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淡路ルートが本来の計画
四国の政治家といえば角栄と盟友関係で宏池会会長の大平正芳
本来淡路だけの本四架橋を複数ルートにしたのが大平正芳
淡路架橋で周辺府県がまとまっていたのにルート争いを誘発、四国を仲違いさせ分裂させたのが香川
あげく20年もの時を無駄にしオイルショック総需要抑制策にひっかかって計画延期
香川が淡路ルートに反対しなければ四国新幹線も北海道と同時に整備新幹線になってただろうに

1953年 鉄道敷設法の改正により本四淡路線が予定線として追加
1953年 鉄道敷設法の改正により北海道青森海峡線が予定線として追加
1961年 香川県のしつこい陳情により宇野高松線が予定線として追加
1963年 四国がもめてる間に青函トンネル着工
1970年 オイルショックで本四架橋中止