわけですけれども、若い羊はしっぽがまだ垂れています。
そのしっぽが垂れたまま、つけたままにしておくと、今度は自分の糞とかがついて、それがだんだん雑菌とかそういうも
のになって、体に病気が感染してしまう恐れがあります。そこで、そのしっぽを切り落とすという作業を私もやりました。
では切り落とすのにどうするのかというと、羊を細い通路に入れて、そこに板を入れて抑え込んでおき、お尻に強力なゴムを何度も巻いて、その周りに消毒剤をちょろっとやるだけなのです。
それで多分、何週間かでしっぽがぽろりと落ちていってしまうということなのですが、そのときにあの広い農場でどうやっ
てあれをやるのだろうと思っていましたら、やはり犬を使ってばーっと追い込んでいくのです。これを見たときに、あっと思ったのです。
私がそもそもオーストラリアに留学した最大の原因の1つは、「何でアングロサクソンは世界中でこんなに強いんだろうな、それを知りたいな」と思ったことで、それで行ったのです。
こうやっていわゆる他民族を統治するというのは、こういう牧場のやり方から学んだのだろうなと思うのです。
つまり、犬は完全に人間に忠実ですし、しかし一方で家畜に対してものすごく強力に攻撃するわけです。
たまに逆らうやつもいますけれども、基本的に家畜はその牧羊犬に逆らうこともできないのです。
それで気が付けば数十分で、羊たちが牧場のあちこちから追い立てられて、それで1つの通路に入っていって、どんどんしっぽを切られていくのです。
羊たちもそれに慣れてしまっていて、慣れてるものはワンワンと言っただけで、わーっと集まってくるというような形になっていきます。
おそらくこの手法を人間に使っているのだろうなというのが、私が向こうにいて感じたことの1つでありました。
この分断統治では、シェパードといいますか、牧羊犬を育てるということは非常に重要です。
自分たちがわざわざ行ってやることほど、バカなことはないのです。
一方で日本軍がなぜ失敗したのかと、私はイギリス人のやり方を見ながら考えたのです。
日本は東南アジアの統治があまりうまくできなかったし、フィリピンなんかでもうまくいきませんでした。
インドネシアでも、非常に親日ではあるのですけれども、恨みを買っているところもあります。
なぜかなと話を聞くと、日本人がすぐひっぱたくとかそういうこともあるのですが、一方で彼らは宗教があるのに、ど
こにでもいるのですが、日本の頭の固い軍人がいばりくさって、「頭を下げろ」とか「神社を何とかしろ」とか、いちいち、いちいち教育をしているわけです。
そういうのは労を多くして、あまり効果がないのです。自分1人で教えていってはダメなのですね。
でも日本人はある意味良くも悪くも教育に対して非常に真面目なので、どうしても一生懸命教えます。
良いことも悪いことも一生懸命教えるわけですね。
一方イギリス人とかあちらの方は牧羊犬を作り上げてしまうのです。自分たちは何もやる必要がないのです。
分断統治して、階級を分けて、下のやつにさらにその下のやつを統治させるという方式をやります。
例えばインドの陸軍士官学校を出ると、昔は25、6才でインドのへき地に派遣されて、そこで10万人から20万人くらいの街を、27、8才の白人が1人で支配するわけなのです。
そういうのは効率的な人間の心理と習性というものを理解しなければできない技なのですけれども、日本人には多分それはできないと思います。 日本人はどうしても自分で畑を耕してしまいたい方なので、物を作って直してしまいたい方なのですけれども、向こうの人はそういうのを全部ほかにやらせるのです。
今、欧米でやっているビジネスなどを見てもそうだと思います。
嫌な仕事、きつい仕事はみんなほかにやらせるのです。
そして、いかに安く買いたたいて互いに競争させるか、そして自分はいかにしてそれに付加価値というものをつけて、それで暴利をむさぼるかなのです。
きつい仕事、汗をかく仕事は、みんな大体安いところ、賃金の低いところにやらせます。
「お前がこれをうまくやらないなら、文句があるなら違うところに行くよ」と言って互いに競争させるのです。
これが非常にうまいなと思いますね。
これはまさに牧羊犬を作るという欧米の思想です。
もしくは自分たちの都合の良い思想を語る象徴的な人間をリクルートして、教育支援をしていくということなのですね。
これは日本のジャーナリストやマスコミの人なんかも多分されていると思います。
優秀な人はアメリカに留学したりとか、向こうの支局に勤めて、いろんな偉い人に会わせてもらうと、自分が国際政治の中心にいるような気になるわけです。
向こうからしたら、単なる牧羊犬にえさをあげるだけなのですけれども、こちらは一生懸命しっぽを振って、今度帰ってくると、
忠犬ハチ公みたいだったやつが偉そうにふんぞりかえって、「俺はワシントンで誰々と」なんていう話が始まってしまうのです。
そうすると私たちはワシントンも行ったことがないわけですから、「ああ、さようでございますか」となります。
そこで、「共和党の何とか議員に会ったのだ」という話になると、「へへー」となってしまいます。
まさにうまく統治されているなという感じがするわけなのですけれども、本当に日本にはこういうタイプの人が非常に多いと思います。
私も、本当にある人から「あなたはなぜアメリカの大学行かなかったのだ、何でオーストラリアなんかに行ったのだ。
アメリカ行ったら、政界にもっとつながりがあってね」と言われました。そういうのが嫌だからオーストラリアに行ったのです。
本当にイヤだったのですよ。
そんな所に入って飼いならされるくらいだったら、留学する意味がないと思ったのです。
「アイビー・リーグの端くれでもいいから入っておけばよかったのに」と言われましたけれども、こちらはそんなものはとんでもないと思っていたのです。
結構みんなそういうのを目指してオックスフォードに行きます、みんな名前とかそういうのを得たいわけです。
軍隊なども、アメリカ軍などもよく交換留学生を入れますが、大体アメリカのすごいところは、中国軍から若手の将校を沢山留学させるのですね。
そうやってパイプを作っておいて、いざというときにうまい具合に駒として配置していくということなんですね。
残念ながら日本ではまだまだ田舎者といいますか、反省を込めて、自省を込めて言いますが、非常に田舎者なので、そこら辺がやっぱり見えてこないのです。
後でも少し出てきますが、キッシンジャーが周恩来と1971年に会談したときに、「中国人は伝統的に国際的な、世界
的な視野を持っているが、日本人は部族的な視野しか持っていない」と言ったのですね。
私は最初これを読んだときにカチンときたのですけれども、よくよく考えたらある意味そうかもしれないなと思いました。
中国人が世界的な視野を持ってるかどうかは別として、日本人というのはどうしても日本国内の中でものを判断してしまうんですね。
メディアもそこから切り離してわれわれに教えるので、そういう意味ではそういう見方をされているのは事実ですし、
そういうところもあるかもしれないというふうには思います。
〇アウンサン スーチー、マララ、ブット首相…植民地支配のために作り上げられたアイドルたち東京都知事は利用された? 欧米白人による植民地統治の常套手段である分断統治
■戦後のGHQに始まりアメリカ(国際金融資本、軍産複合体などのディープステート)、政界、マスゴミ、支那共産党、在日朝鮮人、南北朝鮮による反日包囲網の実態
経歴を見ても明らかにアメリカを支配するディープステートの代理人だった大韓民国の初代大統領の李承晩。
彼は1941年に日本の対米宣戦を予告してるわけで、当時、日本をどうやって戦争に引きずり込むか
戦略練っていたことが明らかになっているルーズベルト、マーシャル、スティムソンなどのアメリカ政府中枢の情報を知っていたわけです。
李承晩 大韓民国の初代大統領(在任1948年 - 1960年)
1907年(明治40年) - ジョージ・ワシントン大学で学士号取得。
1908年(明治41年) - ハーバード大学卒で修士号取得
1910年(明治43年) - プリンストン大学で政治学博士号取得。博士論文は「アメリカの影響を受けた永世中立論」。この年、帰国する。
1911年(明治44年) - アメリカに亡命。
1913年(大正2年) - ハワイに定住。
1919年(大正8年) - 中華民国の上海で大韓民国臨時政府樹立。李承晩によってワシントンD.C.に欧米委員部設立。
1933年(昭和8年) - 満州事変を討議する国際連盟総会に大韓民国臨時政府全権代表として出席。
1934年(昭和9年) - オーストリア人のフランチェスカ・ドナーと結婚。
1941年 -『日本の内幕記』を著す。日本の対米宣戦を予告。
1945年(昭和20年)10月 - 日本の降伏と朝鮮解放に伴い、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁直接統治下の朝鮮半島に帰還。
1948年(昭和23年)8月13日 - 朝鮮半島南部単独で大韓民国建国。初代大統領に就任。
1948年(昭和23年)10月 - 連合国軍占領下の日本を非公式訪問(ダグラス・マッカーサーGHQ司令官などとの会談のため)
1956年(昭和31年)5月15日 - 大統領に3選。副大統領には野党の張勉が当選。
1960年(昭和35年) - 3月15日 大統領選挙。不正選挙が問題となり野党や国民の批判が公然化。
1960年(昭和35年)4月19日 - 不正選挙を糾弾するデモ隊と警官隊が衝突。死者186人。4月26日に下野を表明し、5月29日にハワイへ亡命(四月革命)
1965年(昭和40年)7月19日 - 亡命先のハワイにて90歳で客死。
李承晩 大韓民国の初代大統領(在任1948年 - 1960年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9 僕の大好きな人。
聡明で機転が効いて、相手の気持ちを思いやれる人。
ワンピースエプロンがきっと似合う人。 再会時、カッコつけてた人
通常時よりさらにカッコ良くて腹が立った人 愛してると、心の底から言える
唯一の人。
なのに、頭が悪いのにプライド
だけはエベレストな、絶世の美女 あてつけ結婚、出産って楽しいのかな
それって自虐じゃない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています