田中宏輔専用スレッド
文学極道で活動している田中宏輔さんが日記を書くスレッドです 岩波文庫の『対訳 フロスト詩集』を読んでいるのだけれど、
いま半分くらいのとこ、
「After Apple-Picking」の訳のとこで、
この訳の一部分に不満だったのだけれど、
それまでのところの訳はよかった。
二度ほど眠気に催されたが、
それはロバート・フロストの原作のせいだし、
時代のせいだとも思われる。 スーパーで、そうめんを買って、
そばつゆを買ってきて、食べよう。
そうめんは、水でときほぐすだけのものがよい。
もう十年くらい、調理をしていないので、包丁もさわれない。
湯を沸かすのも面倒だ。
文学では面倒な作品をつくったり、
面倒な翻訳はするのだけれど。
それでは、スーパーに行ってきま〜す。 そとに出たら歩いてみたくなって、
西大路四条のあがったところにある「天下一品」に入って、
チャーハン定食880円を食べて、また歩いて帰った。
はじめは近所のスーパー「ライフ」に行くつもりだったのだけれど。
気まぐれなのである。
さて、これからまた、
岩波文庫の『対訳 フロスト詩集』を読もう。 寝っころがって、岩波文庫の『対訳 フロスト詩集』を読んでいるのだが、
右の肩甲骨のあたりに
小さな火山ほどの大きさのできものができて、
それがつぶれて、着ているものが汚れるうえに、
痛くて痛くてたまらないのだけども、
これも
神さまが、ぼくに与えてくださった試練のひとつかもしれないとも思う。 ぼくも楽天のブログに、
ロバート・フロストの詩を翻訳しているけれど、
岩波文庫の『対訳 フロスト詩集』の翻訳者の川本皓嗣さんは、
「Berches」に出てくる ice-storms の訳語を「凍る雨嵐」とされて「アイスストーム」のルビを振ってらっしゃるのだけれど、
「雪嵐」という訳語のほうが適切ではないか。 ルビのところの「アイスストーム」は「アイス・ストーム」の間違いね。 いま、岩波文庫の『対訳 フロスト詩集』を読み終わった。
読んだことがあるなと思った詩がいくつもあったが、
それはぼくが、つぎに紹介する、ぼくのブログに訳したものだった。
それにしても、この「対訳 フロスト詩集」に収められた
「Fire and Ice」 の訳はへたくそだった。
https://plaza.rakuten.co.jp/tanayann/diary/201703300000/ 寝るまえの読書は、デュ・モーリアの短篇集『鳥』のつづきを。
おやすみ、グッジョブ! ありゃ、ま。
デュ・モーリアの作品、
すでに読んでたことがわかった。
早川書房の異色作家短篇集・第10巻の『破局』である。
ことし読み直したシリーズなんだけど、記憶にまったくない。
なにが入っていたのかの記憶もない。
なにを読んだのかの記憶がまったくない。
なんという忘却力。
57歳。
ジジイだ。 9月1日に、文学極道の詩投稿掲示板に投稿する作品は、アドルフ・ヒットラーが作品の主人公の全行引用詩である。
幻想的な雰囲気も保ちつつ、歴史的事実にも基づいたものでもある。
きっと、まったく無視されるであろう。
知的レベルが違い過ぎるのも不幸と言えば不幸なことだが仕方がない。
事実だもの。 いま、西院のブックファーストで、
注文していたデュ・モーリアの短篇集『いま見てはいけない』を買ってきた。
帰りに、ブレッズプラスで、チーズハムサンドイッチとアイスダージリンティーをいただいた。
帰りに、セブイレで、きんつばと、麦茶を買った。
ああ、なんて単調な生活なこと。
きょうは休みだ。 柴田 望さんから、詩誌『フラジャイル』第3号を送っていただいた。
柴田 望さんはじめ、10名の方が詩を書いてらっしゃる。
吉増剛造さんの詩集『火ノ刺繍』の特集というか、詩集評と、
これは、ぼくが漢字が読めないのだが、なんとか談が掲載されている。
IPパッドで調べても出てこない漢字だった。 たしか、「けん」と読む漢字だったと思うのだけれど、
それでは出てこなかった。
ところで、いま、デュ・モーリアの短篇集『鳥』を読んでたところなのだが、
さきに、きょう柴田 望さんに送っていただいた詩誌『フラジャイル』第3号を読もう。
最新の現代詩が読めるのかと思うと、こころドキドキである。 きょう、西院のブックファーストで買った、デュ・モーリアの
『いま見てはいけない』の表紙をよく見ると、
折れて曲がっていた。キーっとなった。
もう二度とブックファーストで新刊本を買わないぞと思った。
めちゃくちゃ、腹が立つ。
ほんとうに、本は、表紙が命なんだぞと思う。
うう、ほんとに腹が立つ。 いまさっき、日知庵から帰ってきた。
きょうは、お客さまに、「ツボ専」という言葉を教わった。
「オケ専」という言葉は、棺桶に片足を突っ込んだようなジジイを好む若者のことで、
ぼくも目の当たりにしたことがあるのだけれど、
「骨壺」に入ったようなジジイを好む若者がいるらしい。
90歳越えだよね。 柴田 望さんから送っていただいた
詩誌『フラジャイル』第3号を読ませていただいた。
林 高辞さんの「詩集だけが残った」がおもしろかった。
ぼくも、トイレをしているときや、湯舟に浸かりながら、
本とか詩集とかを読むので、トイレをして、うんこを出してるときに、
重要なところを読んでることがある。 きょうも、寝るまえの読書は、
デュ・モーリアの短篇集『鳥』のつづきを。
いま200ページだけど、537ページまであるから、
まだ5分の2である。
それにしても、
デュ・モーリア、
すぐれた描写力だ。
イギリスの女性作家は、
P・D・ジェイムズといい、
アンナ・カヴァンといい、
描写のよい作家が多い。 うえの記述、つぎのように書き直した。
きょうも寝るまえの読書は、
デュ・モーリアの短篇集『鳥』のつづきを。
いま200ページだけど、537ページまであるから、5分の2である。
デュ・モーリア、優れた描写力だ。
イギリスの女性作家、たとえば、
P・D・ジェイムズ、
アンナ・カヴァン、
ヴァージニア・ウルフのように
よい作家たちが多い。 デュ・モーリアの短篇集『鳥』を読んでて思ったのだけれど、
ぼくって、なにかを食べているかのように、本を味わって読んでいるような気がする。
デュ・モーリアの翻訳がいいというのもあるだろう。
まことにおいしい食べ物を食べているような気がする。
読書において、ぼくはグルメだろうか。
どうだろう。 徹夜で、いままで、デュ・モーリアの短篇集『鳥』を読んでた。
読み終わった。
おもしろかった。
ひきつづいて、デュ・モーリアの短篇集『人形』を読む。 不覚にも眠ってしまった。
4時間弱。
いまから日知庵に飲みに行く。
デュ・モーリアの短篇集『人形』の読書は
日知庵から帰ってからにする。 ぼくの全行引用詩について触れてくださっておられる方がいらっしゃった。
https://twilog.org/NakaieNatsuko 和田まさ子さんから、詩集『軸足をずらす』(思潮社)を送っていただいた。
第2篇目に収められている「突入する」のなかの詩句に
「それだけの理由で脱げすにいるバンプス」という詩句があったのだが、
これは、「脱げずにいるバンプス」のまちがいだろう。
作者の過ちとともに、編集者の劣化をも感じる。 自分の詩句をよく見直しもせずにいる詩人の詩集など、もう読む気は失せたので、
デュ・モーリアの短篇集『人形』のつづきを読みながら、床に就こう。
おやすみ、グッジョブ! 野田順子さんから、詩集『ただし、物体の大きさは無視できるものとする』を送っていただいた。
詩句の運びは、ぼく好みのなめらかさがあって、詩句も何の抵抗もなく、するすると飲み込めるものだった。
詩自体のアイデアは学校ネタがほとんどで、ああ、こういうところに目をつけられたのだなと感心した。 せっかく送っていただいたのだから、
さいごまで読まなくては申し訳がないと思って、
和田まさ子さんの詩集『軸足をずらす』をさいごまで読ませていただいた。
うまい。
すばらしい詩句の展開。
見事な詩集だ。
たいへんな技巧家だと思った。
それだけに、
18ページの誤植
「脱げすにいる」
が惜しい。 デュ・モーリアの傑作集『人形』(を読んでいるのだが、
作者の初期の短篇集らしい。
叙述も、短篇集『鳥』(創元推理文庫)に比べると、ベテラン作家の初期の作品なんだなと思ってしまう。
ちょっと休憩して、また読もう。 なんとも言えない陳腐なタイトルと、
下品な表紙絵に魅かれて、
五条堀川のブックオフで、
16作品収録の短篇集
『ラブストーリー、アメリカン』(新潮文庫・柳瀬尚紀訳)108円を買った。
キャシー・アッカーマンが入っていなかったら買わなかっただろう。
でも、見知らぬよい作家に遭遇するかもしれない。 いま日知庵から帰った。
きょうも、お酒と、これから読むデュ・モーリアのすてきな短篇集『人形』で一日が終わる。
文学、あってよかった芸術分野だな。
ぼくは不器用だから楽器もへただったし、
絵もへただったし、
詩以外にできることなんて、ひとつもない。
その詩も、ぼくが無名のせいでしゅんとしてる。 無名のせいでお前の詩がしゅんとしてるんじゃねえよ
詩が冴えないから無名のままなんだよ
思考回路おかしいんじゃない? 辛辣なレスに草
あっちょん怒りのセブイレきんつば買いしそうだな。ww うとうとして昼寝をしてしまった。
弟の夢を見ていた。
かわいらしい子どものときの夢だ。
大人になって、発狂して、精神病になってしまって、顔も醜くなってしまったけれど、
子どものときは天使のようにかわいらしかったのだ。
父と母が甘やかして育てたせいである。
ぼくは父母を憎む。
もう死んだけれど。 きょうは、うとうとしながら、
ずっと、デュ・モーリアの傑作集『人形』のつづきを読んでた。
寝るまえの読書もつづきを。
おやすみ、グッジョブ! さいきん、お昼ご飯は、
イオンで、冷たいうどんと、鶏ご飯とのセットを食べている。
590円なので、手ごろな価格で、おなかがいっぱいになる。 ケンタッキー・フライド・チキンに行った。
680円のセットメニューを食べた。
ドリンクはコーラ。
糖尿病にとっては毒物である。
まあ、うどん屋に行列ができてて、
並ぶのが嫌で、
だれも並んでいないところに行っただけなのだが。 いま、デュ・モーリアの傑作集『人形』のさいごに収録されている「笠貝」を読んでいるのだが、
読んだことのあるような記憶がある。
似た設定の小説を読んだのかもしれないけれど。
きょうは日知庵にアルバイトだ。
行くまでの時間に読み切れると思う。
300ページちょっとの本にけっこう時間をとられた。 デュ・モーリアの傑作集『人形』を読み終わった。
さいごに収録されてあった「笠貝」は、やはり、以前に読んだものだった。
ネットで、なにで読んだのか調べたけれど、傑作集『人形』にしか収められていないようだったので、不思議だ。
たしかに以前に読んだ作品だった。
もう少し調べてみるかな。 ネットで調べても、ぼくの本棚にある、岩波文庫の『20世紀イギリス短篇集』上下巻、エラリー・クイーン編『犯罪文学傑作選』を見ても、
デュ・モーリアの「笠貝」は目次になかった。
おかしい。
たしかに読んだはずなのに。
日知庵に行くまでの時間、さらに調べてみよう。 原題の「The Limpet」で検索した。
早川書房の異色作家短篇集の第10巻、ダフネ・デュ・モーリアの短篇集『破局』のさいごに収録されていた、邦題「あおがい」が、そうだった。
まったく異なる邦題なので、すぐに探せなかったのである。
読んだことがあると思った通りだった。
これでひとまず、ひと安心。 肝心の作品「笠貝」または「あおがい」という邦題の短篇だが、
サマセット・モームの作品にも似た、
にやにやと読んでる途中でも笑けるブラック・ユーモアに満ちたもので、
人間のもついやらしさというかあさましさを表していた。 もちろん、こんなにこだわったのは、傑作だと思ったからである。 【癌センター、収益UP】 ×さくらももこ(53) △貴乃花(46) ×亜利弥((45) △神の子KID(41)
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1535420186/l50
これからが癌地獄の本番! 放射能無関心にブーメラン戻るー! ぼくのもっとも信頼している英和辞典、
カレッジ・クラウン英和辞典で、
limpet を引くと、
アオガイ・アミガイの類(海岸の岩石や棒ぐいなどに付着している
小さな編みがき状の貝がらを持った節足動物;肉は魚釣のえさになったり中には食用になるものもある)
語源は古代英語のlempedu, lamprey とあった。 きょうから寝るまえの読書は、デュ・モーリアの短篇集
『いま見てはいけない』だ。
西院のブックファーストで買ったのだけれど、
部屋に帰ってよく見たら、
表紙が曲がっていて、
キーって精神状態がもろに悪くなったシロモノだ。
交換しろと迫ってもよかったのだけれど、
レシートを捨ててたからあきらめた。 そこにも、ここにも、田中がいる。
豊のなかにも、田中がいる。
理のなかにも、田中がいる。
囀りのなかにも、田中がいる。
種のなかにも、田中がいる。
束縛のなかにも、田中がいる。
お重のなかにも、田中がいる。
東のなかにも、田中がいる。
光輪のなかにも、田中がいる。
軸のなかにも、田中がいる。
竹輪のなかにも、田中がいる。
輪のなかにも、田中がいる。
甲虫のなかにも、田中がいる。
横軸のなかにも、田中がいる。
触のなかにも、田中がいる。 きょう、大谷良太くんと会って、
collective BRIGHTNESS の全訳の話をした。
ぼくと、もうひとりの詩人との共同の、
大掛かりな翻訳になるのだけれど、
ぼくが訳す詩があと40篇くらいあって、
1年から2年はかかると思う。
翻訳作業に入ったら、
通勤時も寝るまえも、
翻訳のことで、
いっぱいになるだろう。 もう、アメリカの出版社と編集者の許可は取り付けてある。
残っているのは、翻訳の実行と日本語全訳の詩集の出版だけである。 もどっておいで、ほら。
またも蜜蜂たちは、わたしのところへもどってくる。 デュ・モーリアの傑作集
『いま見てはいけない』を読んでたら、
おもしろくて眠れず。
うううん。おもしろいのにも、ほどがあると思う。
眠れなくさせるのは、完全な行き過ぎ。
いま2篇目の小説だけど。
(5篇収録の短篇集) デュ・モーリアの短篇集『鳥』も、けっきょく、徹夜するくらい、すごくおもしろかったものね。 きょうは、夕方からイレギュラーの塾だ。
塾が終わったら、日知庵に飲みに行く。
塾に行くまで、デュ・モーリアの傑作集『いま見てはいけない』のつづきを読んでいよう。
字が詰まっている。
読みにくい。
ブランチを、西院のブレッズプラスで食べよう。
ハムチーズサンドイッチとアイスダージリンティーだ。 ブレッズプラスで、食事後、
デュ・モーリアの傑作集『いま見てはいけない』の三作目「ボーダーライン」を読んでいると、
ひきつづき捜しつづけていた詩句「きみの名前は?」
(ダフネ・デュ・モーリア『ボーダーライン』務台夏子訳、203ページ)と遭遇した。
さっそく「HELLO IT'S ME。」に加えよう。 いま日知庵から帰って、文学極道の詩投稿掲示板に、作品を投稿しました。よろしければ、ごらんください。→http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=10700 葉山美玖さんから、小説『籠の鳥 JAILBIRD』を送っていただいた。
クリニックに通う女の子の成長物語だ。
会話部分が多くて、
さいきん余白の少ない目詰まりの小説ばかりを読みつづけているぼくにとっては、
読みやすい。
ぼくなら、平仮名にするかなと思う個所が漢字であるほかは、
ほんとうに読みやすい。 デュ・モーリアの傑作集『いま見てはいけない』を早朝に読み終わった。
デュ・モーリアの傑作集『人形』より長めの短篇が入っていたのだが、
とくにさいごに収められた短篇などは、『人形』の作品と違って、あいまいな印象をうけた。
だが、読んでるときは、どれもおもしろく感じれてよかった。
佳作かな。 ちょっとまえに、西院のブレッズプラスから帰ってきた。
岩波文庫の『キーツ詩集』を読み終わった。
これから、ルーズリーフに書き写す作業に入る。
夕方までに終えられたら、日知庵に飲みに行こうって思っている。
あしたから学校なので、はやい時間に帰ると思うけれど。
というか、帰らなくちゃいけない。 いま、日知庵から帰ってきた。
きょうから寝るまえの読書は、あの下品な表紙の『ラブストーリー・アメリカン』(新潮文庫・柳瀬尚紀訳)である。
ひじょうに楽しみ。
きっと、人間がどこまで薄情で下品かってことが書いてあるような気がする。
先入観だけどね、笑。
あの表紙を見ると、そう思えてくるのだ。 短篇集『ラブストーリー、アメリカン』、
やっぱり、へんな短篇集みたい。
冒頭の作品から、いきなり、妹のバービー人形とセックスするお兄ちゃんのお話だ。
キャシー・アッカーマンが入ってたので買ったのだが、
これは期待していい短篇集のような気がする。
大げさすぎるところが、アメリカンって感じだ。 新潮文庫の『ラブストーリー、アメリカン』
2番目の短篇は、レズビアンのお話で尻切れトンボみたいな終わり方をするものだった。
3番目の短篇は男に執着する女で、男にできた新しい女に嫉妬して喧嘩して目をえぐられる話だった。 いま、短篇集『ラブストーリー、アメリカン』に収録されている4篇目のデイヴィッド・フォスター・ウォーレスの「『ユリシーズ』の日の前日の恋」という作品を一文字も抜かさず読んでいるのだが、
さっぱりわからず。
まあ、意味のわからないものも、ときには読んでみる必要があるとは思っているのだが。 いま塾から帰ってきた。
塾が移転して、ちょっと遠くなったのだ。
塾の空き時間に、短篇集『ラブストーリー、アメリカン』のつづきを読んでたのだけれど、
5篇目にして、ようやくふつうの恋愛小説になった。
つぎに6篇目はめっちゃ差別的な作品で、そのつぎに、またふつうの恋愛小説になっているようだ。 わかっていることがわからないことと、
わかっていないことがわかっていることとは、まったくちがうことである。
わかっていることがわかっていることと、
わかっていないことがわかっていないことも、まったくちがうことである。 これから塾。
水曜日の振り替え。
連日の仕事はきついな。
身体が慣れていない。
ふつうのサラリーマンだったら、若いときに、即、やめていただろうな。 どこが解らないかが解らないと生徒が言ったらそれは
あなたの教え方が悪いんだよ。 大雨の警報のせいで、学校の授業がなくなったので、
短篇集『ラブストーリー、アメリカン』のつづきを読んでいる。
あと4篇くらいで、読み終わる。
少年愛の中年女性の話や、ゲイの話や、性奴隷志願者の女性の話などがつづいて、
まっとうな恋愛ものはほとんどない。
でも、ルーズリーフ作業はできそうだ。 短篇集『ラブストーリー、アメリカン』を読み終わった。
ふつうの恋愛小説は皆無だった。
ふつうの、というのは、白人同士の
同年代同士の
ストレートのカップルの健康的な恋愛話は、という意味。
老人同士の狂った恋愛話がさいごの短篇。
これから、これをルーズリーフ作業する。
ルーズリーフのネタは多い。 短篇集『ラブストーリー、アメリカン』のルーズリーフ作業が終わった。
1ページに収まった。
きょうから読むのは、再読になるが、Amazon で買った、恐怖とエロスのアンソロジー『レベッカ・ポールソンのお告げ』である。
13篇の物語が入っているのだが、例によって、ひとつも記憶にない物語ばかりだ。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
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●●●●●-‐‐ ''^~ きょうは大雨警報が出てて、学校が休校だった。
ぐったり疲れていて、いままで寝てた。
体力がなくなってる。
夏バテかな。 ちょっと寒くなってきた感じがする。
窓を閉めようか思案中。
頭がぼうっとして、きょうは読書もはかどらない。
あくびばかりが出る。
齢かな。
あと3カ月で58歳になる。 松川紀代さんから、詩集『夢の端っこ』を送っていただいた。
言葉の置き方がとても落ち着いた詩句が書かれてある。
書き手の実生活感がある詩句が書かれてある。
読み手に読みの困難さを要求する詩句はいっさいない。
やわらかい、ここちよい詩句。
読ませていただいて、こちらのこころも落ち着く気がした。 表紙がまたおもしろい。
というか、たいへんにていねいなつくりなのである。
文字の部分が貼り絵になっているのである。
びっくりした。こんなに手間暇をかけてある詩集に出くわしたのは、はじめてである。
落ち着いた詩句にもぴったり合う。
書き手のこだわり、性格なのであろう。
誠実な方を思い浮かべる。 アンソロジー『レベッカ・ポールソンのお告げ』を半分くらい読んだ。
読んだ尻から、もうほとんど忘れている、笑。
きょうは、夕方に塾があるので、それまでに、これから残りの半分を読み切りたい。
がんばるぞ。
翻訳は来週からする。
これを含めて、あと3冊、アンソロジーを読んだら、翻訳にとりかかる。 アンソロジー『レベッカ・ポールソンのお告げ』を読み終わった。
強く印象に残ったのは、冒頭のタイトル作品と、
さいごに収録されていた作品くらいで、
トマス・M・ディッシュは大好きな作家だが、収録作品は並だった。
きょうは、これから、夕方に塾に行くまで、
金子光晴の『どくろ杯』のつづきを読む。 ちなみに、トマス・M・ディッシュは
コンプリートに集めた作家で、
去年、書籍の半分を友人に譲ったときにも、
一冊も手放さなかった作家である。
『歌の翼に』
『M・D』
『ビジネスマン』
『334』
『人類皆殺し』
『キャンプ・コンセントレーション』
『プリズナー』は傑作である。
なかでも『歌の翼に』は群を抜いて傑作である。
『ビジネスマン』も群を抜いている。 >>287
マッチョだからどうでもいいことだらだら書き込んでるんだろ 茂木和弘さんから、詩集『いわゆる像は縁側にはいない』を送っていただいた。
一行一行の詩句が短く簡潔で、かなりレトリカルな展開をしていくのに読みやすくて、
読んでて新鮮だった。
簡潔でレトリカルというのは、新鮮な驚きを感じさせられた。
詩を読んでいて、潔いといった言葉がふと浮かんだ。 金子光晴の『どくろ杯』を読み終わった。
徹夜した。
読みにくかったけれど、字が詰まりきりで、会話部分がほんのほんのわずかしかなく、ぜんぶといってよかったほどほとんど字詰まりだった。
でも、金子光晴の記憶力はすごいね。
びっくりした。
76歳で、鮮明に20代30代のことをとことんを憶えていた。 あさから病院にいくので、このまま、恐怖と絵里氏のアンソロジー第2弾『筋肉男のハロウィーン』を読もう。
これは、一、二か月くらいまえに、堀川五条のブックオフで108円で買い直したもの。
例によって、収録作品をひとつも記憶していない。
新刊本を買ってるようなお得な気分だ。
おもしろいかなあ。 >>284
貼り絵でもないし内容も平凡だ
田中はほんとバカとしか言えない
詩が読めてないw 「台湾兵。」「ハイ!」「休憩したか?」「ハイ、休憩しました!」「では、撃て!」 空に浮かぶ青でさえ胸狭い バッグの中の面積を集める 小松宏佳さんから、詩集『どこにいても日が暮れる』を送っていただいた。
冒頭の作のさいごの三行「地峡へ向かうこの石の階段は/わたしたちの運命を/かぞえている。」にみられるようなレトリックがすばらしい。
「逆の視点」だ。
おわりのほうの詩「春荒れ」にも見られるが、非常に効果的なものと思う。 『筋肉男のハロウィーン』を読み終わった。
きょうから、文春文庫のアンソロジー『厭な物語』を再読する。
パトリシア・ハイスミスの「すっぽん」とか
シャーリー・ジャクスンの「くじ」なんて、何度読み返したかわからない。
いちばん再読したいのは、フラナリー・オコナーの「善人はそういない」である。 草野理恵子さんから、同人詩誌『Rurikarakusa』の第9号を送っていただいた。
草野さんの2作品「白い湖」と「靴下」を読ませていただいた。
「白い湖」は、モチーフ自体が扱うのが難しいものだと思うのだが、
草野さんの「書く気迫」のようなもの、
「勇気」といったものを見させていただいた気がする。 「鼎談」ていだん、と読むこの漢字が、3人による座談会を表現する言葉だと、はじめて知った。
二人の座談会が「対談」というのは知ってたけれども。 アンソロジー『筋肉男のハロウィーン』を徹夜で読み直した。
憶えている物語が8、9割あった。
それだけ名作が収録されていたのだろう。
中断していた、というより、読み直しさえまだしてなかった、奇想コレクションの、シオドア・スタージョンの「[ウィジェットと]と[ワジェット]とボフ」を再読しよう。 もう一度、パラ読みで読み直した。憶えていたのは、6、7割だった。
それも、読んでいるうちに思い出したのを入れてだ。
相変わらず記憶力が衰えていることがわかる。 見つけたぞ。何を? 「きみの名前は?」(シオドア・スタージョン『必要』宮脇孝雄訳)
奇想コレクション、シオドア・スタージョンの『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』の77ページの4行目にあった。
これで、コレクションがまた増えた。
(「HELLO IT'S ME。」の詩句がさらに長くなった) これ、再読なんだよね。
なんで初読のときに見つけられなかったのか、不思議。