何のことはない所感ですが
いつまにか線路には乗っていて
運行上の出来事、そこで見えている景色は特に描かれず
次の行ですぐに何をと問いかけている

だからなのか、何をという言葉が非常に漠然としているように思えます
同じ言葉で問いかけるにしてもそれぞれの人生に従って
何を求めて問いかけるのか動機は様々になってゆくと思います
貴方が人生のなかで何を思ってそのように問うたのか
いつまにか線路にいたのであれば、貴方はどのようにそれを受け止めたのか

これまで延々線路を辿ってきたことからその行く先に率直な疑問を抱いているというようにも読めるのですが
やはり80年という数字にはただの数字に留まらない人生の年月が込められていますので
詩の構成上、注意深く扱わねば解釈を意図するより多く困難にしてしまう場合があるように思えます(作詞としてそのように意図されていたのであれば、もとより不要のお節介ですので、小うるさくなってしまい、申し訳ないのですが)
私などは80年の半分もまだ達しておりませんので、これは読者によると言えるのかもしれません


ただ、所詮は他人がとやかく言うことなので、気に入らぬ内容は切って捨て、貴方の信じたものを書かれていくのが良いように思えます