1999年3月、自民党佐賀県議だった牟田秀敏氏(故人)が鳥栖市長に就任。
JR九州の【中原義廣】は鳥栖市役所に出向し、建設部次長兼新幹線対策課長に就いた。

佐賀県は鹿児島ルートでは地元負担の発生しない通過区間だった。

「新鳥栖駅が鹿児島ルートの駅として設置されなければ、鳥栖市の発展はない」。

そう信じていた【中原】は牟田市長に同行し、〈ミスター新幹線〉の異名があった故・小里貞利衆院議員(鹿児島4区)やリニア新幹線構想を推進した国鉄OBの野沢太三参院議員と精力的に面会。

「新鳥栖駅を、将来の長崎ルート建設を担保する意味を込めて鹿児島ルートの駅に追加してほしい」という趣旨だった。

 佐賀県は福岡、熊本、鹿児島各県と「九州新幹線建設促進期成会」をつくり、新幹線建設推進を繰り返し陳情。

 こうして東日本大震災の翌2011年3月12日に、新鳥栖駅は九州新幹線の駅として開業した。