明治期というか、江戸から明治にかけての和歌山は、国内十指に入る大都市だった
「南海」の社名が示す通り、当初から四国連絡を使命に和歌山までの鉄道を引いたもので、鉄道はあくまで広域輸送の一部という立ち位置

当時からすれば、大阪京都、大阪神戸を結ぶのと同じくらい、大阪和歌山を結ぶことも重要だったし
それが民間資本でできてしまうくらいの需要も見込めた
120年経ってこうなることを見越せというのは無理がある