>>287
今ネット情報しか見ていないと当時の西武がどう考えていたかは全く見えない。
所沢時代の西武は昔から情報が少ないね。

ただ2000は時期的にも間違いなく地下直車の構想の流用と思う。乗り入れ線建設が遅れ目処も立たなくなり、確保していた予算や資材を使い切って無駄にしたくなかったのだと想像する。
1977年で界磁チョッパを採用したのは当時の水準だったが、その後の新101や3000の増備が、赤電時代と重なって西武は保守的と言われた原因だろうね。

RF誌の3000新車紹介で西武の人が「種々検討したが堅実な仕様となった」的な事を述べている。種々検討の中身は全く書かれてないが、新101と3000は赤電置き換えに迫られ仕方なく増備したのだと思う。