田中宏輔専用スレッド
文学極道で活動している田中宏輔さんが日記を書くスレッドです 田中は自分で詩集をかわずにもらってばかりだから
詩を読む力がつかない
コメントのバカさ加減に呆れる 阿賀 猥さんから、『豚=0 博徒の論理』を送っていただいた。
カラーページがとてもきれいで、描かれた絵がかわいらしかった。
詩という枠を超えて、エンタメしてらっしゃると思った。
というか、詩の本かどうかっていうのは、それほど大事なことじゃないのかもしれない。
ペソアの断章を思い出した。 片岡直子さんから、詩集『晩熟』を送っていただいた。
よく見かけたお名前なので、ユリイカの投稿時代(30年まえ)が思い出された。
片岡さんの詩句は、落ち着いた円熟したものに思われ、詩集のタイトルの『晩熟』と通じる、大人らしさが感じられた。 いま一時間くらい本棚を探してたら、ルーシャス・シェパードの『緑の瞳』がなかったので、Amazon で買い直した。
傑作だったので、手放すことなどなかったはずのものだったのに。
仕方ないね。 もう一度、本棚を探してみるか、と思って、探したら、
ルーシャス・シェパードの『緑の瞳』が見つかった。
なんという、なまくらな目をしているのだろうか、ぼくは、と思った。
きょうから、この『緑の瞳』を読み直そう。
奇想コレクション・シリーズの読み直しは中断して、こちらの方をさきに読み直そう。
この本の主人公は、自分が詩人だったことを憶えている、詩人ではなかった者だった。
ぼくの記憶違い。
ゾンビ―になると、生前と違った記憶を持つことになるのだった。
きょうは、そこくらいまでしか読み直せなかった。
つづきは、あした以降。 桑田 窓さんから、詩集『メランコリック』を送っていただいた。
適切なレトリック。
過剰でもない、不足してもいない、まさに的確なレトリックの使い方をされているなと思われた。
とてもていねいにつづられていく詩句に、作者の目の確からしさを見たように感じられた。
難解なところはまったくない。 小林 稔さんから、詩集『一瞬と永遠』を送っていただいた。
詩句の言い回しが知的だと思った。
それに描写がこと細かく具体的だ。
知的なのに抽象に赴かない詩は稀だと思う。
ていねいに知的な言葉が重ねられていく様を目にした印象が強く残る詩集であった。
それが風格というものだろうか。 2014年に思潮社オンデマンドから出た、ぼくがLGBTIQの英語圏の詩人たちの英詩を翻訳した『LGBTIQの詩人たちの英詩翻訳』が、Amazon で売れたようだ。
うれしい。
LGBTIQにとって切実な詩や、
かっこいい詩や、
かわいい詩など、
いろいろ訳した記憶がある。 松屋で晩ご飯を食べるまえに、西院のブックファーストで、ルーシャス・シェパードの『竜のグリオールに絵を描いた男』を買ってきた。
短篇集で、本のタイトル作品のシリーズが収録されている。タイトル作品だけは、短篇集『ジャガー・ハンター』に入っていたので既読だが、ほかのものは未読だったのだ。 まだやっていたのか。
あっちょん怒りのきんつばセブイレ買いWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW 安田 有さんから、詩文集『昭和ガキ伝』を送っていただいた。
二十八年ぶりの詩集ということである。
状況のよくわかる適切な描写であった。
穏当な詩句がつづられている。
長いあいだに書かれたものを目にしたためか、
ぼく自身のここ30年というものに思いを馳せた。 小川三郎さんから、詩集『あかむらさき』を送っていただいた。
収められている詩は、小説で言うならば、奇譚の部類に入るもので、
詩句の運びは、ひっかかるところがまったくない流暢なものであった。 洗濯物を取り込んで重ねていただけなのだけど、ひとに見えた。 みっぺは宇宙人かもしれない。
ママのペンとリップをつかって、顔面は非対称。
うん。
みっぺは宇宙人にちがいない。 毛毛脩一さんから、詩集『青のあわだつ』を送っていただいた。
ブレスの長さが、ぼくと比べて、2倍くらい違っていて、息の長い詩句がつづく。
息の長さは、なにかに比例しているような気がした。
そのなにかというのを明確に書き表すことはできないけれど、
情の深さ、念のようなものとかとかとか思った。 いま、ルーシャス・シェパードの短篇集『竜のグリオールに絵を描いた男』に収録されている第3篇目「始祖の石」を読んでいるのだけれど、
ロバート・エイクマンやコッパードやダンセイニの短篇集とかで読んでいないものがあって、気になったので Amazon で検索してた。
いや検索してたら、出てきたのか。 ちょっと浮気をして、
宝物としている、ジェラルド・カーシュの短篇集『壜の中の手記』を読み直そうかな。
カヴァーの裏に値札を剥がした剥がれ跡があるのだけれど、
この本は、ブックオフの105円(だった)コーナーに置いてあった本で、手に入れたものベスト3のなかに入る3冊の本の中の一冊である。 ちなみに、ベスト1は、
付き合ってた青年が、ぼくにプレゼントしてくれた、
デューン・シリーズさいごの3冊
『砂丘の大聖堂』1,2,3巻。
各巻105円で買ってくれたらしい。
当時は古書値として5000円くらいするものだった。
ベスト2は、古本市場で105円で買った『エミリ・ディキンスン評伝』 たくさんの本を昨年手放したけれど、傑作をまだまだ本棚に残しているのだなあと思った。
憶えているものもあるけれど、記憶していない作品もたくさんある。
死ぬまでに何度も読み直すだろうけれど、忘却力が烈しくなってきたので、
読むたびにまた新刊本を読んでる気分で読めるのだった。
得な性分だなあ。 Amazon で、いま、『砂丘の大聖堂』シリーズ3巻を買おうとすると、いくらくらいするか調べたら、
第1巻、第2巻は300円から600円で買えるみたいだけど、
第3巻は4000円してた。
いまだに入手困難なものなのだなあと思った。 文学極道の詩投稿掲示板に、作品を投稿しました。よろしければ、ごらんください。
→
http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=10855 ルーシャス・シェパードの短篇集『竜のグリオールに絵を描いた男』を読み終わった。
これから、寝るまで、シェパードの処女長篇『緑の瞳』のつづきを読もう。
それとも、マーガ・ラナガンの短篇集『ブラックジュース』のつづきを読むか。
クスリをのんでから決めよう。
おやすみ、グッジョブ! ひさびさに、2014年に思潮社オンデマンドから出した『ゲイ・ポエムズ』が売れた。
うれしい。
詩人で翻訳家のジェフリー・アングルスさんに、『ゲイ・ポエムズ』の一部を英訳してアメリカの雑誌に掲載していただいたものがある。これね。
→ https://queenmobs.com/2016/11/22392/ ブライアン・オールディスは、ぼくの大好きなSF作家である。
数年前に買った『寄港地のない船』を、きょうから読む。
ルーシャス・シェパードの『竜のグリオールに絵を描いた男』より
ずっとまえに買った本だけれど、同じ竹書房文庫から出た本だけど、
きょうから読むことにする。
おやすみ、グッジョブ! 長尾高弘さんから、『抒情詩試論?』を送っていただいた。
著者とはネット上の付き合い以前からのお付き合いで、いろいろお世話になっている。
詩のタイトルがページはじめの中ごろにかかれてあって、新鮮だった。
作品は、穏当なものが多く、落ち着いて読めた。
「報い」など、こころにしみるものが多かった。 ああ、蟻とか羽虫とか昆虫のタイトルの詩を書いたことがあったな。
まだ文学極道に投稿していなかったな。 手近の本棚に、なにがあるのか(昨年、多数、ひとに譲ったので、なにが残っているのか正確には知らないのだ)
見ていると、フレドリック・ブラウン編のSFアンソロジー、『SFカーニバル』があったので、
なつかしくて、つい読み始めたのだった。
まださいしょのものだが、読んだことだけは憶えていた。
いま38ページだ。あと7ページで読み終わる。
結末は憶えていない。けれど、雰囲気はよさそうだ。というか、いま
そのページを額の脂で汚してしまった。
ときどき、そういうことになる。
不器用な自分を呪う。
まあ、いいか。ずっと手元に置いておくつもりの本なのだから。
クスリをのんだ。
ねる。おやすみ。 齢を取ったらやりたかったことが、いま57歳と9カ月でできている。
というか、57歳は、齢を取ったことになるのかな。
好きな本を読んで、じっくりとその作品を味わいたいという気持ちが満たされている。
このうえない喜びだ。
もっと齢を取ったら、すべての時間をそれに注げることができる。
楽しみだ。 2014年に思潮社オンデマンドから出た
田中宏輔のベスト版詩集『ゲイ・ポエムズ』がまた売れたようだ。
うれしい。
収録作の半分が既出の詩集未収録作品である。 神経科医院の待合室で数時間、ブライアン・オールディスの『寄港地のない船』を読んでいた。
で、診療のあと、まだ読み終わらなかったので、待合室でさいごまで読んだ。
大好きな作家の処女長篇である。
よかった。
帰ると、注文していた、チャールズ・シェフィールドの『ニムロデ狩り』が届いていていた。 『ニムロデ狩り』はまだ読まない。
昨年、ひとに譲った小説だったので(自分の本棚を軽く見てなかった本なので)
買っただけの本である。
本って、いつ、どんな金額になるかわからないので、
買っておいたのだ。
むかし読んだとき、B級SFで、
でも、おもしろかった記憶があるので、買っておいたのだった。 『ニムロデ狩り』を、なぜ手放したかというと、
たぶん、カヴァーが気に入らなかったんだと思う。
でも、きょう届いた本を見ると、手放さなくてもよかったのではないかというくらいの出来のカヴァーだったので、
これが、ぼくのカヴァーの評価軸の基準線なんだな、と思った。
きょう見たら、よかったのだ。 イギリスSF傑作選『アザー・エデン』をひさしぶりに手にしてみた。
冒頭に収められている、タニス・リーの『雨にうたれて』を読み直した。
放射能汚染が軸にあり、その影響下にある人々のあいだに、汚染度の違いによる階級差が生まれている国家の物語だ。
現代日本のある都道府県のことが頭に浮かんだ。 海東セラさんから、同人詩誌『グッフォー』の69号と70号を送っていただいた。
69号に収められた海東セラさんの「ドールハウス」も、70号に収められた「塊」も散文詩で、言葉が流れるようになめらかだった。
よどみがないというのは、海東セラさんの文体のようなものを指して言うのだ思った。 パソコンのない時代に、
自分の全作品を2冊の私家版の詩集にして50部ずつつくったことがあった。
『陽の埋葬』と『ふわおちよおれしあ』である。
A4サイズで電話帳のように分厚いものだが、
ぼく自身がある意味、辞典として利用している。
中原中也や村野四郎や会田綱雄の詩のパロディーを書いたものが文学極道の詩投稿掲示板ではまだ発表していなかったので、
それを電子データにしておこう。
未発表といえば、
未発表の「陽の埋葬」もたくさんあった。
面倒だが、そのうちそれらも電子データにしておこう。 きのう寝るまえに、イギリスSF傑作選『アザー・エデン』に収められている、
クリストファー・エヴァンズの「人生の事実」を読んで眠った。
作品は、女権が異様に貶められている惑星のなかで、
ひとりの少年が取る言動を通じて、
人間について考えさせるものだったのだが、
差別というものの気持ち悪さに、
ぞっとさせられた。
ぞっとさせるのが目的に書かれたであろう、その着想に、作者のイノセントさがあるのだろうが、
あらゆる差別について、気持ち悪い、ぞっとさせるようなものがあるのだなと思った。 きのうは、イギリスSF傑作選『アザー・エデン』に収録されている、2篇、
M・ジョン・ハリスンの「ささやかな遺産」と、
イアン・ワトスンの「アミールの時計」を読んで眠った。
いま、両方とも、読んだ記憶が吹っ飛んでいる。
内容がまったく思い出せない。
ちょっと読み直そうかな。
ものすごい忘却力。 きのうは、寝るまえに、イギリスSF傑作選『アザー・エデン』に収録されている、ブライアン・オールディスの「キャベツの代価」を読んで寝た。
時間SFによくあるウラシマ効果を扱った作品で、近親相姦を採り上げたもの。
わかりやすかった。
イギリス作家らしい、書き込みの濃い叙述のSF小説だった。 東寺のブックオフで、SFマガジン・ベスト1『冷たい方程式』を108円で買ってきた。
もってるものより、状態がいい可能性があったからである。
帰ってきて、本棚から『冷たい方程式』を出すと、もってるもののほうがきれいだった。
108円、損しちゃった。
ほかの本でも買えばよかったのにね。 あたらしく編集し直されたSFマガジン・ベスト1『冷たい方程式』には、キャサリン・マクレインの「接触汚染」が入っていないのだが、
これは冒頭におかれるほどの傑作だった。
きょうから、こっちを読み直そうかな。 日知庵からの帰り道、
丸善で、
ハヤカワSF文庫の『冷たい方程式』を買った。
これは、
昼に、ブックオフで買った『冷たい方程式』と異なる、
新編集版のSFアンソロジーであり、かぶっているのは2作だけで、
7作が新訳だそうである。
きょうから、新編の『冷たい方程式』から読んでいこうと思う。 イギリスSFのアンソロジー『アザー・エデン』の重苦しい描写からうってかわって、
ロバート・シェクリイの「徘徊許可証」が冒頭に収められている新版のSFアンソロジー『冷たい方程式』を読むと、
なんとのどかな雰囲気なのだと呟かずにはいられない。
イギリス作家の重苦しい描写も好きなんだけどね。 いま、アシモフの「信念」を読み終わったところだ。
冒頭のシェクリイの「徘徊許可証」とアシモフのまえに置かれた、ウォルター・テヴィスの「ふるさと遠く」と、ジョン・クリストファーを除くとアメリカ人作家だったことに気がついた。
読みやすかった。
アシモフとテヴィスは再読か再々読の短篇だった。
『アザー・エデン』は、ひじょうによい短篇集だったが、叙述も内容も重苦しかった。
イギリス人作家は大好きだけど、読むと、ときどき、へとへとになる。
アメリカ人のSFは読みやすい。
まあ、だいたいのところで、例外はあるけれど。 それはよくあることだった。
外部の刺激、この場合は音だったのだが、
それが原因で目が覚めるのだが、
夢のなかで、その音が出てきて覚めるのだった。
ホテルのなかで、「パイナップル」と連呼しながら太った男が二階から一階に階段を下りてきたのだが、
現実世界でうえの階のひとが「パイナップル」と連呼するCDをかけていたのであった。
このことを記憶しておこうとして、ぼくはふたたび眠り、
ホテルの4階の自分が泊まっている部屋に行くイメージを頭に描いて横になって、
ふたたび夢のなかに没入し、部屋においてあるパソコンをあけて、スイッチを入れたのだった。
とそこでふたたび目が覚めてしまったのだった。 ミンちゃんが、SF小説にはまりだしたようだ。
この間、ブックオフで買ってダブってしまった、
SFマガジン・ベスト1の『冷たい方程式』を
プレゼントしよう。 今のゴミのような詩壇
その中では悪くはない田中
そこでつげ上がってはあかん
本物の詩はさくっと晴れやか
李白、白楽、定家はそろそろ現れるかしらん
俊太郎、最果、、、、所詮草野球の四番 今のゴミのような詩壇
その中では悪くはない田中
そこでつけ上がってはあかん
本物の詩はさくっと晴れやか
李白、白楽、定家はそろそろ現れるかしらん
俊太郎、最果、、、、所詮草野球 パンを食べている映像を見て、おなかも空いていたので、
セブイレに行って、パンを買ってきて食べた。
ひとが食べていると、自分も食べたくなるのは、どうしてだろう? 新編のSF短篇アンソロジー『冷たい方程式』を読み終わった。
わかりやすい作品ばかりだった。
いちばん好きなのは、ウォルター・テヴィスの「ふるさと遠く」だった。
アイデアもすばらしいし、叙述もすばらしい。
「ふるさと遠く」は、そのタイトルのテヴィスの短篇集ももっていて、既読ではあったのだが。 旧版のアンソロジー『冷たい方程式』(ハヤカワSF文庫)を読みながら寝よう。
冒頭に収められた、キャサリン・マクレインの「接触汚染」は、ほんとに傑作だと思う。
新編には収められていないのだが、版権の関係だと思うんだけど、新版に収録されていないのは、ほんとに惜しい。
おやすみ、グッジョブ! 若いときに書いたものを、文学極道の詩投稿掲示板に投稿した。
30代だったろうか。
はてさて40代か。
ぼくは、自分のすべての作品を一つのストーリーにまとめようとしていたのだった。
愚かな試みだったと、いまでは思っている。
わざわざそんなことをしなくても、もともと一つのストーリーだったのだ。 この数週間ばじゃり、錯乱状態であった、
まともに読書もできていなかった、
短篇を読むので、せいいっぱいだった。
齢をとると、こうなるのか。
ぼくだけのことなのだろうけれど、きょうから気を強くもって、読書に挑みたい。 花狂う
四季の星
土星の大気のように
冷めた朝
蕾のひとつが
落ちる
夢をみる
みていた夢に貪る手
人の手
人の手首に備えられた
人の手
花狂う 夏野 雨さんから、詩集『明け方の狙撃手』を送っていただいた。
まだまだ新しい言葉の組み合わせがあるのだなあと思った。
作者の現実はうかがい知ることができなかった。
作品の目的が別のところにあるからだと思った。
言葉運びは、なめらかで、うつくしい。
しかも的確だ。
かわいらしい表紙が印象的。 松田悦子さんから、詩集『Ti amor━君 愛しています』を送っていただいた。
詩句を読点ではなく、一行空白にてほぼ分節化してある、独特のフォルムだ。
また、その個所で体言止めになっている個所が多く、そのことも独特の雰囲気を詩句にもたせることになっているのだと思われる。 思潮社オンデマンドから2017年に出た、『図書館の掟。』が、ひさびさに売れたようだ。
うれしい。
いったい、どなたが買ってくださったのかは、わからないけれど、うれしいことだ。 ささいなことがささいなことでなくなる瞬間。
みかんの数を数え直す。 柴田 望さんから、同人詩誌『フラジゃイル』第4号を送っていただいた。
柴田さんの作品「粉」、吉増剛造さんの初期の詩を思い起こさせるような詩句の繰り出し方で、びっくりした。
いま初期の吉増剛造だなんて、新鮮な感じがした。 廿楽順治さんから、同人詩誌『Down Beat』第13号を送っていただいた。
廿楽さんの作品「中華料理上海桜」に出てくる「ふるい耳」に、ぼくの耳が反応した。
この短い詩句に、ぼくの耳が、自分の思い出を思い出させられていた。 ここ数週間、体調が悪くて、あまり読書もできずにいたが、きょうは、なんだか気分がいい。
きのうまでに、イギリスSF短篇の傑作集『アザー・エデン』を半分ちょっと読んだ。
今晩は、マイケル・ムアコックの「凍てついた枢機卿」を読んで寝よう。
『この人を見よ』の作者である。おやすみ、グッジョブ! 藤井晴美さんから、詩集『量子車両』を送っていただいた。
一気によませていただいた。
言葉を自由自在に駆使して、言葉のコラージュをつくっておられるような気がした。
ぼくの詩集『The Wasteless Land.IV』を思い出したりもした。 葉山美玖さんから、個人詩誌『composition』の第3号を送っていただいた。
「父」と「天井大嵐」と題された詩篇にこころの目がとまる。
詩を読みながら現実を求めている自分を強く意識した。 2012年に書肆山田から出した、ぼくの詩集『The Wasteless Land.VII』が、ひさしぶりに売れたみたいだ。
うれしい。
引用詩集と副題を付けたように、引用を駆使した作品のみを収録したものである。 宮尾節子さんのツイッターを使わせていただきました。「来年の」だけ、ぼくの付けたしで、あとはコピペです。
来年の1月19日(土)に【花の京都で連詩組・トークと朗読会】を開催することになりました!
場所:京都市左京区岡崎「おうちギャラリー美緑(ミロク)」
時間:午後5時〜7時
🌟ゲストは田中宏輔さん。連詩組の方もそうでない方もオープンマイクもありますので、是非ご参加ください。 元旦からひとりぼっち。
ウルトラQのDVDを見てすごす。
やっぱり、ウルトラQの出来はすばらしい。
ちくわを肴に、コンビニで買ったハイボールも2杯のんで、いい感じ。
ウルトラQ、涙が出るくらい、いい出来だ。 2017年に思潮社オンデマンドから出した、『図書館の掟。』が売れたようだ。
うれしい。 イギリスSF短篇集『アザー・エデン』さいごに収録されたリサ・タトルの「きず」を読んで寝よう。
ギャリー・キルワースの掌編3篇は笑った。
質の高いアンソロジーだった。
むかしはじめて読んだときも、アンソロジーとして、質が高いと思ったのだけれど。 リサ・タトルの「きず」を読み終えた。
おもしろかったという記憶通り、おもしろい作品だった。
内容は憶えていなかったのだけれど。
きょうから、イアン・マクドナルドの『火星夜想曲』を読む。
まあ、きょうは、後書きと冒頭の作品の一部で眠りにつくことになるのだろうけれど。
楽しみだ。
これは初読だ。 文学極道の詩投稿掲示板に、作品を投稿しました。
よろしければ、ごらんください。
こちら→http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=10985 クリアホルダー20枚と用紙500枚を買ってきた。
1月19日(土)の朗読会で配布する、ぼくの詩のテキストを印刷するためだが、
いま考えているのは、18枚に相当する量で、30分の朗読では、多すぎるかもしれない。
途中でやめるということも考えている。
ザ・ベリー・ベスト・オブ・ザ・ベストだ。 わずか1時間で、1月19日(土)の朗読会の、配布用のテキストが印刷できた。
頭のなかの計算では数時間かかると出たのだけれど、機械はすごいね。
「王国の秤。」を落として、「マールボロ。」を採った。
はじめて書いた詩である「高野川」から、最新作の「いま一度、いま千度、」まで、選びに選んだ。 まだやってたんか、おっちょん
早く帰るぞ。
(^q^)おぎょ「二階堂」 今日、ファミマでラッキーストライクと炭酸水を買った。
帝京平成大学のここがすごい! が流れていたが何がすごいのかさっぱり分からなかった。
今夜は、一次不等式のおさらいをして寝る。二階堂はこうみえても医学部の再受験を狙っている。嘘DAKEDO☆
というわけでおやすみ! バッジョブ! 水根たみさんから、詩集『幻影の時刻』を送っていただいた。
10行にも満たない短詩がいくつも載っている。
長くても、14,5行。
いさぎよい感じ。
ここまで言葉を短くできるのかという思いで、詩行を読んだ。