会社への集りやな

Aさんは1983年に岩槻郵便局でアルバイトとして働き、
翌84年には25歳で同局に正職員として採用されました。
職場でも活発で育児や実家の田植えの手伝いなど元気に過ごす日々でした。
2006年(46歳)にさいたま新都心局への異動が命じられます。
「やばい、一番行きたくない所だよ」と即座に不安をもらしていました。
それ以前2003年に全国に先がけて近隣の越谷郵便局にトヨタ生産方式が導入され、
翌年にはさいたま新都心局もモデル局となっており、厳しい目標管理、時間管理、
徹底した自己責任論が充満していることは周囲の郵便局に知れ渡っていました。
そうした環境にさらされるなかで2008年(48歳)「うつ病」と診断を受けます。
一ヵ月後に復帰しますが約半年後再び長期の病気休暇になるなど、発症と復帰を3度繰り返しました。
その間Aさんは社員申告書に異動希望を書き続け、産業医の面談でも訴え続けましたが
「まだそんなこと言っているのか!」と一蹴されていました。
Aさんの死亡の原因が高密度の作業管理と高圧的労務管理にあること、
メンタルヘルス疾患に対する不適切な対応にあったことは明らかです。
すでにご遺族の訴えにより弁護団が組織され、本年4月2日には埼玉地方裁判所裁判官による
証拠保全の手続きも取られました。
本会はそれら証拠を元に今後取られる法的措置の取り組みを支援するとともに、
その活動を通じて二度と郵便局で同様の悲劇を繰り返さない職場に向けていくことを目的とします。