天理教において、その宗教組織的地位は世襲制である。
天理教の後継形態のスタンダードとして本部の先生の子は、本部の先生になる。
会長の子は、会長になる。信者の子は、信者になる。
後継者が不在など、もちろん例外もあるが、
天理教の後継形態のドミナントは「血」である。
天理教で「血」は「理」と表現される。
「血」と「理」は=ではないが≒である(らしい。私は=だと思っている)。
この点について議論する場合に前提として、
天理教は公的機関ではないということである。
なので天理教内に人権問題が存在するという意味ではないし、
そういう議論は今回は成り立たない。
今回、俎上に挙げたいのは、「理」の適否や教義解釈ではない。
天理教が衰退していっている要因に、天理教人は人権意識が低いからではないか?
もしくは天理教の世襲的な組織形態の維持が社会から敬遠されているからではないか。
ということをテーマにしたい。