翻訳が読みにくい理由
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結局、文法や文化が日本とは違うので忠実に訳そうとするとどうしても読みにくく
なってしまうというのがファイナルアンサーだな
だから、原文に対する忠実さよりも読みやすさを重視した
超訳というものが編み出されたわけだし 中華圏は文化が日本と似ているので読みやすい
特に華文ミステリでは日本で流行しているものが
普通に登場するので親近感を覚えやすい
漢字の名前もカタカナよりは覚えやすい
別に音読できなくて適当に日本語読みで覚えれば問題ないし
問題なのは名前だけでは男か女なのかがわかりにくいという点だな 俺も中華ものは苦手
カタカナの名前の方がまだ覚えやすい 中華は名前がほんと覚えれない
漢字で書いてあれば勝手に日本語読みに脳内変換してるわ 名前が覚えづらいというのはあるな
同じ文字から始まってる似たような名前が出てくると尚更混乱する 翻訳ものが苦手という人は超訳本を読めばいいと思うよ
めちゃ読みやすいから >>12
原文と全く違う名前にすることはないが、
たとえば、原文が英語だと同じ人を指す言葉でも本名と愛称が入り乱れて混乱するところを
覚えやすい表記の方で統一する
原文の発音に忠実に訳そうとしてすごく覚えにくいカタカナ表記になるところを
なるべくシンプルなカタカナ表記にする程度のことはしている。 超訳されてるような有名なものはとっくに読んでるだろ 超訳される作品=有名作というわけではないよ
むしろ、名作、話題作は原文の魅力を忠実に伝えたいから超訳なんてされない
海外ではそこそこ人気だけど、日本では無名なB級作品が超訳として売り出される
パターンが多い 彼は昔の、翻訳によく、見られるが、読点の位置が適切ではないということも、大きな、原因だと思うといったのであると語った
みたいな ようするに文法的なことを無視して、何となくリズムだけで句読点を配置する井上訳(両方) 井上勇の文章は確かにひどいけど、翻訳自体は時代的に意義のあるものだったと思う
ただあれは学生バイトにやらせているでしょ ・日本語は昔から俳句や短歌などで簡潔な文章で豊かな表現が出来るように洗練されている
・翻訳者が小説家じゃないからメリハリのある文章に変換できない。 誰の言葉か忘れてしまったが
翻訳家に必要なのは語学力ではなくなにより日本語の文章力と教養であると言った人が居たなあ
母国語で作家になれる程の文章力を持った人が「たまたま」外国語にも堪能である、というのが理想だと
まーそりゃそうだ
小説は文章によって人を楽しませるものであって翻訳力が売りなわけじゃないもんね
原文に忠実かどうかすら本質的にはどうでもいい
日本語として読ませるかどうかの方が100万倍ずっと重要 英米の小説はダラダラと文章が長い。
日本のように簡潔に書こうとしないから
読んでてダレる。 日本人より白人の方が文章能力が上という事はないの? そもそも言語構造が違うし
漢字ひらがなカタカナの概念がある日本語の方が簡略化された文にしやすい気はする 今のは直訳にこだわりすぎて読みにくいのが多い
できるだけ古い翻訳を選ぶに限る がっつり意訳して欲しい。
原作曲解と非難されるのを恐れているのか? 既出な気がするけど、文章の構成が違うから
「男は、腕をのばして、銃を、彼の祖父の形見である、手にとった」
みたいな文章を忠実に訳しても読みにくい
人物を愛称で呼んだりするし その昔、古本屋の店頭に、医者はいらないの題名の本があって
何だと思ったら、007ドクターノオだったって話誰か書いていた 懐かしいな深夜の散歩
俺が読んだのは講談社文庫版だが、あれは完全版じゃないんだってな 白人の方が言語能力が優れているという可能性と、日本人翻訳家の力量が貧相という可能性があるよな。 Midnightなんてのすら
うまく日本語にできないからな
ちなみに「真夜中」は誤訳ね 翻訳が読みにくかったり意味の通じない日本語の場合は誤訳を疑え ブラウン神父物で「英語の聞き間違い」が重要トリック(メル欄)なので翻訳すると無理があるせいか、
創元とかハヤカワの翻訳より、高校英語の教材版の方が面白い『グラス氏の失踪』。
(手元の創元版は「ミスった」で強引に合わせてあるw 努力は認める) 俺は才能だと思ってるなあ
結局翻訳者の限界なんだろうな >>37
「at midnight」夜の12時
「the midnight hours」真夜中 >>41
俗語の方かもしれない(真っ暗・特に黒い・黒ん坊)
誤訳だと「ああ、その間違え方は分かるw」と思えたので、
明治時代のホームズの翻案(青い紅玉)で、ホームズに当たる先生が忘れられた帽子を見て、
「この男は石鹸の代わりに石灰で髪を洗っとる」というはげそうな洗髪方法を言い出し、
なんじゃこりゃ?と今の奴と比較したら「ライム入りポマードを使っている」という説明を、
「ライム」の意味が分からず、辞書引いて出てきた同綴りの「石灰」の事だと思ったらしい。 訳者のセンスはあるでしょ
創元のフィデルマシリーズは前の訳者が亡くなって交代したとたん
訳の違和感が少なくなって読みやすくなった 個人的になぜこうなったのかわからんの。
創元のブラウン神父シリーズ3巻(『不信』・中村保男訳)の「翼ある剣」。
「アーノルド・エールマー」という人が命を狙われているというので、
アーノルドが使用人たちに警備を厳重にしろと無茶苦茶な命令をする説明の所で。
「むろんこれ(注:上記の警備命令)だけではアルバートが狂人であるという証拠にはならない」
唐突に出てきた「アルバート」とは誰なのだ?
(ウィキソースで原文確認したら「アルバートが狂人」の部分は「he is a lunatic」でアルバートという単語はない) 読みやすすぎても意訳が過ぎたりかなり省略してるんじゃないかなと変に勘繰ってしまうなあ 別に良くない?
チャンドラーの清水訳は省略多いけど名訳と言われて
原文により忠実な村上春樹訳は微妙扱いされてるし 俺も今読んでる箇所は誤植じゃないかと勘繰るようになって小説が読めなくなった。 なんというか
作家研究とかしてるなら原典が正確にどう書いてあるかは重要なんだけど
娯楽のために読むんなら自分の出会った形がその小説の形でいいじゃんと思ってる
どんな翻訳かも含めてそれが自分にとってのその小説との出会い
好きも嫌いも面白いも面白くないもそれで左右されるけどそれが外国語の本 流石に日本語として意味不明だったり、本来の意味とは逆の意味になってたり、誤訳のせいでトリックが成り立たなくなってるのは勘弁 >>49
そこまではいかないが、昔のホームズの訳で
「The Man with the Twisted Lip」(唇のねじれた男)→「紳士か乞食か」
「the Speckled Band」(まだらの紐)→「毒蛇の秘密」
「Silver Blaze」(いろいろあるので略)→「名馬の犯罪」
と、タイトルで盛大にネタバレをやっている珍訳があったとかw 例えば翻訳家としての澁澤龍彦の仕事は誤訳だらけだけど
それを指摘する人らも訳文が日本語の文章として達者で美しいのは否定できないんよね
日本語としてさらっと入ってくるぶん罪深いのかもしれんけど 娯楽小説なら正確さより読みやすさ面白さ美しさのほうが重要だと思う
なんつーか向こうの作家本人だって
読みやすさ面白さ美しさを追求して元の言語でその表現になってるわけで
正確さだけを求めてそのまま移すと
作家本人が目指した読みやすさ面白さ美しさが無視されることになるじゃん
日本語として読みやすくも面白くも美しくもなくさらに正確でもないのは論外
たまにあるけど その手の問題は今やゲーム界のほうでも深刻だな
インディーズゲームの隆盛で裾野が広がったのはいいけど機械翻訳まみれのなんちゃって和訳ばっかり
よほどの大作じゃない限り和訳っていう仕事自体がコストが掛かるだけのお荷物として扱われてる
これが出版翻訳に波及してくるのも時間の問題な気がする 読みやすい本でも、その情景が浮かんでこなかったりする。 小説じゃあんまりないだろうけど、他ジャンルでは、機械翻訳にかけて手直ししただけってのも普通に売られてるらしい
こうなるともう原文のほうが分かりやすい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています