>>895
新幹線計画が始まった後も、京阪神複々線の米原‐相生間拡大という過剰投資を仕掛けたしな
草津以東や西明石以西の計画の遺構はかなり減ったけど
あの計画が暫く維持されたのは主に最高速度75km/hの車扱貨物が維持される前提
山陽鉄道建設当時のSLも、車扱貨物でも速度に関しては余り変わらず、R=300の本則速度はそれらのほぼ全速
線型改良の動機が無かった