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なぜ「飛び出すミステリ」はないのか [無断転載禁止]©2ch.net

0001名無しのオプ
垢版 |
2016/04/19(火) 19:01:15.63ID:bMsSEJNi
間違ったページを開くとナイフが飛び出してきて刺されるとか、
ページ表面に青酸カリが塗ってあってなめると死ぬとか
面白い企画を出版社は考えるべき
0030名無しのオプ
垢版 |
2017/08/23(水) 16:24:49.69ID:mSyo38OV
>陶ケン(ケンは土へんに員)
>陶ケン(とうけん)土笛の謎、日本では縄文時代から日本海沿いを中心に
 100個ほど出土してるが、朝鮮半島からは一つも出土していない。どうして?

https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12043460662.html
その一つが「土笛」です。弥生時代の土笛は、陶ケン(とうけん)とも呼ばれる焼物の
笛で、起源は中国。河姆渡文化晩期(かぼとぶんかばんき・約6500年前)の遺跡
などで出現しています。

2014/08/12 - 陶ケンの出土は殷から周時代にかけて. 中国大陸と日本列島間の
交流があった可能性を表している。 陶ケンが朝鮮半島から全く出土していない
ことから、. 中国との直接交流があったということだろう。

「中国古代の陶ケンにその形と指孔の状況が酷似している」(国分 1968:190)と
指. 摘、以来「陶ケン」や「土笛」として紹介 ...
朝鮮半島において陶ケン形土製品の出土が知られていない。
0031名無しのオプ
垢版 |
2017/08/23(水) 16:27:43.93ID:mSyo38OV
無文土器(縄文時代中期末)
http://db.yamahaku.pref.yamaguchi.lg.jp/script/shuzo_img/443b.jpg
db.yamahaku.pref.yamaguchi.lg.jp › 収蔵紹介

山口県熊毛郡平生町平生町岩田 文様のない縄文土器です。
西日本では縄文時代中期末(今から約4千年前)以降、次第に文様のない縄文土器

が増加していきました。これらは弥生時代に向けた、土器に対する意識変化を象徴す
る現象として注目されます。

2017/08/14(月) 22:50:37.93

縄文時代後期になぜ無文土器が登場したのか? - 縄文と古代文明を探求 ...

web.joumon.jp.net/blog/2007/11/376.html
2007/11/14 - 長野県大清水遺跡は長野県の中央部からやや北より丘状の山に囲まれた
長野氏篠ノ井信更町に所在する。信更町には聖川が流れ、遺跡は豊富な湧水帯の中に位置する。

大量の無文土器の発掘は今から30年前に著者自身が立ち会って.......
無文土器の発掘の実例として読んでいただきたい。
0032名無しのオプ
垢版 |
2017/08/23(水) 16:50:10.57ID:iAk9yhXu
>.三山角冠を被った人物が九州で活動してた。

呉越時代.臨し出土.三山角冠を被った「水軍戦闘図」
http://img3.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44914340_3?1219768360
http://yamatai.cside.com/katudou/image2/359-02L.gif

>最下部P38、図23広西省(香港近郊)羅泊湾M1:10号銅鼓 (鳥羽様三山冠)
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8214692_po_BUNGA76Y-02_15162.pdf?contentNo=1&;alternativeNo=&itemId=info:ndljp/pid/8214692&__lang=ja

>蚩尤(しゆう),敦賀市の神話ツヌガアラシト(つのがあるひと)??
熊本.チブサン古墳「三山角冠を被った人物像」
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/3/0/308ecace.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/1/b/1bf90d3c.jpg
0033名無しのオプ
垢版 |
2017/08/23(水) 16:53:42.82ID:iAk9yhXu
日本と同じタイプの弓の分布をみると、日本の弓は、中国南部や
インドネシア方面の民族によって伝えられた可能性が強い。

これは、上古日本語と、インドネシア語やカンボジア語の基礎語彙に、
偶然以上の一致がみられるという言語学上の知見とも整合する。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-10.gif

■毒矢
アイヌは毒矢を使った。毒矢については、毒物学の石川元助氏の次のような見解がある。

キンポウゲ科のアコニツム属植物を矢毒につかう伝統は、北海道と沿海州、樺太、
アリューシャン、アラスカ半島に、西南へは、中国大陸を通って、雲南、四川、
さらに、ネパール、ブータンにのびる。

毒矢文化の起源は、ヒマラヤとみられる。毒矢文化をアイヌの祖先集団に
伝えたのは、ユウ婁(ゆうろう)族であろう。  『毒矢の文化』紀伊國屋書店 1965
0034名無しのオプ
垢版 |
2017/08/23(水) 17:03:40.47ID:iAk9yhXu
倭人の弓は縄文から弥生古来の直弓、長弓のままで、

北方民族の彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がって無い。
つまり北方からの民族南下は少人数で後の時代、辰韓の秦の亡民くらいだろ。

高句麗壁画の弓,匈奴の弓,中国の弓, 彎弓,短弓と呼ばれる北方民族の弓。
http://yamatai.cside.com/katudou/image2/359-02L.gif
http://www.kjclub.com/data/exc_board_9/2017/07/26/1501044655_470968f42ba1655b4fb0a210ccc8625f.jpg

(縄文時代の弓)
http://yamatai.cside.com/katudou/image2/359-03.gif
写真3は奈良県桜井市から発掘された紀元前1000年から紀元前499年前頃の弓。
下ぶくれの形から見て弓の中心よりも下に矢を番えた方がより強い発射力が出ただろう。
つまり短下長上の弓と言えるだろう。
http://img.p.booklog.jp/1E03350B-F350-11E6-87CF-B6EA34FBAF22_l.jpg
国宝 銅鐸 伝香川県出土 弥生時代(中期)・前2〜前1世紀 
http://www.tnm.jp/uploads/fckeditor/blog/201401/uid000067_20140124161601b82fa014.jpg
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」(この銅鐸絵、弓の握り位置注意)
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/3/3/33432126.gif
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/0/5/05e7622a.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/0/d/0d456f4f.png

半島南部は元々縄文人、倭人のテリトリーで朝鮮人の半島南下はもっと時代が下る。

朝鮮半島南部での南式支石墓(南西部の異常な密集度、倭人集団と思われる)
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/GALLERY/show_image.html?id=54777505&;no=2
朝鮮半島南部の前方後円墳分布図
http://blog-imgs-53.fc2.com/t/o/r/toriton/107551.jpg
朝鮮半島での勾玉出土分布図
http://yamatai.cside.com/katudou/image/241-5.gif
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