金森氏と前原氏は朝の通勤電車の中でいつも一緒になり、ある日首都機能移転の話題になりました。話をしていると、2人とも首都機能移転先に意中の場所があることが分か
り、互いに発表することになりました。そのとき、2人は同じ場所を考えていたことが分かったのです。それが「伊賀高原」でした。

しかし、「伊賀高原」という言葉には、伊賀忍者など、暗いイメージを連想させます。2人は、何かいい言葉はないかと相談し、近畿の中央という意味で「畿央高原」と名付
けました。ここに、「畿央」が誕生したのです。

前原氏は各方面の専門家をはじめとする若い人たちを集めて研究会を発足し、金森氏は場所を提供しました。研究会は、会社の終わ
った後から夜9時を過ぎるまで、何十回もの会合を重ね、研究成果を1冊の冊子にまとめました。これが「国都創造についての研
究会」による提言書、「畿央高原・世界都市構想の提言」です。

この提言は国会議員の目にとまることとなり、平成9年5月、「畿央高原に首都機能を誘致する国会議員連盟」が結成されました。しかしこの頃は、行政はまだ畿央高原に無
関心でした。しかし、平成10年1月、国会等移転審議会が調査対象3地域を選定し、畿央高原も「三重・畿央地域」として選定さ
れることとなりました。

住んでる奴らかこんなにバカだと実現の目はないわな