>>214

の訂正

広島大学と広島空港の移転と東広島市の設置が無ければ広島市の人口は現在よりも多い訳で
地下鉄建設は現実化していたのかもしれない。
広島大学関係者だけでも、学生と教職員だけでも3万人以上も広島市から出て行ったわけであるから。
広島空港も、妥協案として現在地に移転と言うことになったが、広島市の近郊に存在していれば
中枢性を高める上に置いて重要な位置を占めていたであろう。

岡山、香川を直結する児島坂出ルートの瀬戸大橋が開通して30年以上も経過したことが、
広島市の中枢性が失われつつある原因と言えるだろうが、
やはり、広島大学の移転と東広島市の設置、広島空港の移転が大きな要因と言えよう。

東広島市の存在が現在まで無くて、広島空港、広島大学の移転が無かったとしたら地下鉄建設は現実化していただろうし
21世紀も20年を経過した現在は、短いながらも地下鉄路線の開通は果たしていたであろう。

広島空港と広島大学の移転、東広島市の存在が現在まで無かったとしても、
児島坂出ルートの瀬戸大橋開通に伴う広島市の地域拠点低下は防ぐことは可能であったし、
広島市の人口も現在の120万人の人口よりは僅かに上回る140万人程度で今の京都市くらいの人口に成長していたであろう。

また、大雨豪雨災害で孤立しやすい安芸区、東区、廿日市市、東広島市、安佐南区の西風新都の住宅団地の存在は無かったか
現実には存在していなかったのかもしれない。

地下鉄が仮に開通していたならば、広島駅から大州、府中町から海田方面に伸びる路線、
平和大通り、紙屋町から牛田、高陽ニュータウンに抜ける地下鉄路線と、この両者を結節する路線として
広島駅から平和大通りの地下を通って、平和公園付近から吉島、江波、空港通り、庚午、商工センター、鈴が峰を抜けて
五日市に向かう地下鉄路線が存在していたであろう。