アルチュール・ランボーV
この手紙はランボーがアフリカで商人をやっていた時に取引がこじれて損したので、相手に嫌がらせの嘘の一文を加えたもの。
いかに100年前にとはいえ、奴隷売買は極刑だった。この手紙を受け取った相手の戦々恐々ぶりを想像しているランボーを思わなければならない。
詳しくは「ランボー、砂漠を行く」(岩城書店) ランボーは「俺は架空のオペラになった」という。
しかし正確には「おらは田舎者で貧乏で母ちゃんが怖いから、パリにいけなくて、おぺらとかいうのを空想するしかなかったばい」というのが真実である。 ランボーの生まれた田舎を考えると、オペラのみならず、我々が当たり前に知っているモーツァルトやベートーヴェンの交響曲なんて聴いたことがなかったはず。
ランボーの教養が文学や歴史や語学に片寄りすぎているのは特記すべきことだろう。
ボードレールは一世代前だが、音楽会に通っていたし、ワーグナーに熱狂していたのは周知のとおり。絵画も良く観ていた。
ランボーの酒を酌むのは、実際、売れた本数。
自室学習って、うまく行くようで、特別短いものだ。
もう日の目を、見ないかもしれないと言う恐怖は、
輝かしい言霊の、精霊を、
行間に埋め込む。
そこに、私情を挟むことを許して頂ければ、
全く、詩人そのものの、ホットネスを、
ジャストサイズに、決めている人と言う印象がある。 ランボーの文学史的な継承は何方向かあるが、一つはカトリシズムといわれている。
1886年、18歳のクローデルは「地獄の一季節」を読み、衝撃を受けた。また同時期にノートルダム寺院での体験により、カトリックに回心した。その宗教的な確信は聖職者さえも驚くほど強固なものであったという。
その後、クローデルは詩人、劇作家兼外交官として、各国のフランス大使を歴任した。 奥本大三郎さんの新刊「ランボーはなぜ詩を捨てたのか」を読了。
奇しくも371と同じく、片田舎の少年であったランボーの音楽的教養の欠如を指摘している。
今日、我々は誰でもヨーロッパ文明が音楽において、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった高みに到達したことを知っている。
ところがランボーはまともにこれらの音楽を聴く機会がなかった。そのランボーがヨーロッパを罵倒したところで説得力はないのである。「音楽はランボーの躓きの石であった」
ともわれ、フランス語を母語とした19世紀の田舎の少年の遺産として、今でも驚異には違いはない。 >>365
les illuminationsを飾画と訳すのはなんだかなあとはガキの頃思っていたが 近代には常にキリスト教的世界観と非キリスト教的世界観の相克がある。
文芸ではランボーがこの問題に引っ掛かる典型だろう。
この問題から離れたところはランボーとはあまり関係が無さそうである。
そしてもう一つランボーと縁のないのは音楽である。 フランスだとランボーよりボードレールが読まれ、日本はその逆の状態にあるように思うのですが、諸賢はいかがでしょう?
文化的な壁に厚く翻訳も分かりづらいボードレールより、神秘性と前衛的な言語遊戯で知覚的な印象をたやすく与えうるランボー、
こういう風に考えると妥当な見方に思えます。 フランス詩アンソロジーみたいなのに入っていた佐藤朔訳がまあまあしっくりきた
おれは作家のネームバリューにすぐ囚われるから逆説的に良訳なのだろう 素人質問
なんでランボーはおっぱいの話ばかりするんだ
イルミナシオン読んだ
なんでその向こう側の話はしないんだ お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳独身、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ https://
i.imgur.com/hPw40SP.gif
https://
i.imgur.com/tiwjHra.gif 海外の12歳の少女が、NFTで1億8000万円を稼ぐ
12歳のナイラ・ヘイズ氏のNFTコレクションが、数時間で160万ドル
(約1億8000万円)を稼ぎ出したと、米メディアの『Business Insider』が報じている。
ヘイズ氏は4歳で絵を描き始め、9歳のときにスマートフォンを使って彼女の代表作
「Long Neckie Ladies」を描いたという。このシリーズは3333点からなる、首の長い
多種多様な女性を描いたコレクションだ。出品後わずか数時間で売り切れとなり、
総額は約1億8000万円にのぼるという。
「アートは私が自分自身を表現し、言葉では不可能なやり方で人々を
驚かせるのためのもの」と述べている。
これまでにヘイズ氏は、NFTで1394ETH(約6億6000万円)を稼ぎ出してきた。
若きアーティストのさらなる活躍に期待しよう。 ランボーの勉学呪詛の詩を読むと
昔のゆた〇んを思い起こしました。 勉学呪詛と言っても後年のランボーは
大学受験のために猛勉強してたから
詩に関わって高校中退したことを
後悔してたでしょうね。 ランボーの詩は勉強嫌いの子供には
受ける詩じゃないですか?
大人の場合、どういう層の人に受けてますか? ランボーは中二病ですよね?
詩を読むと子供っぽい主張が多い。
「勉学に励んでも行きつく先は地獄だ」とか。
大人が読んで感心するのは難しいです。 また 見附 かつ た、 何 が、 永遠 が、 海 と 溶け 合 ふ 太陽 が。 独り 居 の 夜 も 燃える 日 も 心 に 掛け ぬ お前 の 祈念 を、 永遠 の 俺 の 心 よ、 かたく 守れ。 人間 共 の 同意 から 月並み な 世 の 楽しみ から お前 は、 そん なら 手 を 切 つて、 飛ん で 行く ん だ……。 ─ ─ もとより 希望 が ある もの か 立ち直る 筋 も ある もの か、 学問 し ても 忍耐 し ても、 いづれ 苦痛 は 必定 だ。 明日 といふ 日 が ある もの か、 深紅 の 燠 の 繻子 の 肌、 それ、 その あなた の 灼熱 が、 人 の 務め といふ もの だ。 また 見附 かつ た、 ─ ─ 何 が、 ─ ─ 永遠 が、 海 と 溶け 合 ふ 太陽 が。 389
そういう詩が
子供の主張だと思うんですよ。
そのまま中二病じゃないですか? ランボーも大人になって
仕事を始めてからは
詩作に関心無くしたしね。 ランボーの詩が
大人に受けている理由が分からない。
彼の人生の後半は職を転々としてて
冒険家みたいで面白いけど。 ランボーの詩みたいな
子供の主張をしている歌や小説、
「僕らの七日間戦争」
「ライ麦畑でつかまえて」
村上龍の一連の小説や
尾崎豊の歌なども
子供の疎外、子供の自由や人権を
主張していることになるし、
全くの無駄な芸術ということには
ならないかなと思いました。
そういう視点で見れば
意味があるかなと思いました。 しかし、ランボーの詩を始めとする
子供を対象とした芸術は
大人になったら
卒業すべきかなとも思う。