高度成長期は梅田と千里ニュータウンの開発が最盛期で、新大阪まで手が回らなかった。

国鉄末期は新幹線の利用が低迷し、民営化しても盛り返しは難しいといわれていた。
駅前も発展が遅れていた。

中島、彩都、茶屋町などの土地を買い漁り、バブル崩壊と震災で倒産寸前まで逝った。

経営再建中は何もできず、繁盛する東海に貸せといわれ新大阪の用地を一部貸す。

やっと持ち直してきた頃に梅北、なにわ筋線、リニア、北陸新幹線が一気に本決まり。
気が付けば新大阪の相対地位が向上し、乗り遅れまいとやっとこさ腰を上げたところ。