最近思います
できるだけの世の中のせいにしようと、無意識ではしてた
でも無意識の範疇ででも、やっぱり無理な事であると

ここの理屈が今後、一番大切になってきそうと感じてるような今現在

現実を知ったあの日から
あの現実の奴隷から逃れられないまんまここまで来た
現実から逃げても意味がないと、嫌でもわかってしまってるから

でもそれは間違い

現実逃避が必要な場面は、限りなく短くても、必ずその瞬間がある

現実という縛りを出来る限り外すため
なんの意味もないけど、そんな事が一番意味のある事だったりする
ここらへんがきっと大事

逃げられない。絶対に
だからこそ、逃げてやってもいい
敢えて上から目線で、情けない事を更にダサい事に変えてやるまで

自由の意味が一番大事
そのためには、一番好きで大切な事だけは、必ず縛られていなきゃいけない
それは現実ではなくて、理想という塊のこと

死ぬまでの遠くを見なきゃ、そこまで生きていくための安全性が欠ける
だから遠すぎる未来まで意識したような現実に縛られ、逃げられずにいる

でもそれは自由ではない
自由とは、そんな準備をかなぐり捨てること
普通では無いこと

絶対に逃げられないから
逃げようともしないけど
必ず逃げてきってやる
逃げはダサいらしいけど
ならば尚更逃げてやりたい
逃げないまんま
本当は逃げてるだけへと

冷静さを欠いてるという事を
まともに意識できてる
それも大事
今後冷める熱のためにも

全て否定できる事を
全て肯定できるまで