これらの「宇都(うつ)」を含め、「う(薄)す」、「う(失)せ」、 「う(浮)く」など、極めて多くの日本語の表現に用ひられる「う」の 発音が共通して想起させるイメージは、ちょうどドイツ語の»Haut« (From Middle High German hūt)(出典 Wiktionary)に対応させる ことができる「表層」だろうと私は考へている。
>«Die Kunst gibt nicht das Sichtbare wieder, sondern macht sichtbar» Paul Klee 0017名無しさん@お腹いっぱい。2023/01/26(木) 23:41:36.37ID:jserDo5L 現代の日本語に「痛い人」という表現があるが、「痛い人」という言葉に 私がまず想起するのは、ゴットホルト・エフライム・レッシングだ。 特に"Fable"に少し目を通しただけでもそれを感じる。ただし、 この場合、私は、「痛い人」という言葉を、現代の日本語において 通用している、人の振舞いの否定的な評価として想起しているのではない。 心から「いた(悼/傷/痛)む」ことをよく知っている人が「痛い人」である。 0018名無しさん@お腹いっぱい。2023/01/26(木) 23:43:37.99ID:jserDo5L 誤:"Fable" 正:"Fabeln"
PROPOSITION 3 Un affect qui est une passion, cesse d’être une passion, sitôt que nous en formons une idée claire et distincte.< (出典 u-picardie.fr/ethique/partie5.php)
言葉を話すとき、"ordinary speech"がまずあって、それを意図的に ひねって工夫を凝らした表現技法として"figure of speech"があるの ではない。そうではなく、声(こゑ)に出して発話する行為自体が、 発せられる声(こゑ)に仮託して、どのようであるかを伝へようと こころみる"figure of speech"なのだ。 0030名無しさん@お腹いっぱい。2023/01/29(日) 10:51:05.36ID:61v6fetN Online Etymology Dictionaryで英語の"hiss"という表現を検索して みると、次のとおり記載されている。 >late 14c., of imitative origin. Compare Danish hysse, German zischen, etc. Johnson wrote, "it is remarkable, that this word cannot be pronounced without making the noise which it signifies." < (出典 etymonline.com/search?q=hiss)
万葉集 第3巻 344番 痛醜 賢良乎為跡 酒不飲 人乎熟見<者> 猿二鴨似 あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む あなみにく さかしらをすと さけのまぬ ひとをよくみば さるにかもにむ (出典 万葉集ナビ) 0032名無しさん@お腹いっぱい。2023/01/29(日) 11:49:30.81ID:61v6fetN さて、>>30で英語の"hiss"という表現について、 >Johnson wrote, "it is remarkable, that this word cannot be pronounced without making the noise which it signifies." という言葉を引用したが、英語には"hiss"の他にも多くの 「擬音語」/「擬態語」に分類される表現が存在するだろう。 なぜ、"hiss"の発音がその発音が表現して伝へようとすること と合致していることが、特に"remarkable"/「おも・『しろ』し」/ 「いと・『しろ』し」と感じられたのだろうか。
>a person who publishes short remarks or pieces of information on the social media service Twitter< (出典 dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/twitterer)
この説明では、Twitter社のソーシャルメディア・サービスで自らの 発言を発信する人が"twitterer"と呼ばれるとされることになるが、 そもそも英語の"to twitter"という動詞そのものが「さへづ(囀)る」 行為を意味しているわけだから、人を"Twitterer"/「ツイッタラー」 と呼ぶことがただちに「さへづ(囀)る者」を想起させることにも なることは避けられないだろう。ところで、日本語の古語では、 人が話していることが「さへづ(囀)る」と表現される場合、 そこには、「(小鳥が)さへづ(囀)る」のと同様に「人(ひと)の言葉 としては認識されない話し方で何やらしゃべっている」という 差別意識が明白に働いている。 0035Ich bin dein Labyrinth...2023/01/29(日) 14:13:32.55ID:61v6fetN 逆説的に聞こえるかもしれないが、差別の根源は、 「ひとをひととしてあつか(扱)ふ」ことにあり、このことには疑ひの余地がない。 「ひとをひととしてあつか(扱)ふ」とは、「ヒトをヒトとして扱ふ」 ことを含め、「『ひと(等)しいもの』を『ひと(等)しいもの』として扱ふ」/ "To treat what is equal as being equal"であり、裏を返せば、 「ひとでないものは、ひととしてあつか(扱)はない」こと、つまり、 「『ひと(等)しくないもの』は、差別するように扱ふ」/ "To treat what is not equal as being different"という「差別化」/ "differentiation/discrimination"であることになる。 0036名無しさん@お腹いっぱい。2023/01/29(日) 14:53:31.31ID:61v6fetN >欧米では、人(ひと)を獣(けもの)としての「猿(さる)」呼ばわりする ことが人種差別の代表的な行為であるとされる。<
人となる ことはかたきを わくらばに なれる我が身は 死にも生きも 君がまにまと 思ひつつ ありし間に うつせみの 世の人なれば 大君の 命畏み 天離る 鄙治めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ 群鳥の 群立ち行かば 留まり居て 我れは恋ひむな 見ず久ならば (出典 万葉集ナビ) 0044Ich bin dein Labyrinth...(oneself as an ape)2023/01/31(火) 08:39:17.72ID:0hg17iBr >ひと(人)は誰しも『ひと(人)/ヒト』となりて生まれしからには、 みづから(身づ柄/自ら)を含むすべての『ひと(人)/ヒト』の個体 および集団に対して『類人猿としてのヒトに対する動物倫理』に 則って振る舞ふべきである。<
明示的にであれ、暗黙にであれ、このような形式で主張される 「類人猿としてのヒトに対する動物倫理」を、ひと(人)が誰でも 「己/汝」の規範とすべきであるとする考へ方の根本的な奇妙さに 気づかないようなひと(人)は、理性と知性と感性が三重に麻痺して いるのではないかと私には思へる。 0045名無しさん@お腹いっぱい。2023/01/31(火) 10:36:06.65ID:0hg17iBr >Fab. 9. Libr. IV Peras imposuit Jupiter nobis duas, Propriis repletam vitiis post tergum dedit, Alienis ante pectus suspendit gravem.
Jupiter hat uns diese zwei Säcke aufgelegt? Er ist also selbst Schuld, daß wir unsere eigene Fehler nicht sehen und nur scharfsichtige Tadler der Fehler unsers Nächsten sind? Wieviel fehlt dieser Ungereimtheit zu einer förmlichen Gotteslästerung? Die bessern Griechen lassen durchgängig den Jupiter hier aus dem Spiele; sie sagen schlechtweg: Ανθρωπος δυο πηρας εκαστος φερει; oder: δυο πηρας εξημμεθα του τραχηλου usw. (出典 projekt-gutenberg.org/lessing/abfabel/abfab401.html) 0046悟りの境地2023/02/01(水) 08:12:14.77ID:msIgNHh4 Being yourself is always a good enough compensation. 0047名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/01(水) 09:13:14.53ID:msIgNHh4 みづから(身づ柄/自ら)に実質と呼べるようなものがあるとすれば、 その実質は、つねにすでに「かげ」である。 0048名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/01(水) 09:50:03.37ID:msIgNHh4 日本語の古語において「かげ」は、英語の"shade"や"shadow"とは異なり、 鏡に映った姿のような像を意味するようにも用ひられるので、現代の 日本語の「影(かげ)」の用法を当たり前のものと思っていると、一瞬、 戸惑ふが、その像が"shade"や"shadow"のように暗いものであれ、 光が投射されたように明るいものであれ、"a projected image"に 対応するように用ひられることが多い。
>„Herr Hauptmann, bitte —“ Welche Katastrophe! Er hatte in seiner Ahnungslosigkeit vorwitzig das Wort an eine Macht gerichtet, von der man stumm und auf den Knien des Geistes Befehle entgegenzunehmen hatte! Der man sich nur „vorführen“ lassen konnte! Der Hauptmann donnerte, daß die Unteroffiziere zusammenliefen, mit Mienen, in denen das Entsetzen vor einer Lästerung stand.< (出典 wikisource.org/wiki/Page:H.M._Der_Untertan.djvu/56-57) 0050名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/02(木) 21:38:07.43ID:gqNj9U0H 誤:ピジン言語的な使用に形成された 正:ピジン言語的な使用によって形成された 0051月と鼈(スッポン)2023/02/03(金) 00:24:43.09ID:Y6rC/aD5 月影とスポットライト
>Dancing In The Moonlight (It's Caught Me In It's Spotlight) Thin Lizzy< 0053名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/03(金) 09:26:41.89ID:Y6rC/aD5 >月影(読み)つきかげ 精選版 日本国語大辞典「月影」の解説 つき‐かげ【月影】 @ 月の光。月のあかり。<
>spotlight noun 1 a: a projected spot of light used to illuminate brilliantly a person, object, or group on a stage b: public notice or attention held the political spotlight 2 a: a light designed to direct a narrow intense beam of light on a small area b: something that illuminates brilliantly (出典 merriam-webster.com/dictionary/spotlight) 0055名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/03(金) 11:34:00.57ID:Y6rC/aD5 誤:この説明を妥当であることを前提にして 正:この説明が妥当であることを前提にして 0056名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/03(金) 22:33:33.17ID:Y6rC/aD5>>54 日本語の古語の表現は、「日本語」という枠組みに自らを縛り付けること を放棄したなら、多くの場合、現代にもそのまま通用する表現として 容易に理解することが可能となる。
Wie ein Scheinwerfer am Himmel – erster Vollmond des Jahres (出典 .bz-berlin.de/deutschland/wie-ein-scheinwerfer-am-himmel-erster-vollmond-des-jahres) 0057名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/03(金) 22:53:02.24ID:Y6rC/aD5 >「つき(月)かげ(影)」とは、より適切にメタ言語的に記述しようとするなら、 「月のスポットライト」/「スポットライトとしての月」ということになる。
>Und ihr Weisen und Wissenden, ihr würdet vor dem Sonnenbrande der Weisheit flüchten, in dem der Übermensch mit Lust seine Nacktheit badet!< (出典 zeno.org/nid/20009254978)
>Wer aus sich kein Hehl macht, empört: so sehr habt ihr Grund, die Nacktheit zu fürchten! Ja, wenn ihr Götter wäret, da dürftet ihr euch eurer Kleider schämen!< (出典 zeno.org/nid/20009254676) 0064true and fair view2023/02/05(日) 22:03:32.24ID:4TzaTU+1 ありのままの光景を目の当たりにするとはどのようなことか 0065名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/06(月) 09:50:11.64ID:vZDu/y+7 >日本語の「かげ」≒英語の"cast"である。 このメタ言語的な関係性を意識することで、日本語の表現に働いている 論理がより明確に理解できるようになる。例えば、
>survey (v.) c. 1400, "to consider, contemplate," from Anglo-French surveier, Old French sorveoir "look (down) at, look upon, notice; guard, watch," from Medieval Latin supervidere "oversee, inspect, " from Latin super "over" (see super-) + videre "to see" (from PIE root *weid- "to see").< (出典 .etymonline.com/search?q=survey) 0067名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/06(月) 11:57:25.70ID:vZDu/y+7 「うかかふ」で検索してみると、以下のサイトの次のような記載がヒットした。 ヒットした記載をただコピペしただけなので、このサイトの読み方や語義説明 の妥当性については、私は何も知らない。ただ、このコピペした記載については、 特に何も問題はないように思へる。
>嚇(Middle Chinese: /hˠaH/, /hˠæk̚/) 1. to frighten; to scare 驚嚇/惊吓 ― jīngxià ― to frighten 2. ⁜ to threaten; to intimidate 恫嚇/恫吓 ― dònghè ― to intimidate
»beobachten«は、語源的には、"be- + Obacht + -en"と解釈 されるが、"be-"の用ひられかたは、日本語の「〜ふ」に、 "Obacht"の"ob"は、日本語の「う〜」に、"Acht"を動詞化して それを自らの行為とする"be-achten"は、日本語の「気に『かける』」 ことに対応するものと見ることができるだろう。 0076期待される学習効果2023/02/08(水) 16:27:05.99ID:Ryb4zKYU >Diederichs Inneres zog sich noch mehr zusammen unter dem Gefühl eines schaudererregenden Abgrundes, wie er sich auftat zwischen Jadassohn, der hier die Macht vertrat, und ihm selbst, der sich zu nahe ihrem Räderwerk gewagt hatte. Es war aus frommer Absicht geschehen, in übergroßer Verehrung der Macht: gleichviel, jetzt hieß es sich besonnen verhalten, damit sie einen nicht ergriff und zermalmte; sich ducken und ganz klein machen, bis man ihr vielleicht doch noch entrann. Wer erst wieder dem Privatleben gehörte! Diederich versprach sich, fortan ganz seinem geringen, aber wohlverstandenen Vorteil zu leben. < (出典 wikisource.org/wiki/Page:H.M._Der_Untertan.djvu/230) 0077名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/08(水) 20:19:38.09ID:Ryb4zKYU 今、現代思想として論じられている言説などよりよほど「現代性」を 感じさせる小説だけど、検索しても、日本では、この作品について ほとんど何も論じられていないに等しいね。私自身も偶々、»Untertan« という表現を検索していたらこの作品がヒットして、とても安価だった ので入手してみただけで、まだ半分くらいまでしか目を通していないが。 0078名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/08(水) 23:57:56.22ID:Ryb4zKYU >ある貧者、螽を捕らうずるとゆく路次において蝉をみつけ、 乃ちこれをとつて殺さうとするところで、かの蝉の申すやうは、 さりとて我を殺させられうこと本意ない儀ぢや、それをなぜに と申すに、五穀草木に障りとはならず、さして人に仇をなすこと はござない、結句梢にのぼつて、さへづりをもつて夏の暑さを 慰めまらするところに、理不儘に殺させらるることは何ごとぞ と事を分けて申せば、そのもの道理に責められて、たちまち 赦免いたいた。< 『天草本 伊曽保物語』、新村出 翻字、pp.25-6 0079名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/09(木) 09:58:32.30ID:Uvfwjhig 「イソポ」を引用したついでに思ひついた喩えをひとつ書き込んでおこう。 私が書き込むのは独り言ばかりであるが、私の「独り言」は私という 個人の独力によって成立しているものなどではまったくない。 私の「独り言」は、つねに多くの他人の力を借りながら、 「力を合はせる」ことによって成立している。しかし、それは、 その言葉の通常の意味で他人の「協力」を得ているということでもない。 それはむしろ、角力/相撲の多様な投げの決まり手が、取組み相手の力を 借り、自分の力を相手の押したり引いたりする力に合はせることでしか 生まれないのと同様のことである。その際、相手が私に「協力」して、 うまく投げてもらおうというと思っているということはない。むしろ、 そのように「協力」してもらったなら、投げの効率を高めることが 可能になったとしても、投げの決まり手の多様性は失はれてしまうだろう。 0080名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/10(金) 10:25:52.02ID:BVa76XNq >「イソポ」を引用したついでに思ひついた
>»be-〜«は表現として、それが修飾する作用の効果として主体性を再帰的に 表出させる働きをする。< 0086名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/10(金) 14:07:23.72ID:BVa76XNq 語源的に見れば、ドイツ語の動詞の前綴りの»be-〜«に何ら謎はない。 問題となるのは、その表現としての効果をどのようにメタ言語的に記述 することが適切か、だけである。例えば、»be-〜«の表現として効果は、 英語の"come"に対応する»kommen«と、 英語の"come by"に対応する»bekommen« を比べて見れば、一目瞭然である。 >"come by something", to get something, using effort, by chance or in a way that has not been explained< (出典 dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/come-by) 0087名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/10(金) 14:12:49.50ID:BVa76XNq >become (v.) Middle English bicomen, from Old English becuman "happen, come about, befall," also "meet with, fall in with; arrive, approach, enter," from Proto-Germanic *bikweman (source also of Dutch bekomen, Old High German biqueman "obtain," German bekommen, Gothic biquiman). A compound of the sources of be- and come (v.).
It drove out Old English weorðan "to befall." The older sense is preserved in what has become of it? The meaning "change from one state of existence to another" is from 12c. The meaning "to look well, suit or be suitable to" is by early 14c., from the earlier sense of "to agree with, be fitting or proper" (early 13c.).< (出典 etymonline.com/search?q=become) 0088名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/10(金) 14:27:33.69ID:BVa76XNq 要するに、ドイツ語の動詞、»bekommen«の»be-〜«は、その表現 としての働きとして、英語の"come by (something)"という表現における "by"にそのまま対応している。では、この"by"は、ドイツ語の »kommen«にやはりそのまま対応する"come"との関係において、 どのような働きをしていると考へることが適切なのか。 その問ひに対する私の暫定的な応へが、この場合、"by"は、 "come"を修飾して、"come"の作用の効果として主体性を 再帰的に表出させる働きをしている、というものである。 ただし、ここで最も注意しなければならないのは、「主体性」 という用語を、「主語」や「目的語」などの文法用語と 混同してはならないということである。 0089名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/10(金) 14:42:59.13ID:BVa76XNq >»be-〜«は表現として、それが修飾する作用の効果として主体性を再帰的に 表出させる働きをする。<
プログレッシブ 独和辞典の解説 >❸ ((et4))(…4を)定期的に受け取る eine Zeitung beziehen\新聞を定期購読する eine Rente beziehen\年金を受ける. ❹ ((et4))(…4に)移り住む ein neues Haus beziehen\新しい家に入居する. ❺ ((et4))(立場など4を)取る einen klaren Standpunkt beziehen\態度をはっきりさせる.< 0091名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/10(金) 20:13:54.88ID:BVa76XNq 別の例を見てみよう。
>con‧jure 1 [intransitive, transitive] to perform clever tricks in which you seem to make things appear, disappear, or change by magic 2 [transitive] to make something appear or happen in a way which is not expected < (出典 ldoceonline.com/jp/dictionary/conjure) 0092名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/10(金) 20:27:14.00ID:BVa76XNq ここで、ドイツ語の»beschwören«と英語の"conjure"を語源的に 見比べてみると、ドイツ語の»be・schwören«に対して、 英語の"conjure"の方は、 >from Latin coniūrō (“I swear together; conspire”), from con- (“with, together”) + iūro (“I swear or take an oath”)< (出典 Wiktionary) であり、»schwören«が"iūro"に対応するのだから、ここで»be-〜« が果たしている役割は、"con-〜"にそのまま対応していることになる。 さて、引用した語源説明では、"con-〜"は、"with, together"に 対応する「意味を表す」ものと解釈されているが、この説明は妥当 だろうか。私には、このような形での語源解釈は、言葉を表現法 として捉へることを疎かにする言語学的な説明の致命的な弱点を 如実に反映したものであるように見える。 0093名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/10(金) 20:29:12.48ID:BVa76XNq あまり言い過ぎるとまたアクセス禁止を食らふので、ここらへんで自重しておこう。 0094なぜでしょうねw2023/02/10(金) 22:26:38.40ID:BVa76XNq 逆鱗に触れる 0095名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/11(土) 11:03:25.21ID:Il5ORs6Y >ここで»be-〜«が果たしている役割は、"con-〜"にそのまま対応して いることになる。<
>bequem Etymology From Middle High German bequæme, bekōme (“suitable”), from Old High German biquāmi, derived from biqueman (whence German bekommen).< (出典 etymonline.com/search?q=convenient)
>The Old English prefix also was used to make transitive verbs and as a privative prefix (as in behead). The sense "on all sides, all about" naturally grew to include intensive uses (as in bespatter "spatter about," therefore "spatter very much," besprinkle, etc.).< (出典 etymonline.com/word/be-?ref=etymonline_crossreference)