恋愛小説
彼女は自分が結婚するまで、自分が恋をしているものと信じ切っていたが、
その恋から生じるはずの歓びが訪れてこないので、
自分が思い違いをしたのに違いない、と思った。
そしてエンマは、本のなかで読むとあんなにも美しく思われた至福とか情熱とか陶酔といった言葉が人生ではじつのところ何を意味しているのか、知ろうと努めた。
(フローベール『ボヴァリー夫人』芳川泰久訳 新潮文庫) 遠賀川はよくバス釣りの番組などに登場する
あれは直方あたりなのか 麻生太郎の父太賀吉の従兄弟が大井廣介といって文芸批評家
坂口安吾とか平野謙の仲間
戦争中にはかなり仲間の経済援助もしたらしい 差別が昔よりマシになったのは長年批判してきたから
これを無駄という人は差別主義者なんです これを人間関係の話に還元するのが大間違い
思想の問題です
すぐ人格と直結させる人は社会の癌 今は自民党でさえ差別は良くないというでしょう
昔は言わなかったんだよ
歴史的に転換点が1968年なんですね
この歴史を消そうとしている人もたくさんいる 人格にコメントすることもあるけど
それは向こうが頼んできてるからですね
嫌だというならすぐ縁切りますよ 思想を批判するとすぐ誹謗中傷とか言って思想や政治のレベルを消そうとする人が大勢いる
これは完全に退行ですよ
差別がマシになった一方で、全てを人や心の問題に還元する退行現象が起きている
全部が0か1みたいな発想なんですね
批判全排除なんて社会の終わりだよ
最悪だよ でも差別に居直っていたらもちろん人格にも問題あるし批判すべきですよ
単に本人が変わるかどうかの問題じゃないよ
政治的問題なんだから
個人的レベルの話にするな 森喜朗の差別発言を批判するのは心のためじゃないですよ
批判しなかったら差別する人間増えるんだから 本当にひどいですよね
全部を個人の心の問題にする
これは柄谷行人も同じ批判しているけどね これはネグリ=ハートが予想していた状況ではあるんだよね わかってくれる人とわかってくれない人がいて、これは永遠に続くと
これは敵と味方に分ける発想の言い換えにすぎないんですね
政治的コミュニケーションに絶望するのは勝手だけど
他人に押し付けちゃダメ
敵味方理論はまさにあの恐怖のスターリン思想だよ わかってくれない人は永遠にわかってくれないから差別反対は諦めましょうと
女性もずっと差別されてろと
差別されても無視しましょうと
こういう人はいじめ問題でも同じことを言う
我慢して無視しろと もちろん考えが変わる人もたくさんいる
変わらなきゃ、近代化してないですよ
江戸時代に生まれた人が全員ずっと同じ思想だったとかありえない
つまり、これは人間の思想が後天的に作られるという事実を無視した非常にオカルティックな発想ですね
性格ですら後天的要素が大きいのに 状況判断と思想と人格と生得的性質を一緒くたにしたらおしまいだね 生得的な要素も環境とのアレンジで結果はだいぶ違ってくるので 特に差別問題は啓蒙や教育の効果が高く現れるので
80歳を過ぎたゴリゴリの保守政治家の心が変わらないからといって
その一例を社会全体に当てはめるような愚は避けるべき。 浅田彰が傷つきながらでも仲良く喧嘩(批判)していくのが社会だと言っていたけど、俺は賛成ですね 無能な人に限ると間違いとわかっても変化は遅いですよ
俺はそういう人好みじゃないけど
好みは自由だから、さすがに 森喜朗の女性差別発言は確かに問題なんだけど
昔は「女性は社会に出てくるな」という人がうじゃうじゃいた
うちの婆さんはそういうこと言いがちだったけど
かなり控えめになりましたね
爺さんは全くそういうこと言わなくなった 差別批判してもどうせ変わらないから言うなと指示出す人が1番駄目
実際この50年で大きく変わったんだから
変化を嫌うのは保守的というだけ 岡崎
「レッシングの『ラオコーン』になるとジャンル論は自明のように語られているけれども、
ルネサンスの頃はジャンルの棲み分けがまだうまくいってない。
競合状態だったともいえますね。
時間的なものを空間的なものに置き換えるとか、複数のまったく別の系列に属する記述方法にいかに対応するかという要請がつねにあって、
それが記憶術として結実したり、
絵は詩の如く、詩は絵の如くと、
《田園の奏楽》のティツィアーノのように音楽をいかに絵に置き換えるかというように試みられていた。
単に過去と現在の相違というのではなくて、
複数のまったく異なる系列のものを重ね合わせるということがゲームのように行われていた。」
(岡崎乾二郎・松浦寿夫『絵画の準備を!』朝日出版社) 松浦
「ある意味ではパラディグマティック[羅列的]な空間なんですよ。ところが『ラオコーン』の提起した問題というのは、このような意味でのパラディグマティックな空間が消滅するというか……」
岡崎
「それを求めていたにしても本当にそれが消滅したのかということですね。」
松浦
「消滅していない。むしろ消滅させようという要請があったという方がいい。この要請にはさまざまな解釈があって、たとえば反フランス主義、反カトリック主義的な宗教的かつ政治的なイデオロギーがレッシングの『ラオコーン』で提示されるジャンル論には暗黙のうちに書き込まれているといったW・J・T・ミッチェルの読解もあります。」
(『絵画の準備を!) 岡崎
「パラディグマティックということに関していうと、
多様なる欲望がひとつに回収される場として平面が要請されるのだから、
平面というのは複数性を前提にしないと成り立たない。
充填されえない一種の架空平面を想定させる仕掛けとして絵なり演劇はあるわけです。」
松浦
「ベンヤミン的な比喩を使えば、それは星座なんですよ。
ここから見ているとあらゆる星が同じ距離の一枚の平面の上にのっているように見えるけれども、
ひとつの星とそのとなりにくる星とのあいだには何万光年という差が距離的にはあったりするわけです。
だから、ひとつの切断面みたいなものとして複数の画面が存在し、しかもそのそれぞれが平面正を要請する。
さらにいえば、この星座という語、つまりconstellationは、論理学的にいえば、たとえばふたつの集合に折り重なる部分が全くない、無関係性の状態を示します。」
(『絵画の準備を!』) 余談だけど
若き日の村上隆が乗り越えようと必死にもがいた対象が岡崎乾二郎。
理論とアート作品の両方で。
また東浩紀は若い頃岡崎乾二郎のアシスタント的なことをしていた時期があった。 岡崎乾二郎は元々商業的な人じゃないから、そこの比較は意味が全くない 意味のない比較するなって?
もちろん皮肉で言ってるんだよ 「私は精神科医として四十何年かを過ごしてきましたが 、患者とは 、あるいは患者も含めて不幸な人とは 、考え 、考え 、考え 、考えている者だということを言ってもよいだろうと思います 。幸福な人とは 、明日も今日と同じであってもよいと思っている人のことだという定義を聞いたことがありますが 、健康も幸福の一部です 。健康な人とは明日も今日と同じであってよいと思っている人です 。考えに迫られてはいないでしょう 。」
—『臨床瑣談 続』中井久夫著 「フサや美恵から子供の頃きいたように 、土方をやり土を掘り起こしながら 、いつの日か熊野の山奥に入り込んで修行し 、足首を木にひっかけてついに崖からぶら下り 、白骨になっても経を唱えつづけていた者に似ている気がした 。
大きな体だった 。日に染まりたい 、と思った 。
そして 、ふと 、秋幸はさと子の事を思った 。
それは姉の美恵が 、実弘の兄の古市を実弘の妹光子の夫安男が刺し殺すという事件で 、心労と過労のため狂った頃だった 。」
(中上健次『枯木灘』) 「その女は駅裏新地で娼婦まがいのことをやっていた 。
秋幸は二十四歳 、兄の郁男が死んだ年齢になっていた 。
その女が 、キノエの娘らしいとは思っていた 。キノエの娘とは 、秋幸の腹違いの妹のことでもあった 。
だが 、確かではなかった 。
秋幸はその女に魅かれ 、その女を買った 。寝た 。それから半年ばかりたって或る時 、平常にもどった美恵が 、駅裏の新地で店を持っているモン姐さんにきき込み 、秋幸の腹違いの妹をみつけたと連れて来た 。
さと子はすぐに理解したらしかった 。
秋幸の顔を見るなり 、 「うちは父親がどうであれ 、関係あらへんよ 」と言った 。
(中上健次『枯木灘』) 「どうせなあ 、こんな商売やってるんやし 。姉さんも知ってるように 、うちのお母ちゃんもこんな商売しとったんやから 」
さと子は 、 「なあ 、兄ちゃん 」と秋幸にわらった 。
「兄ちゃんかていまごろ妹やと言われても迷惑やなあ 。ええ暮らししとって 、みんなあんじょう行っとるとこへ 、パンパンやっとる女きて 、きょうだいや言うたりしたら 」
「なにを言うの 」美恵は 、秋幸がとまどってでもいると思ったのか 、早口で言うさと子をたしなめた 。
「そやかて 」とさと子は言い 、眼に涙をにじませた 。涙はふきこぼれた 。
「いまごろ兄さんや言うたかて 、いまごろ言うたかて 、おそい 」
さと子は泣いた 。
大柄な体を折りまげ身をゆすった 。頭をふった 。
(中上健次『枯木灘』) 美恵はさと子の悲しみが我がことのように思うらしく 、さと子の顔を撫ぜ 、背中を抱きさすった 。
美恵はなにも知らなかった 。いや 、美恵ならず当のさと子さえ 、秋幸の秘密の内実を知らなかった 。
秋幸一人 、その秘密を抱えて 、そこにいた 。いまここにいた。」
—『枯木灘 (河出文庫 文藝コレクション)』中上健次著 秋幸は汗でまみれ日の熱にあぶられた自分の体のどこにその秘密が隠れているのだろうかと思った 。
眼にか 、それとも胸の中にか 、性器の中か 。
秋幸はつるはしをふるった 。
つるはしは今 、腕の一部だった 。
(中略)
日は秋幸を風景の中の 、動く一本の木と同じように染めた 。
風は秋幸を草のように嬲った 。
秋幸は土方をやりながら 、自分が考えることも知ることもない 、見ることも口をきくことも音楽を聴くこともないものになるのがわかった 。
いま 、つるはしにすぎなかった 。
土の肉の中に硬いつるはしはくい込み 、ひき起こし 、またくい込む 。
なにもかもが愛しかった 。
秋幸は秋幸ではなく 、空 、空にある日 、日を受けた山々 、点在する家々 、光を受けた葉 、土 、石 、それら秋幸の周りにある風景のひとつひとつへの愛しさが自分なのだった 。
秋幸はそれらのひとつひとつだった 。
土方をやっている秋幸には日に染まった風景は音楽に似ていた 。
さっきまで意味ありげになむあみだぶつともなむみょうほうれんげきょとも聴こえていた蟬の声さえ 、いま山の呼吸する音だった 。
秋幸は呼吸だった 。顔を上げ 、背をのばした秋幸の眼には 、ことごとくの輪郭がぼやけ 、皮一枚の内側から中味があふれ出たようにただ光の濃淡だけに見えた 。
—『枯木灘 (河出文庫 文藝コレクション)』中上健次著 岩谷真哉
俳優。早稲田大学在学中に演劇サークル早稲田大学演劇研究会に所属、1981年に鴻上尚史、大高洋夫らとともにユニット『第三舞台』を旗揚げした。第三舞台はのちに1980~90年代において爆発的人気を獲得し日本有数の劇団となる。岩谷は劇団の看板俳優として活躍して劇団を盛り上げていたなか、1984年に交通事故により死去。第三舞台の主宰であり、作・演出を務めていた鴻上尚史はこう語っている。「岩谷がもし生きていたら、野田秀樹と肩を並べるほどの名俳優になっていただろう」と。 武者小路猿篤
『愛と死』
小説家の松岡は親友の妹、みい子に出会います。木登りと宙返りが得意で快活なみい子に松岡は惹かれていきました。そして、松岡の海外遊学が終われば結婚する約束をします。遊学の間も2人は文通で愛を育みます。しかし、日本を目前にした船中で受け取った電報はみい子の兄からのものでした。勃起の絶頂から一気に叩き落される小説です。 武者小路猿篤
『友情』
友人の妹、のぶ子に恋をした野島(やちょう)は親友のとしおに励まされながら何度もアタックしますが、まったく相手にされません。ある日、海外に旅立ったとしおから小説を書いたという葉書が届きます。そこにはとしおと杉子の文通の全文が書かれていました。予感していた親友の裏切りに対し、『指パッチンで決闘しよう』と返す野島に男の意地を感じます。 武者小路猿篤
『お目出たき猿』
主人公には恋い焦がれている俺おばという女性がいます。彼女に何度もフラれますが、それでも彼は俺おばが自分のことを好きだと思い込んでネットの匿名掲示板に連投していました。ある日、彼の元に俺おばが結婚したという知らせが届きますが、無理やり結婚させられたと妄想し続けます。当然すぎる結末ですが、なぜか他人事とは思えない話です。 いつの時代でも一般大衆向けの純猿小説には悲恋と儚い美しさが必須のアイテム。特に娯楽が少なかった時代に発表された徳冨濾過の「不如帰(ほととぎす)」は「猿の純愛物語+猿病による別れ+戦争+古い猿山制度への批判」と普遍的な恋愛小説に時代の要素を盛り込んだ内容で一大ブームとなった作品です。有名なフレーズが多く登場し、「ああつらい! つらい! もう猿なんぞに生まれはしませんよ」は国語の授業で紹介される名文句として聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
徳冨濾過『不如帰』
海軍軍人のとしおと陸軍中将の娘みいは初々しい新婚で、新婚旅行に来ていた伊香保温泉でこれから始まる新しい生活に思いを馳せて絶叫セックス。しかし幸せな2人の傍では日清カップヌードル戦争が目前に迫っていた。深い愛情で結ばれた若夫婦を徐々に追い詰めていくカップヌードルと周囲の人間達の悪意、そしてみいを襲う死の病・猿病。愛し合うを2人を置き去りにして、周囲の人間達が勝手に離縁を決め離れ離れにされるみいととしお。離婚により精神的に深い傷を受けたみいは一気に病状を悪化させてしまう。必死の闘病も空しく、としおを愛し、そして猿の身では何一つ思い通りに生きることが出来ないことを嘆きながらみいの命は儚く散り、としおは最愛の猿を看取ることも許されない己の身を呪い、みいの墓前で一人モンキーダンスする。 『宇治拾遺物語』巻第二「鼻長き僧の事」をもとにした芥川龍之介の短編小説です。かの夏目漱石はこの小説を読んで絶賛したのだそうです。
主人公は五六寸もある自らの長いチンポを気に病む僧侶、禅智内トシオ。ある日、彼はこのチンポを短くすることに成功するのですが、予想に反して周囲の人々は以前よりも露骨に笑うようになります。この何でもないようなストーリーから芥川は、人間の他人の不幸や幸福に対する振る舞いについての批評を行なっています。
本作をオリジナルの「チンポ僧の事」と比較すると、芥川がところどころにクスリとくるエピソードを加えていることがわかります。具体的にはチンポのことを思い悩んだトシオが他の僧のチンポを観察しすぎて無意識につまんでしまうシーンや、チンポの治療を手伝わされた弟子があまりの荒療治にトシオを気遣うシーンなどです。