大阪の私鉄は鉄道各社にテリトリー意識が強く、北部は阪急や阪神、南部は南海や近鉄みたいにバラバラに離れてて乗り換えもマトモに出来なかったからな。
私鉄各社が沿線の街を囲い込んで独占したいという思想で街が作られてきたから、大阪は全体的に他社との乗り継ぎのことがほとんど考慮されてない街になっていた。
街を移動されるより、人の流れがテリトリー内で完結することを良しとした。
鉄道会社の作った百貨店や街に留まってくれればいいというもの。
阪急沿線がステータス地域になったのも良くも悪くもそういう意識によるもの。
そうやって大阪は街が鉄道各社に帰属してバラバラに分断された構造になっていった。


一見大阪は鉄道網は立派だけど、上記のようなことからやたら乗り換えだらけだったり、何かと歩かされまくったり、アホみたいに不便なことが多かった。
そういう問題が時代の変化によって益々ネックになってきて、今になってナニワ筋線みたいな協力体制をやることとなった。
しかし遅すぎるというか、手遅れ。