>>405 >>406

90年代の小田急が通勤形車両を少数しか製造しなかったのは、複々線化の工事に投資を
集中させたため。その複々線化工事も反対運動やバブル景気による土地価格高騰により、
計画が大幅に遅れていたため、ラッシュ時のピークサイドに数本しか増発できなかった
ことから1000形・2000形は少数しか製造されなかった一方で、廃車も出なかった。

あと、5200形の車体更新を途中で打ち切って廃車したのは、複々線化計画が下北沢付近の
住民の反対運動により、代々木上原−梅ヶ丘間が高架式から地下式に変更されて、梅ヶ丘
付近に地下から高架への急勾配が設置されることになったため、その区間に対応できない
ためである。(通常時の走行では問題は無いが、故障車両を回送させる際に後ろから押し
上げるパワーが無いという理由から。)

また、10000形・20000形は製造から15年以上が経過して車体更新が検討させた際に、車体
がハイデッカー仕様のため交通バリアフリー法に引っかかり、出入り口の段差解消などの
改造工事が大掛かりになって改造工事の費用が嵩むことと、抵抗制御方式のため、省エネ
の観点からも更新工事を施工してまで継続使用するのは得策ではないと判断されたから
廃車となった。(80年代後半は、まだVVVFインバータ制御装置が高価であり、特急形車両は
停車駅が少ないため起動・減速の回数も少なく省エネ効果も低いため、10000形・20000形
は近鉄21000系・26000系などと同様に導入するメリットが無いと判断された。)