>>184つづき
まず、あなたの述べている「悟りのようなもの」は、文脈から感ずるに、
「静寂の境地」「今ココの感覚」「無常の観察状態」「世界と自分が一つ」。
象徴で表すなら、仏像の感覚でしょう。ちょっとレベルを下げれば、
大麻経験のストーンドのあるレベルと言ってもいいと思います。
ここおそらく、このあたりは、言語表現の違いはあれど、共感できますね?。

瞑想を用いる修行は、まずはここを目指します。潜在的に活動する人々は、
スポーツマンや職人、アーティストもこの感覚を得ようとします。
薬物や、瞑想、道(武道、華道、弓道など)は、直接体験を好む人々です。

病気でそれに気づく人もいるし、事故でも気づく、今でも気づく人もいる。
何かを行なったから、何かの行為など、再現性のあるものではなく、
人によってまったく違います。
相対的には、どれがいい?どれが悪い?という差はありません。
そういうことは、一般人に言わせておいてください。

まずは、「悟りのようなもの」は、何かを摂取したから、
何かをしたからなど、一般的な努力や勉強とは無縁だということを
理解するのが良いと思う。そうすることで記憶として相対化できますからね。

それよりも重要なことは、今のタイミングであなたにそれが起こり、
私にこの種類の質問をしたということです。結論をいえば、
ゴールとスタートが見え始めたということです。
以後話す内容の土台が必要なので、抽象的な表現となってしまいましたが、
内容は、徐々に具体化していきます。