ふとこんな記事を読んだ
全国の廃線になった鉄道は、辺鄙にところに鉄道が敷いてあって不便だから
利用客離れが起きて使われなくなってきたと

なぜ、街中から離れた辺鄙な場所に鉄道を作ったかというと、SLによる煙害を嫌ったのだと

昔からなぜ草津線は旧東海道沿いを走らずあんなところを走ってるのかとかねがね思ってた

もしかして、草津線建設が計画された時も民衆は煙害を嫌って、鉄道を街から遠ざけた結果
あのルートになってるの?

三雲あたりから先は水口方面の街中に伸び、関駅あたりにつなげてりゃ、もう少し利用客伸びてたのでは?