何故海外では本格ミステリは衰退したのか
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ふむふむ
という事は、謎解きが主体で、その材料はプロットの中に配置されていて、読者にも推測可能
ならハードボイルドに区分されている作品でも本格に入れていいモノもある、という事かな
ロスマクの一部の作品とか >>125
違うよ、ロスマクは謎解き要素はあってもメインはハードボイルドドラマにあるのだからあくまでもハードボイルド作家だ
謎解きが主体とはいえない そこは人によって分かれるね
ロスマクはハードボイルドでもあり本格でもあるって人はそれなりにいるわけだし ハードボイルドであることを尊重しつつ、本格としても読めるって感じじゃないか >>127
まあ、最終的な線引きはそれぞれの主観になるだろうね
ただ、ロスマクって数冊しか読んでないからよくわからないのだけど、そんなに本格指向強いの?
謎解き要素が強いのはごく一部で、他はそこまで謎解き要素はないのではないの? 「ウィチャリー家の女」は法月先生が掘り下げて論じてたし(あの評論で俺は
法月先生を知ったんだよなー)、それ以降、中期からの「縞模様の霊柩車」とか
「さむけ」なんかは本格のプロットを十分兼備してるんじゃないかと まあ何となく本格の本格たるゆえんを把握した(本当か?)ところで
スレ原点に回帰したい
なぜ海外では謎解き主体の本格は廃れたのか?
ルヘインのシャッターアイランド(これももう10年以上前ですか)は
わりと本格志向と思ったけどな、あの袋綴じは翻訳版だけなのか? なぜ海外では衰退したのか というより
なぜ日本では特殊なサブジャンルが一定支持されてるのか
そっちのほうが興味深いと思うけどな
あちらにはそもそも「本格」みたいな括る名前すらないそうじゃないか >>134
英米で本格ミステリに相当する言葉は
パズラーじゃなかったっけ? 俺は笠井先生好きだし、彼の大量死理論も「そうじゃん!」ってなったクチだから
現代日本は大量生社会(=裏返された大量死)だから、そこに本格の様式がハマった
というのは一理あると思ってる
ただその場合、これからの強いられた大量生社会は中国だから、
今後中国にどういうミステリが現れるかが気になってる 日本のミステリーは
戦前は短編の探偵小説が中心で、戦後は長編探偵小説が大人気
60年代になると探偵小説が没落、80年代にはハードボイルド・冒険小説が人気と
周回遅れで英米の流行を追っていた感じだったんだけど
その流れをぶったぎったのが新本格ブーム
以後、日本は独自路線を歩むことになる ドラマじゃホームズリブートやら探偵やら特殊刑事やら廃れてる様子はないんだけどな >>134>>135
whodunitでいいのでは >>139
フーダニットでは範囲が狭すぎでは?
本格にはフーダニットだけでなく、
ハウダニット以下諸々があるわけだから 日本でいまだ支持されてて
海外だとすたれちゃったのは主にHowの部分じゃね?
要するにトリック使って犯罪をいかにごまかすかって部分が
日本ではデフォルメされた通俗娯楽として生き残ってるけど
海外じゃそんなもんリアリティなさすぎだろって受け入れられにくくなっちゃった そうそう
だから海外で生き残ってる本格はほぼフーダニットだけだよね >>134
formal detective story
>>140
語義にとらわれすぎ HOWがないっていうか、密室ものみたいのがない印象
どうやって毒を入れた?とか、奴にはアリバイがあるのに、とかはあるよね。
あと、『探偵ガリレオ』的なありえない現象を科学で解くみたいのはドラマでも小説でもよく見る気がする
そういう意味では本格ものがないってより、黄金期のカー的なガジェット謎解きがないってことじゃねえのかなあ。
クリスティーの遺伝子って呼ばれるフーダニットものは綿々と受け継がれてるよね 密室モノは視点が変わってSAWとかCUBEみたいなワンシチュスリラーものに吸収された感じがする >>144
formal detective story は生まれて初めて聞いた
出典を知りたい
「十角館」や「孤島パズル」の英訳本ではshin-honkaku 、new orthodoxになっていた 13・67
陳 浩基 (著), 天野 健太郎 (翻訳)
出版社: 文藝春秋 (2017/9/30)
天野健太郎(1971年5月6日−2018年11月12日) >>147
訳がある本では『推理の芸術』の原本
formal deductive puzzleとかformal detective fictionとか書かれてる 島田や綾辻がいなかったら今でもそんなに読まれていない気もする 後かまいたちの夜のスマッシュヒットが大きい気がする
あれの反響が上々だったから構造は古典ミステリで舞台が現代ってものの需要が見込まれた
と、適当言ってみる 日本のミステリー界における金田一少年と名探偵コナンの功績はかなり大きいよな
まあ弊害もあったりするけど、特に金田一少年は 金田一が島田のアレをパクッたのは空気読めないと思うけど弊害って他にあるかな 漫画とアニメ見れば本格成分はもう十分で小説までいかないみたいな? 漫画とアニメ見れば十分なんて状態は、もう本格はすたれたってことだな >>156
違う、違う
初心者のために入門編として役立ってもらおうと思ったら
初心者は漫画やアニメで満足してしまったと言う話だろ?
マニアは今も昔も小説を読んでるよ コナン君見て小説でもああいうのが読みたいと思った人が綾辻に行くかどうか >>158
たとえば、コナンの単行本に描かれている名探偵図鑑とかを見て
紹介されている探偵が登場する小説を読んでみたいと思ってくれるかどうかだな >>157
なら、>>153のいう漫画の本格に対する功績はほとんどないってことだね 漫画の影響は大きかったよ
当時のミス研でも興味を持ったきっかけが金田一って人はかなりいた
あと上でも言われてるけどかまいたちの夜も
ただそういう人は同時代の新本格から入って古典はあまり読んでない場合が多かったな それが大体20年以上前位?
今ミス研に入ろうって位の人はどういうルートなんだろうね 欧ではともかく米で本格ミステリが流行る土壌がある気がしない ポーもカーもクイーンも米国作家なんだから土壌というか国民性に下地はあるだろ 英語でコナン君を見て(多分本格)ミステリを読み始めたって言ってた人はいたし
同名のアメリカの大物コメディアンがトーク番組で名探偵コナンをネタにする位だし下地位はありそ
コナン君でさえ左程普及はしてないみたいだけど 新保博久
note では画像が一部しか表示されないのですね。貼りなおしておきます。
この表は我ながらよく出来ていると夜郎自大。
https://pbs.twimg.com/media/DotI_NpVAAAOwNo.jpg
2018年10月4日 本格はともかくミステリ自体は需要あるんでないの?
海外ドラマでエレメンタリーのホームズとかやってるわけだし
ディーライフで推理系の作品多いしな
ただ科捜研みたいな最先端技術でみたいなやつばっかだが >>166
孤島とか吹雪の山荘とかだとまたかよみたいに言われそうだしね
それを誤魔化しつつ書くってのは主流になりそうな気がしない >>166
それでは答えになっていない
問題はなぜ日本や中華圏では飽きられていないのに、西洋では飽きられたかだ 西洋でもアンソニー・ホロヴィッツとか人気あるし、別に廃れてないし飽きられてない どれか忘れたけどヘレン・マクロイの小説のあとがきでアメリカで本格推理が下火になった流れの話があったな 映像化される事を狙って書いてるからな
単なるパズルストーリーだったら映像化してもらえない >>174
アガサ・クリスティー的なミステリは欧米でもある程度の需要があるみたいね
クィーンのようなロジカルなミステリは欧米ではジェームズ・ヤッフェ辺りを最後に絶滅したかな?
カーのようなトリッキーなミステリはフランスでポール・アルテが頑張っていたけど、
アルテはフランス人らしくだんだん心理サスペンス寄りに傾いている印象 >>174
海外のネットを拙い英語力で閲覧してるけど現状としては西洋の本格ミステリの市場は小さいそうで新作がなかなか出て来ない
西洋の本格マニアはもっと本格が読みたいと嘆いているけれどニッチな市場なので出版社がなかなか本格に肩入れしない
アンソニー・ホロヴィッツはクリスティー原作ドラマの脚本、ホームズのパスティーシュでの実績があるから認められた稀有な例ではなかろうか
ホロヴィッツに続いて本格派の人気作家が続々出ている状況でもなさそうだし
西洋でのミステリの主流はサスペンスとノワールなのが現状 昔の本格で今のコージーにあてはまるのはミス・マープルとかか
ホームズもポワロもエラーリーも玄人探偵 >>180
コージーでは日本の本格マニアは満足できないだろ
なぜ、戦前の黄金期のようなコテコテの本格は日本や中華圏では発展して欧米では衰退したのかという話 欧米の本格マニアは旧作を読んでると思うよ
今復刊ブームでコーチホイップパブリケーションとか
ディーンストリートプレスとか新しい出版社が大量に
刊行しているから、カササギの作中作程度のなら
より取り見取りだろう
現代に立脚した作品は歓迎するだろうが中々でて
こないんだよ
天才が必要かもな すまん、本格は全部まともじゃないって意味だったのか
俺はまた、最近の(新?)本格はまともなのがないって意味かと思った エラリー・クイーンのアメリカ本国での忘却と日本での神格化という対立する現象が起きた過程は興味がある
この辺の日米比較評論は誰かアメリカの文壇事情に詳しい評論家に論じてほしい
またイギリスではクリスティ影響下の作家はしばしば現れるのに、アメリカではジェームズ・ヤッフェを最後にクイーン影響下の作家が途絶えたという英米比較論も含めて 日本の場合はまず乱歩による「Yの悲劇」称賛があって
横溝ブーム時に論じられたクイーン「Yの悲劇」「エジプト十字架の謎」の横溝への影響
ダネイが来日して当時の流行作家、松本清張や夏樹静子らと交流
さらに新本格ブームという流れの中で日本におけるクイーンの神格化が進行
しかしそれは皮肉にもダネイとリーが捨て去った初期の作風を絶対視する流れに進み、
クイーン自身が志したミステリの理想とは逆行する偏った方向への神格化が進んで行った
これに対してアメリカでは70年代のクリスティ・ブーム、レヴィンソンとリンクのミステリ・ドラマ、
英国ミステリの輸入等があったにも関わらず国産作家のクイーンやヴァン・ダインは忘れ去られ、ディクスン・カーは英国でのみ読み継がれた
そして本格謎解き小説が米国エンターテイメントの傍流へと追いやられて滅びて行った過程の詳細な評論は読んでみたい 単純に考えるとトリックメーカーが映画とか流行りの最先端なショービズに流れていったんだろうな ドラマだけどdeath in paradise長く続いてるし
海外でも需要自体はあるんだろうね 社会問題をとりあげると、書評などマスゴミで褒めてもらえて売り上げが伸びるからだろ
しかもテレビドラマ化や映画化もしてもらえるからな
ただしその社会問題の取り上げ方も、保守派的観点ではクソミソに罵られるから左翼的視点で取り上げざるをえない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています