田中宏輔専用スレッド
文学極道で活動している田中宏輔さんが日記を書くスレッドです 学校の通勤の帰りに、
ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』を読み終わった。
タイトル、まったく内容と関係がないので、なんか、特別な意味でもあるんじゃないかなあと思う。
まあ、ホラーの古典なんだろうけどね。
上品な作品だとは思うよ。
おもしろくなかったわけじゃないけど、それほどって感じかな。
200ページで、「ねじの回転」は終わっていたが、
まだ170ページほどある。
いくつかの短篇が収められているらしい。
きょうは、夕方に日知庵に行くまで、それを読んでみよう。 俺は、鈴木光司「リング」「らせん」「ループ」にハマったぞ。もちろん、エンターテイメント作品としてだがな。 いま日知庵から帰ってきた。
あしたは、たぶん、一日じゅう数学のお仕事しているはず。
きょう寝るまえの読書は、ヘンリー・ジェイムズの短篇集『ねじの回転』のつづきを。
おやすみ、グッジョブ! うお! あっちゃん発見!
途中で姿を消したからどこに行ったんだと思ったけれど
文学極道で活動していたのね。 ユリイカの5月号にひさしぶりに詩を書いたよ。
よかったらバックナンバーのあるところで読んでやってください。 詩集も
私家版を除くと
22冊出してます。
Amazon その他で買えます。
さいきん、書肆ブンから6冊ばかり出しましたが
書肆ブンからだと送料がタダです。 五条堀川のブックオフまで散歩。
ブックオフでは、108円のコーナーにあった、ディックの『悪夢機械』と
ブコウスキーの『パルプ』を買ってきた。
『悪夢機械』はもっているけれど、
お風呂場で読む用に、
『パルプ』は初読だ。
どちらも楽しみ。
『悪夢機械』
いつものごとく、ひとつも話を記憶していない。 まだヘンリー・ジェイムズの短篇集『ねじの回転』のつづきを読んでいるのだが、
ふと、P・D・ジェイムズの小説を思い出した。
P・D・ジェイムズの重厚で緻密な描写に比べると、同じイギリスの作家でも、こんなに違うのかと思ったのである。
ヘンリー・ジェイムズは最小限の描写しかしていないと思われる。 ブコウスキーも、ディックも、読まなかった。
もう一度、小島きみ子さんの詩集を読み直して、
もっているキーツの「Ode to a Nightingale」の3つの翻訳を比較していた。
岩波文庫の『対訳 キーツ詩集』、
河出書房の世界文学全集・別巻『世界名詩集』、
『講談社・世界文学全集・第48巻の『世界詩集』 けさ、仕事に行くまえに、
西院にできたブックファーストで、
岩波文庫の『キーツ詩集』を買った。
これぞ現代語訳って感じだったので、読むのがつらくなさそうで、よかった。
対訳シリーズの訳文は、ぼくには難解で、とてもわかりにくいシロモノだったので、
新しいほうの訳がわかりやすいものでよかった。 いま、ブコウスキーの『パルプ』
半分くらい読めた。
読みやすい。
こんなに読みやすいのは
ガートルード・スタインの『地理と戯曲 抄』以来。
きょうじゅうに読めちゃうんじゃないかな。 岩波文庫の『山之口貘詩集』もブックファーストにあったんだけど、
カヴァーの背にへこみがあったので、きれいなものがほしいので、
きれいな状態のものを欲しいと言って注文しておいた。
数日中に連絡があると思う。
岩波文庫の詩集、かなりすぐれものが多いので、『草野心平詩集』とかも欲しくなった。
『西脇順三郎詩集』とかも欲しくなったのだけれど、
すでに持っている詩集のほうが詩が数多く入っていたり
詩集を完全収録したりしていて重複してしまうので買わないけれど、
岩波文庫、日本人の詩集もかなり充実しているね。
吉増剛造さんの詩集も早く入ってほしいなって思う。
吉増さんは中期まででよい。 割注が入るようになって見づらくて仕方ないのだ。
『螺旋歌』までが、ぼくの理想の吉増剛造さんかな。
あるいは、『スコットランド紀行』までの言葉がよかった。 ブコウスキーの『パルプ』を読み終わった。
ありゃ、まあ、な終わり方だった。
付箋した箇所は2つ。
以前にここに書き込んだ、
25ページにある「地獄とは自分で作るものだ。」と、
279ページにある「人を悲しい気分にさせるものが、この世にはなんとたくさんあることか。」である。 ブコウスキーの言葉のルーズリーフ作業が終わったら、
きょう買った『キーツ詩集』を読もう。
寝るまえの読書は、タニス・リーの短篇集『悪魔の薔薇』のつづきを。
ずいぶん長いあいだ、タニス・リーをほっぽっていたが、
途中で読むのをやめてた物語は、
頭のなかにしっかり残っている。
めずらしいことだ。 タニス・リーを読むのをやめて、
持っている、講談社版・日本現代文学全集・第108巻の『現代詩歌集』で、
山之口貘さんの詩を読んでいた。
『思弁の花』(旧漢字)
おおむかしに、100円くらいでブックオフで買った本だが、
貴重な資料となっているだけでなく、こうして読む楽しみも与えてくれている。 いま日知庵から帰った。
寝るまえの読書は、タニス・リーの短篇集『悪魔の薔薇』のつづきを。
きょう郵便受けに届いていた詩集については、あした。
おやすみ、グッジョブ! 倉石信乃さんから、詩集『使い』を送っていただいた。
対句的なフレーズの反復とそのズラシ方に、
ガートルード・スタインの文体が重なって見えた。
それほど、スタインが未来の詩の文体を先取りしていたというわけなのだろうが、
おそらくそれが詩の最終形態なのであろうとも思わされた。 日知庵から帰ってきたら、
峯澤典子さんから、
詩集『あのとき冬の子どもたち』を送っていただいていた。
部屋で封筒を開けると、
ていねいなお便りと、
今月号の現代詩手帖の拙詩集へのご批評部分のコピーが入っていて、
たいへん恐縮したのであった。
きょう、寝るまえの読書は峯澤典子さんの詩集にしよう。 峯澤典子さんの詩集『あのとき冬の子どもたち』を読み終わった。
こんなにじょうずに書けるひとはほとんどいないと思った。
ジェンダーもあるのかもしれないとも思った。
男のぼくには、こんなに肌理細かく書くことはできないなとも思った。
しかも驚くほどレトリカルだし。
H氏賞をとって当然だと思った。 まだクスリが効かないので、
タニス・リーの短篇集『悪魔の薔薇』のつづきを読みながら寝よう。
おやすみ、グッジョブ! ユリイカ勢か。
やはり第一線で活躍している人が多いのね 『冬の子どもたち』というと、
マイクル・コニイなのかな。
コニイの作品には、
『ブロントメク!』や
『カリスマ』といった隠れた名作がある。
『ハローサマー、グッバイ』が有名だけれど。 ブックファーストで注文した『山之口貘詩集』はまだきてないのだけれど、
いまコーヒーを飲みながら、
『現代詩歌集』に入っている貘さんの「思弁の花」(旧漢字)を読んでて思ったのだけれど、
人名や地名などの固有名詞がばんばん入っているところも、おもしろい点なのかな。
具体的に想起しやすいしね。 大谷良太くんが、辻 征夫の詩を読んで、よかったと言っていたから、
西院のブックファーストに行って、気に入った詩が入ってたら買おう。
ブックファーストになかったら、四条のジュンク堂に行ってこよう。
きょうは、もう数学の問題を見るのが嫌になった。
やっぱり詩や小説を読んでるほうがずっといい。 いま日知庵から帰ってきた。
日知庵に行くまえに、四条河原町の丸善に寄って、
岩波文庫の詩集を6冊買った。
『石垣りん詩集』、
『茨木のり子詩集』、
『谷川俊太郎詩集』、
『大岡信詩集』、
『辻征夫詩集』、
『まど・みちお詩集』。
外国の詩人の詩集は、ほとんど読んだから、
日本の詩人も読まなくちゃね。 それにしても、ブックファースト、遅い。
月曜日に注文した岩波文庫の詩集『山之口貘詩集』が、
きょうもまだ来ていなかった。
まあ、あした、
『草野心平詩集』を買いに行くつもりだけど。
アンソロジーには二人とも入っていて、
主要な詩は知ってるんだけど、
岩波文庫だものね。
買いたくなってしまうよね。 さきに、吉増剛造さんの詩集が岩波文庫に入ることを祈っています。 ああ、それよりも、
それよりも、
生きているうちに、
パウンドの『キャントーズ』の全訳を
新倉俊一さんの訳で
岩波文庫版で読みたい。 岩波文庫の『辻征夫詩集』を読んだ。
実話なのか、創作なのかわからないものがあった。
実話的なもののほうに魅かれた。
大谷良太くんも、きっとそこに魅かれたのではないだろうか。
寝るまえの読書は、きょう買った、岩波文庫の『草野心平詩集』
ちゃんと読んだのは、はじめて、とてもめずらしい題材だ。 ここに書いたのと同じことツイートしてる
自己顕示欲にまみれた馬鹿w いま、岩波文庫の『草野心平詩集』を読んでいるのだが、
まだ半分なのだが、アンソロジーに入っているものだけで十分な感じがする。
名前の大きな詩人だが、蛙の詩以外のものは、そうじてつまらない。
まあ、買ったし、さいごまで読むけれど。 無限に濃度があるのなら、
永遠にも濃度があってもよい。
ものすごい薄い永遠。
一瞬の永遠。
刹那の永遠。 岩波文庫の『草野心平詩集』後半に、いくつかおもしろい詩があった。
メモ魔であることがわかる、自分が20年間に栽培してた野菜の名前を3ページ以上にわたって書き込んでたりした「百姓といふ言葉」や、
「仮想招宴」や、
「サッコ・ヴァンゼッチの手紙抄」の焼き鳥屋をしていたころの描写とかよい。
あと、ぼくの記憶ともつながる化石を見て書かれた「石の魚」とかもいいと思う。
青年期と晩年によい詩を書いてたのだね。
西脇順三郎の悪口を書いた「或る永遠」には微苦笑させられた。
詩集全篇が収録された「富士山」にはまったく共感できなかったけれど。
やはり具体的な経験を詩にしたものはよかった。 いま中央公論社版の『日本の詩歌』第21巻におさめられている草野心平の詩を調べていたら、
岩波文庫の『草野心平詩集』には収められていないものも、いくつもあって、驚いた。
編者によって、詩の選択って、ここまで異なるかって気がした。
まあ、それはいつものことか。
さほど驚くべきものではないか。
コーヒーを淹れて、
岩波文庫の『草野心平詩集』に収められていなかったものを読もう。 我が道をいく人生楽しそう
俺もあっちゃんみたいになりたいです(^q^) 近所のスーパー「ライフ」でお弁当でも買ってこよう。
帰ってきたら、岩波文庫の『石垣りん』詩集を読もう。
「喜び」という詩が入っていないことがさっきわかって残念だけれど、仕方ないね。
編者の好みがアンソロジーには反映するものね。 岩波文庫の『石垣りん詩集』
いま、半分くらいのところ、
具体的な出来事を扱っていることが多いので、
きわめて場面が想起されやすい。
寝るまでの読書は、ひきつづき、
岩波文庫の『石垣りん詩集』
それにしても、これには、
第四詩集の『やさしい言葉』に入っている「喜び」が収められていない。
くやしい。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 読んだものがあまり記憶に残らないというのに、
読むというのは、
読むこと自体が快感だからなのだと、
このあいだ、気がついた。 きょうは、岩波文庫の『まど・みちお詩集』を読んでいる。
すいすい読める。 岩波文庫の『まど・みちお詩集』を読んだ。
散文をお読みして、ああ、深く物事を考えてらっしゃるなあと思った。
「リンゴ」という詩がやっぱり、いちばん好きだ。
ちょっと休憩して、岩波文庫の『谷川俊太郎詩集』を読む。
思潮社から出てたアンソロジーで、読んだ記憶がある。
リレーの詩とかおぼえてる。 そのリレーの詩がなかった。
自選だそうだから、自分では入れたくなかったということだね。
『石垣りん詩集』には「喜び」という、とびきりおもしろい詩が入ってなかりとか
そんなん少なくないね。
なんでだろう。 こんなん見つけたんだけど、まあ、詩って、技巧だよって、
ぼくなら書きそうだけど、
いまのぼくは技巧を捨てたいというところにいて、
でも、このあいだユリイカに書いた「いま一度、いま千度、」なんて詩、技巧の塊だったし、
むずかしいな。
https://kakuyomu.jp/users/mmatatabii/news/1177354054885644624 でも、ぼくのルーズリーフ作業、
技巧の極みを書き写す作業も含んでいる、
というか、
ほとんどそればかりだから、やっぱり、詩は、技巧だと思っているところがあるのかもしれない。
というか、思ってるか。
きっぱり、そう言おうか。
詩は技巧である。 岩波文庫の『谷川俊太郎詩集』
いま半分くらいのところだけれど、
まえに読んだ
岩波文庫の『金子光晴詩集』や『大手拓次詩集』に比べると、
圧倒的にポエジーが低い。
なんかふつうのひとが
ふつうのことを書いているって感じのものが多い。
だから、読者も多いんだろうけれど。
つまらない読書になってきた。 気分をかえるために
お風呂に入りながらディックの短篇集『悪夢機械』を読もうかな。 岩波文庫の『谷川俊太郎詩集』
250ページあたり、まさに後半に入ったところで、
大人の詩句だなあというものに、ようやく出合えた。
ここからどうなるかは、きょう寝るまえの読書でわかる。
あるいは、あしたの通勤時間の読書で。 うううん。『谷川俊太郎詩集』いいのは、250ページからわずか270から385ページまでだった。
奇跡の一枚ならぬ、奇蹟の詩篇「ふくらはぎ」と「夕焼け」と2,3の詩篇くらいだった。
あしたから岩波文庫の『茨木のり子詩集』を読もう。 岡島弘子さんから、詩集『洋裁師の恋』を送っていただいた。
詩句に、落ち着いた雰囲気、貫録のようなものを感じた。
ぼくより年下であるかもしれないが、言葉の趣きは、ぼくよりずっと年上だ。
題材もだが、詩句の繰り出し方に女性性を感じた。
ぼくにはぜったい書けない詩句たち。
真似もできないだろう。 きのう届いた岡島弘子さんの詩集『洋裁師の恋』をさいごまで読んだ。
兄が73歳で亡くなったことから推測するに、やはり、ぼくよりお齢を召された方だと思った。
言葉が、言葉と言葉をつなげる仕方が上品なのだ。
表紙のカヴァーをとると美しい本の本体が見える。
タイトルとかぶる装幀だと思った。 ポエジーに深いも浅いもあるかよ
そんなもの純粋読者は求めてない きょうは、ディックの短篇集しか読んでないけど
ひさびさに見つけた言葉がある。
ぼくがコレクションしている言葉だ。
「きみの名前は?」(フィリップ・K・ディック『超能力世界』U、浅倉久志訳)
ぼくのようなマイナー・ポエットには、
小さな収穫だが、日々は小さな収穫の積み重ねでしかない。 岩波文庫の『茨木のり子詩集』のつづきを読みながら寝よう。おやすみ、グッジョブ! 韓国語の曲だから何を言ってるんだかわからないけど、わからないからいいんだりうな。
おまえはバカだから、ひとを好きになることしかできない。でも、それでいいんだよって、言ってるような気がする。違ってもいい。
https://www.youtube.com/watch?v=zdQLpeQSbwA ブックファーストから、岩波文庫の『山之口貘詩集』が届きましたとの電話があって、買いに行った。
カヴァーのきれいな良品だった。
ジュンク堂のは表紙にハゲがあって、丸善のはカヴァーに傷がついていたので買わなかったのだった。
本はカヴァーが命と、つくづく思う。 郵便受けから郵便物を部屋に持ち込み、なかを見たら、
高橋睦郎さんから、詩集『つい昨日のこと 私のギリシア』と、
大木潤子さんから、詩集『私の知らない歌』と、
尚 泰二郎さんから、詩集『街中で突然に』を送っていただいていた。
いま読んでいる山之口貘さんの詩集をおいて、さきに読もう。 高橋睦郎さんの詩集『つい昨日のこと 私のギリシア』を読み終わった。
「青空」というタイトルの詩に、「神神が失せても 人間が滅びても 青空は青空のまま」という詩句があって、
いちばん。胸に吊り下がった。
それにしても碩学の詩人の詩句はレトリカルであった。
このうまさに達することはできない。 大木潤子さんの詩集『私の知らない歌』を読み終わった。
右のページがすべて余白で、
左のページに書かれた詩句も、一文字であったり、一行であったり、多くても数行のものがほとんどで、
空間がこんなにもうつくしかったのかと痛感した。
もちろん、詩句があったればこその空間の、余白のうつくしさだが。 尚 泰二郎さんの詩集『街中で突然に』を読み終わった。
さいしょのほうの詩篇は批評的な、皮肉とも言えるユーモアのある詩が収められてあったけれど、
途中からお父さまがなくなられたことを題材にされた詩がつづき、
終わりのほうに、エッセイのような散文詩が収められていた。
おいくつだろうと思って、奥付を見たら、ぼくと同い年か、おひとつ上の方だった。
言葉はなめらかで、達者な方だと思った。 きのうは、一日中、岩波文庫の『茨木のり子詩集』を読んでいた。
ずいぶん整った詩句を書くひとだなあと思った。
年代的にはずいぶん離れたものもあったと思うのだけれど、
言葉があまり違っていないので、素で書いてらっしゃったのだなあと思った。
ちょっと休憩してコーヒーを淹れて飲もう。 ダメもとで、ヤフオクに入札した。
中央公論新社の『日本の詩歌』全巻揃いで、2000円で入札した。
こりゃダメもとでしょうな。
9冊すでに欲しいものを持っているのだが、山村暮鳥の詩をもっと読みたくなって入札した。
2000円以上は出す気がないので、当然、落札できないだろうけれど、万一、笑。 きょうは、一日じゅう、岩波文庫の『山之口貘詩集』を読む予定。
文学極道の作品は手直しが終わった。 いま入眠時幻覚の夢をさぐっていた。
薄い青い部屋で、寝転がっていた。
じっさいの手を伸ばすと半透明になった。
10分くらいつづいた。
子どもの声が後ろでした。
ポオと言っていた。
絵が出現して子どもたちが動いていた。
目が覚めた、というよりか、自分で起きようと思い、目をきっと開いて目が覚めた。 自分の意志で入眠時幻覚を見た。
喫茶店にいた。
透明のゼリーを食べたらオレンジの味がして、目が覚めた。 3つめは、さっきと同じ喫茶店でマスターらしきひとに名前を聞かれて名乗ったら目が覚めた。
4つめは浅い川のなかを歩いているひとがいっぱい通ってた。 夏になるまえの夏バテだろうか。
さっきまで眠っていた。 文学極道の詩投稿掲示板に作品をとうこうしました。
よろしければ、ごらんください。
こちら→http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=10572 いま、きみやから帰った。
きょうは、通勤電車のなかで、仕事の合間に、岩波文庫の『山之口貘詩集』を読んでいた。
「何々なのだ」の連発で、バカボンパパの口調を思い出していたのだ。
おもしろかったのだ。
赤塚さんが口調をぱくったのではないかと思われたのだ。
こんなことを思うのは、ぼくだけなのだ。 日本文学大系・第41巻、もってたんだけど、お風呂場で読んで捨てちゃったので、買い直したのだ。
ヤフオクのオークションで、『日本の詩歌』全31巻を入手できなかったのは、痛かったけれど、
よく考えれば、ほしいものはすでに買っていたのだった。
それに、31巻もの本を入れる棚がないのだった。
そのかわりに、一冊だけ、いま書き込んだものを買ったのだった。
これでよしとするかな。 山村暮鳥の「いちめんのなのはな」のリフレインがすごい、「風景」という詩が読みたかっただけなのだ。
ぼくがさっき買ったアンソロジーに入っていたかどうかの記憶はない。
なにしろ、お風呂場で読んだのが数年まえだからな、記憶にないのだった。
神さま。
入っていますように。
千家元麿の詩もよかった。 この詩なのだ。
はじめて目にしたのは教科書だったかもしれない。
アンソロジーではなかったような気がする。
でも、きょうアマゾンで買ったアンソロジーに入っていてほしいな。
http://www.geocities.jp/sybrma/187bochou.huukei.htm この「風景」という詩が入っている『聖三稜玻璃』って、
いま調べたら、
ネットで60000円くらいで売られていたけど、
ヤフオクじゃ、10000円でも、だれも落札してなかったみたい。
10000円か。
ぼくも買わないなあ。 もっとディープに調べたら、
全詩集が1600円でネット古書店で売られていた。
「風景」って詩、
きょう注文したアンソロジーに入ってなかったら、全詩集を買おう。 きょう寝るまえの読書は、もちろん、岩波文庫の『山之口貘詩集』
薄いのだ。
もっと分厚くしても売れるのにね。
詩集を読んでて、ゲラゲラ笑ったの、ひさしぶり。
ぼくの頭もすっかりバカボンパパなのだ。 郵便受けを見に行ったら、廿楽順治さんから、同人詩誌『Down Beat』第12号を送っていただいていた。
さきに、こっちを読もう。
廿楽順治さんはじめ、
お会いしたことのある小川三郎さんや、
よく名前の知られた金井雄二さんや
柴田千晶さんや
中島悦子さんたちが書いてらっしゃる。
まさに現代詩である。 金井雄二さんの「食通」読んでると、おなかがすいてくる詩だけど、
冒頭一行目にある漢字が読めなかった。
魚へんに、有るという漢字が右についているのだが、なんだろう。
わからないまま寝るのがイヤだから、ひさしぶりに辞書でもひこうか。
英和辞典をのぞくと、辞書をひくのは10年ぶりくらいである。
マグロだった。
辞書を引くのもめんどいと思って、ネットで、魚へんに有る、で検索したら、即、出てきた。
フォロワーさんにも教えていただきました。
身近な魚なのに、読めないって、ちょっと悲しいね。 また漢字が読めないよ。
草かんむりに浦って書いて、どう読むのだろう。
柴田千晶さんの詩「ユウレイグモ」のさいごから2行目の詩句にあるんだけど。
これもネットで調べてみようかな。
IMPパッドで調べたら、蒲は、ブ、ホ、かま、がまの読みがあると出てきたのだけど、
「蒲の穂」って、どう読むのかな。 こんどは、言葉自体がわからない。
ランブルスコ。
谷口鳥子さんの詩「桜」に出てくるのだけど。
文脈からお酒だと思うけれど、
聞いたことがないものだ。
ぼくって、
こんなにバカだっけ?