ポエトリーです
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▽(R)□2021年10月26日……地底暦2022年5月8日
§白銀(※巻末)
◇[元の元の[○ム(※特殊文字)]から[⌒ム(※特殊文字)]、[⌒ウ(※特
殊文字)]の中界を経て、ウの現界に到る悉くの世界が皆人間に関
係あるのであるから、肉体はウであるが、魂は[○ム(※特殊文字)]
に通じてゐるのであるから、[○ム(※特殊文字)]はヨロコビであるか
ら、喜びが人間の本体であるから、神界と云ひ、現界と云ひ、一本
の国であるから、人間からすれば、人間が土台であるから、神の礎
であるから、神しづまれば神人となるのであるから、神界、中界、現
界つらぬきて居らねば、マコトの和合して居らねば、マコトの喜びで
ないから、マコトの喜びが大神であるから、大神の働きは人間によ
るものであるから、心せねばならんぞ。・せねばならんぞ。天使と云
ひ、天人と申すも、みなそれぞれの国の人間であるから、喜びの人
間であるから、この道理判りたら、地の世界と、中の世界と、天の世
界と、みな同じであるから、もちつもたれつであるから、三千世界で
あるから、地の上に禍あると、天の国にも禍ふのであるから、天の
国の生活は地の上に根をつけてゐるのであるから、遠くにあるので
ないぞ。同じ所にあるのであるぞ。幽界と申すのは道を外れた国の
ことざと知らしてあらうがな。地獄無いと申してあらうがな。このこと
間違はんやうに、地獄地獄の言葉、やめて下されよ。言葉からモノ
生むのぞ。只モノが違ふのみであるから、人間の心が神に通ずる
ときは喜びとなり、幽人に通ずるときは悲しみとなるのであるぞ。通
ずる心あるから心に自由あるのであるぞ。弥栄あるのであるぞ。こ
の道理よくわきまへて下されよ。天人に結婚もあれば仕事もあるぞ。
死も亦あるのであるぞ。死とは住む段階の違ふ場合に起る現象ぞ。
死とは生きることぞ。人間は皆、かみかかってゐるのであるぞ。か
みかかってゐないもの一人も居らんのぢゃ。かみかからんものは
呼吸せんのぢゃ。このこと判りて居らうがな。霊人は人間の心の中 ,
に住んでゐるのであるぞ。心を肉体として住んでゐるのぢゃ。その
中に又住んでゐるのぢゃ。ひらたう説いて聞かしてゐるのぢゃ。霊
人と和合してゐるから、かみかかりであるからこそ、三千世界に働
き栄えるのぢゃぞ。神界のことも判る道理ぢゃ。幽界のことも判る
道理ぢゃ。人間の云ふかみかかりとは幽界のカミかかりぢゃ。ろく
なことないのぢゃ。かみかかりにも、かみかかりと判らんかみかか
り結構ぢゃなあ。まことぢゃなあと知らしてあるのに未だ判らんのか。
(五月八日)](1) / 白銀の巻(第25巻)(第六帖)
◇[天国がうつって地が出来てゐるのぢゃから、霊の国は更に立派、
微妙ぞ。天界のもの光り輝き幽界のもの暗くなる違ひあるだけぢゃ。
その時の状態によって変化するが、総ては神が与へたのぢゃ、現
界同様、与へられてゐるのぢゃと知らしてあらうがな。時間、空間も
あるのであるが、ないのであるぞ。同じ状態にあれば同じ処に住み、
変化すれば別の所に住むのであるぞ。見ようと思へば、念の中に
出て来て、見ること、語ること出来るのぢゃ。見まいとすれば見えん
のぢゃ。自分で見、自分で語るのぢゃぞ。時、所、位、総てが想念
の中、想念のままに現はれて来るのであるぞ。判るやうに申すなら
ば、時間も空間も映像であって、情態が変るのみのことであるぞ。
情態のもと、本質は限りないから、無限であるから、自由であるか
ら、霊界は無限、絶対、自由自在であるぞ。現界では、時間に順に
得たものでも、心の中では時間に関係なく、距離に関係なく、一所
へならべられるであらうがな。心の世界で、時間、空間のない道理
これでよく判るであらうがな。(五月八日)](1) /
白銀の巻(第25巻)(第七帖)
▲No.99■2021年10月26日……地底暦2021年4月15日
※▽No.99■2021年10月4日……地底暦2022年4月16日 を参照 >>189
§至恩(※巻頭)
●至恩の巻(第6巻)(第一帖)