>>809
関西支社が要求していたのはヘッドカットのための「新性能車」。
本社はそれに対して「103系でよいかどうか」の検討を指示したわけで
本社がはじめから別途新形式式を拒否・却下したわけではない。
万博を控えていることもあり待てなかった関西支社は痺れを切らして103系で
妥協するわけだが、これは言わば“勝手妥協”。
あにはからんや、新快速の15分毎運転が始まった47.3以降、
MT55の残留磁気が大きいことが要因の高速からの電気ブレーキ投入時
における限流継電器作動→電気ブレーキ失効が続発(当時の電気車の科学より)、
早々に対策が必要になるも、本社にしてみれば「だから言ったでしょ。」ということで
吹田工場の技術陣が一汗かく顛末となった。
あと、阪和線の場合は再速達列車の快速への投入であって
大阪緩行のように既に113系での新性能化が始まっていた快速と
緩急接続を取りながらはさまって運行する必要がなかったので、
本社も103系に懸念を抱かなかった…即ち、大鉄を出し抜いて
天鉄が抜け駆けたとする見方は下衆の勘ぐりの類かと。