推測ですが、この諸井慶徳という人物は実直に宗教学というものに取り組んでいたのでしょう。
そして諸井は指導者としてのスター性を持った中山に近づいた。
中山もまた超有能な宗教学者である諸井に近づいた。
当時はお互いがWin-Winの関係であったことは容易に想像がつきますね。
諸井は歴史を紐解き時代とその関係を中立的な立場で考察する宗教学者でありながら、その超優秀な頭脳を新しい宗教を自らが編纂するという今後二度とないようなチャンスを得ました。
諸井は自らの宗教学者としての真っ当な興味と頭脳を天理教で利用しようと考えたのでしょう。
また、中山も彼のその能力を利用したのでしょう。