>>479
駅を建設した当時は、新千歳空港の発着便数がここまで大きくなることも、千歳線(と札幌圏)の輸送量がここまで増加するとも想像できなかったから、最小限の設備しか作らなかった。

元々の計画では千歳側だけでなく苫小牧側へも抜けられる構造を想定していたようだが、結局は行き止まりの駅に。

当時は国鉄改革直後で鉄建公団線のように余裕のある設計にはできず、政府や運輸省も「羽田に比べれば全然輸送量は少ないだろうからこれくらいで大丈夫」「余計な投資はむしろJRの経営を圧迫する」と考えていたんだろう。