【こうや・6300】南海電鉄、車輌専用スレ25【8000】
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※前スレ
【9000・8300】南海電鉄、車輌専用スレ24【鋼索線新型】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1587341398/
【21000・6000】南海電鉄、車輌専用スレ25【8300】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1596542459/ >>53
素晴らしい解説乙
そういや、南海6000と7000の配置が高野線と南海線になったのも踏切事故対策が影響してると聞いたね、当時は南海線の踏切が多くて事故にあうリスクが高かったからと
で、今は南海線の高架が多くなり高野線は出来て無いのは悲しいね
実のところ南海は先頭車ステンレスに拘ってるようでも無さげなんだが、寧ろ合理主義っぽい 6001Fは高性能通勤車の試作も兼ねており、最終的に高野線がステンレス、南海線が鋼製の方針になったのは6001Fの使用線区が高野線に決定した時の模様 前にも言ったが1051Fは量産前提で作ったものの、当時の南海の財政難の影響で量産見送り
8000は財政難の中で設計されたために基本はE231ベースにせざるを得なかった
既にE233ベースの小田急4000が登場していたのになぜE231ベースなのかというが、設計順位は南海8000の方が先らしい >>56
「8000は財政難の中で設計されたため」?業績がよくないなかで、8000系はつくられたけど、南海電車としては、1000系にちかい車体で、つくりたかったんだ。あのときの旧東急車輛も、あれだけのものをつくることが、むずかしくなっていたのは、たしかでさ。
車体の台枠と艤装については、1000系の6次車を基本にしたけど、車体で台枠から上の部分は、E231系・E233系っぽく(ドアのつくりが、E231系にちかいだけ)するしかなかった、ってところ。実際にかかった費用は、1000系の6次車と、それほど変わらなかったからね。 1000系も10年近く製造が続き、設計面での古さや部品調達の面で何らかのモデルチェンジが要求された結果が、
1051であり8000系な訳だ
当然コスト削減は当時の南海にとっても必須事項であった、と なんか気になって調べてみた
南海8000 4両×4 22億 1編成5.5億
南海8300 4両×5 30億 1編成6億
高野線 30両 42億 1両1.4億
VSE 10両×2 35億 1編成17.5億
GSE 7両×2 40億 1編成20億
箱根3000 2両 8億 1両4億
しなのSR1 2両×26 106億 1編成4億
静岡A3000 2両×2 6.6億 1編成3.3億
(2両×12で総額48億との報道もあり、差額は補助金?)
JR西日本
W7 12両×10 328億 1編成32.8億(2014年度)
N700A 16両×5 233億 1編成46.6億(2018年度)
225系 96両 148億 1両1.54億(2016年度)
227系 154両 249億 1両1.61億(2018年度)
323系 40両 57億 1両1.42億(2017年度)
前スレで価格載せてたのを思い出して転載してみた、1000系はのってないが間違いなく8000系より高額でないかと思われるが 1000系の6次車は、インバータ制御装置に、まだめずらしかった、2レベルのIGBTをつかったんだけど、このときまだ、そこまで安くはなかったんだよなあ・・・ 8000では1000の6次車と比べて、VVVFが↓で車体が新規設計費用込みで意外にも↑となり、大して変わらん状況だったとか >>61
ふーん、でも公式発表を元にしてまとめてくれたやつだから信憑性は全く大有りなんだけど 8000では1000の6次車と比べて、VVVFが↓で車体が新規設計費用込みで意外にも↑となり、大して変わらん状況だったとか 塗装変更されたのは、当時の社長が「関空にグリーンの電車を入れるな」って言ったからの模様
それまで一部を除いて明確だった南海線と高野線の車体塗装の違いがこの塗装変更で共通塗装になったことを考えると明らかに急な決定である
結局関空開業までに塗装変更は間に合わず、空港線には意地でも新塗装車しか入線させないという徹底ぶり(開業前の試運転は除く) >>63
8000系のときでも、インバータ制御装置は、それなりに高い価格だったけどなあ・・・
>>68
まったく関係ないよ。南海電車として、2000系を準備していたころから、新しいカラーリングについて、いろいろ考えていたので、その結果が、いまのようになっただけでさ。南海電鉄の社長は、1992年に交代してるし。 横浜線のパクリの方が今のオリジナルよりはるかにマシ。 幻の6000系VVVF化改造車は恐らく日立GTO-VVVFでブレーキはHSC-Rであり、システム的には2000ベースになっていたと推測
で、捻出された抵抗制御の機器は特急車にでも転用されていた可能性 >>75
りんかんくらいしかないだろ
7000系からの供出で充分だったとおもうで >>75
そのころ考えられてた特急車両って、「サザン」や"H特急(のちの「りんかん」)"でつかうための、インバータ制御のビジネス特急車両や、空港特急に専用でつかうための系式(インバータ制御)だったりするしなあ。
6000系を、インバータ制御に改造して、あまった抵抗制御の機器が、どうつかわれるとかまで、考えられてなかったんだ。「こうや」のための30000系(もしくは新しい設計の系式)を、増やしてほしいっていう要望なら、現場からはあったけどね。 東急は7000系を VVVF化して7700系にして随分長く使った・・・どころか、養老鉄道でまだあと30年位使いそうだけど、
6000系はサイズ(21m)が邪魔してるのかなぁ。 >>78
サイズもそうだがやっぱり車齢だろうな
大井川はズームカー引き取った縁で入手したが60年近い古豪を引き取るのは相当に勇気がいるで
今はVVVF全盛だし同じステンレスでもVVVF搭載の方が部品調達で有利と言えば有利だしな >>76
当時、ハイデッカー空港特急車(床下は荷物室)が東急車両と特許を出願していたが、
それの走行機器が中止になった6000のVVVF化により捻出されたものを流用するつもりだったと思う 10000系や31000系が機器流用だからそういう妄想をしてるんだろうけどさ。
あれらは73年の昇圧時に新製した制御器だから先代1000系や21000系の廃車時点でもまだ15年〜25年程度で捨てるには惜しかったのよ。
6000系は冷改時に新車なみに蘇生されたものの、
95年時点で30年以上経過しているわけだからV化してたら旧制御器は廃棄だよ。 気になる点
・1991年の空白
・2000初期車の仕様が普及しなかった
・9000が少数で終わってしまった
これらを考えると本来は車体を2000初期車ベースにした9000増備車が1991年に登場する予定だったと推測
しかし後にその計画は変更となり、1000の登場まで待ったのではないかな 9000は空港線開業までにまとまった数を製造する計画だったが、途中でその計画が変更になったとも推測される あと関空用ハイデッカー特急車は9000/10000が登場した1985年頃の検討だったらしいが、要するにこの時点で空港線開業による車両新造計画は盛り込まれていたんではないかな >>77
2000が登場した段階では特急車の増備は南海線が10000、空港線がハイデッカー空港特急車、高野線が30000を前提としていたと思う
その後の方針変更で南海線/高野線共用VVVFビジネス特急車とそれをベースにしたVVVF空港特急車の予定だったろうが、
結局諸事情で史実の形(10000新造中間車/11000/50000)になったと思う (途中まで進めてた6200更新を途中で中止し、わざわざ更新予備として借りていた1004Fも返したことを考えると2015年の社長交代は色々車両計画の影響が大きかったのではないかと思われる) >>86
元々6200の更新は4連のみだったようだが >>87
旧8200更新完了から9000更新開始まで4年弱の間があったことを考えると当初は旧8200の次は6200の6連(6521Fも含む)を更新する予定だったが、
経年など色々判断した結果9000更新になったと思う >>91
ラピートは機器のみで車体は更新してないし一部は旧8200更新完了前の機器更新なんだが >>82
仮称9100試作/1000量産から史実1000へ計画変更されたためともあったが明確なソースは無し
>>83
2000計画前ならそうだったかもしれないが、2000計画時に21m車もVVVF車に移行することについては考えていた模様 >>57
当初は1050増備が考えられていたが困難と判断され、結果的に今の8000となった
その名残が8000の主電動機は1051Fと共通品であること 結果的に旧8200と9000は中途半端な存在になってしまったが とりあえず1000は新カラーデザインの決定を待ってからの設計、泉北5000は南海21m車にVVVF車が導入されるのを待ってからの増備車登場だった? 6000系と7000系を冷改時に抜本的に延命したことにより
80年代の南海は老朽化による取替対象が少なかった。
そもそも73年の昇圧で貴志川線以外は大幅な若返りを達成しており、
高野線は沿線の住宅開発による増車も一段落。
弘法大師入定1150年輸送を機にこうや号を30000系に置き換えるとか、
本線旧1000系が昇圧改造から年数が経ってきて2扉6連の使いにくさから
100周年を機にサザンへの置き換えが図られた程度だった。
結局、空港線開業に備えた増車が必要になる90年すぎまで4扉通勤車をコンスタントに新製する機会がないうちに
他社ではVVVFの導入が続々と始まり、
ステンレス車体も第2世代へ移行。
8200系と9000系は登場時期からして大量新製は望めなかった。 仮に旧塗装のままだったら>>82にもあるように9000をビード車体に変更の上で増備していた可能性があるけどね
91年の空白も、>>82や>>83が本当だったらこれで説明がつく 当初計画の21mVVVF車はVVVFに後のIGBTに当たる新素子を採用したり、制御伝送を採用するなど野心的な設計にすることが考えられていた模様… >>98
旧1000代替車計画時は一部指定席の6両固定編成にする案もあった模様だが、なるほどそういう事情があったのか 90〜91年時点では94年に開業する空港線分の増車をするにはまだ早い。
9000系を東武10000系のように途中から軽量ステンレスにマイナーチェンジすることも模索はされたであろうが、
その頃は早期に置き換えせねばならないほど状態の悪い車両が支線に少しいるだけだったし、
新車の技術トレンドは80年代後半からVVVFと軽量ステンレスに急速に移りつつあった。
そして平成のはじめはCIの刷新があらゆる業界でブーム。
南海が関空開港を機にイメージチェンジを行うのは経営上当然の状況だった。
川勝出身の縁で電通に新CIを発注したのが2000系が竣工した90年ごろ。
車両需給・技術・CIの三点のバランスを勘案して
92年製の新車でフルモデルチェンジして空港線開港に備えることにしたのが1000系。
構想や企画だけならどんな会社でも常に現場で何案も模索していることであり、
実際に経営判断されて現車が完成しないことには何の意味ももたんよ。 >>84
空港特急車両について、あれこれ考えられていたけど、計画として、具体的になったようなものは、なにもなかったし。
>>85
いやいや、ちがうちがう。2000系ができあがったとき、>>77で言ったような、状況だったんだよ。
>>86
>>88
社長の人事は、まったく関係ないよ。6200系の6両編成も、更新工事でインバータ制御にしていく、ってところだったんだけど、なにわ筋線の準備が考えられて、2030年までに、取り替えることになっちゃったから。
ところが、COVID-19の影響から、そこがまた、くつがえるかもしれない・・・ >>83
空港線のためじゃなくって、1000系の1次車のぶんだから、南海本線で、8両編成の運転を増やすために、考えられてたものだよ。
>>92
50000系の更新工事では、車体の修繕もやってるよ。 本線の8両運転開始は空港従事者だけでも確実に需要が増えることから空港線開業に先駆けて行われたもので、
関空開業後に沿線を発展させていくとの長期計画に基づく段階的な環境整備。
ここには有料特急の営業基盤を構築していくことも含まれ、
四国号時代は閑古鳥が鳴いていた指定席を10000系サザン置き換えで上級移行を定着させ、
92年にはそのサザンの指定席を2→4両に倍増させて8両編成にと、
すべては関空開港に照準を合わせて進められていた。 1000新造時点では1003Fも南海線所属となる予定であったが、1000登場時に社長が交代し
その社長の鶴の一声で高野線に配属されることになったという逸話 それは泉北5000系の影響によるところ大。
初めてのオリジナル車があれだけ豪華仕様で出てきて92年頃から高野線に乗り入れてくる話になっていたので、
南海は負けてはならじと開発中の1000系の大幅な上級化を決意した。
御堂筋線なかもず開業後の逸走対策もあったし、高野線でも新CIの目玉をということで同時導入となったわけ。 >>100
つまり車体は史実1000幅広車的だけどシステムや台車等は史実の泉北7000的になっていたということ ないな。大容量GTO-VVVFは価格や磁歪音が課題とされていたものの
素子がIGBTに移行したのは90年代後半。
南海の発注規模では他社に先駆けて新しいものを入れるなどとても出来ない。
制御伝送も自動車のパワーウィンドウなどに採用されたもののまだ信頼性に問題があったしね。 50000系がGTOをIGBTに交換したのはなんでなん?
そして1000系、2000系はどうすんの? 近鉄の新型特急車が一列ごとの窓なのでヒゲ新やズームを彷彿する >>111
南海電車としてもインバータ制御車両は、大容量GTOサイリスタをつかったものから、汎用にちかい、新しいものが出てくる感触を、2000系を考えてるときに、持ってたんだよなあ。実際に、すこしずつ試験もはじまってたしね。泉北高速鉄道からも、新しい系式で制御伝送をつかうって話が、南海電車に伝わってきて、それも考えることになってさ。
インバータ制御をつかうために、旧運輸省から、補助金を出してもらえる制度が、そのころにもあったんだけど、大容量GTOサイリスタをつくるには、歩留まりが良くなくって、価格もけっこう高かったし。たくさんつくるのは、まだまだ難しい、って感じだった。
だから、21mの車体で4ドアの、インバータ制御の新しい通勤車両で、それを本格的につかって、つくりはじめるときは、空港線ができあがるときに、間にあえばいいってところだったんだ。そのすぐあと、ちょうど7000系の取り替えを、はじめるタイミングになるし、ちょうどよかったんだよね。
1000系の2次車をつくったときが、まさにそうするタイミングだったわけさ。それまでは、いろいろ試験をするためのインバータ制御の通勤車両は、9100系という試作編成を1つだけつくって、1000系の1次車にあたるぶんは、設計を変えた9000系を、増やしておくことで対応しよう、って考えられてた。
だけど、9100系を考えてるあいだに、泉北高速鉄道の5000系がつくられたとか、あと、大容量GTOサイリスタのまま、技術的に量産車両をつくっても、そんなに(南海電車的に)弊害はなさそう、っていう雰囲気になってきてたんだ。経営的に余裕が出てきてたのかな、取締役たちも、9100系をたくさんつくればいいんだよ、って感じになってきたし。
ってなわけで9100系は、1000系の1次車として、24両もつくられちゃって、必要があれば、設計を変更しながら"進化"させる、ってことになったんだ。 >>112
50000系は、インバータ制御の特急車両として、走行距離も長くなってたし、更新工事のタイミングだったからだよ。
2000系・1000系は、電子機器をつかった装置のオーバホール的なことを、本格的な更新工事までの修繕として、やってきてる。9000系の更新工事が終われば、つぎは2000系・1000系の順番だなあ。
>>106
ハハハ、キミをおもしろがらせるために、書き込んでるんじゃ、ないからねえ。 >>115
ここだけじゃなく、阪急スレでも相手にされてないのワロタ
リアルでも友達いないタイプ >>116
阪神でも実質論破されてるね
中身がないから致命傷 >>116
え?レスポンスされてんじゃん。
>>117
論破?どのように、論破されてるの? 泉北5000は登場時は南海に21mVVVF車がなかったことと、高野線の通勤車にECB車がなかったため線内専用だった
南海1000が登場したため泉北5000も難波に乗り入れるようになった >>122
南海電車では、電気指令式ブレーキのことを、"ECB"って呼んでないと思うよ、名古屋鉄道くらいじゃないかなあ。それが、理由ってわけじゃ、なかったしさ。
高野線だったら、1000系が使われるまえにも、9000系を、南海本線と千代田工場の回送で、走らせる必要があったし。
そして特急車両だけど、30000系が電気指令式ブレーキとして、運転されていたし。あのころは、高野線の特急電車に乗務する、選抜された運転士さんと車掌さんのコンビが、15組ほどあったかな。 三菱の電気指令式空気ブレーキにはMBSという名称が一応あるが、
日本エアブレーキ(ナブテスコ)のHRD-1のようなメーカー名称は殆ど使われず「電気指令ブレーキ」で通る。
最初に実用化した三菱電機製の大阪市交30/60系ではOEC-1(大阪電気指令1番)なんていうイタい名称つけていたけどな。 泉北5000は8連貫通という今までになかった特殊編成だったから南海としても慎重になったんだろうな
そういや8300が近車に姿を表したらしい、4連+2連かな? 泉北5000は登場時は日中以降は全て8連とする構想があったため8両固定になったとも言われているが 乗り入れに使うことは当然事前に決まっていたから南海2000系と同じ制御器を採用したわけだが、
最初の2年間は1本だけだったからな。
VVVFは抵抗制御とノッチ曲線が違うので運転士の講習も大掛かりになるし、
何しろ初物づくしなので検修も大変革。
南海としてはまず2000系でVVVFを習得し、
次いで泉北5000系の受け入れ、並行して1000系導入と段階を踏んだわけ。 そもそも泉北5000登場時は南海に泉北5000のような車両が無かったため91年は泉北も新造を見送り、>>97にもあるが南海1000の登場を待ってから泉北5000の増備車が登場した >>129
他人のフンドシで知ったか状態になってんで、それ楽しいんか? 8000登場時の計画では一般車は年10両廃車に対し8両新造ということになっていて、減らした分の一部は特急車の増備に充てるつもりだった模様 1003Fが納車時に本線仕様だったぐらい1000系の高野線導入決定は急だったので
泉北5000系の南海乗り入れに2年を要したのとは直接関係がない。
乗り入れ先で重大故障を起こすと困るから1本目は南海2000系と同型のVVVFを採用し、
乗務員講習や誘導障害対策を行いやすく。まずは線内運用で熟成を図ったんだな。
こうした環境が高野線では整えられていたことで急な1000系配備をスムーズに受け入れることができた。
新CIと新車群は川勝新社長が就任前から進めていた肝煎り企画だったし、
泉北準急の8両運転拡大には南海車の増車も必要で、
結局すべてのタイミングを92年夏に合わせてインパクトが最大になるようにしたわけさ。 >>131
言った分の十倍は返されてる件
理路整然としてる分、ササクッテロよりエグい 昭和天皇の写真を焼いて踏みつける!!!!のあいちトリエンナーレ
大村愛知県知事リコール
日本人でない人にこの気持ち分からないでしょうね? 8000の座席を8300同等のものに換装するという噂が過去スレにあったような
(同時にドア上のLEDがLCDに換装も) >>73
それを言ったら9000系旧塗装は埼京線にパクられたということになるが… >>135
基本的に南海は内装だけの更新はしない
ひこうりつだから足回り更新のついでにセットでやる >>132
元々9000増備の予定が変更となって登場したものだから当初は高野線への配置は想定してなかったんだろうな
10000新造中間車/11000は一般車が9000増備から1000に方針転換した際に、
こちらも本線高野線共用VVVFビジネス特急車(恐らく史実1000の車体を史実11000的なものに換装したようなもの)にする予定だったけど、
仕様が時期尚早だったから史実の形になったとも あと8300は高野線用は番台区分する案もあったのではないかな
1000と違い線区別にカスタマイズしてるので >>140
2000系が、南海本線でつかうようになったころから、されていることは、電子機器のオーバホールだけだったしなあ。1000系のほうは、インバウンドで外国人の利用者が、急に増えたことに対応するため、更新も兼ねて、接客関係の装置を新しくした、ってところでさ。電子機器のオーバホールもされてる、って話も聞くけど、2000系・1000系のどちらも、いわゆる更新工事ってものは、まだされてないよ。
>>145
「仕様が時期尚早だったから」っていうより、空港線が開通する準備、ちょうど、1000系の2次車をつくったときくらいに、「サザン」「りんかん」でつかうためのインバータ制御の特急車両も、つくることが考えられていて、いまみたいに、10000系・12000系のどちらともつかわれてる感じになるはず、だったんだよね。
それが、計画よりはやくなったために、"9100"系が基本になってしまうことや、7000系の取り替えが、まだまだ先のことになるし、高野線の乗務員の組合支部から、("H特急"の専用でつかう)特急車両も、30000系にちかいシステムにしてほしい、みたいなことも言われて、10000系の4次車と11000系、というカタチになっちゃってる。 1000系の高野線導入は本線と同時には急な話であったけど、
遅かれ早かれは入れるつもりだったから両線共通仕様で作られたのよ。
泉北5000系の計画時には乗客数が右肩上がりで和泉中央延伸も着工されていたし、
泉北準急が終日8両編成以上になると南海でも増車が必要。
高野線でも林間田園都市が本格稼働し始め、橋本までの複線化時にはズームカーの入れ替えとともに系統分離が模索されており大型車の新製増備は必須と考えられていた。
ところが91年には泉北ニュータウンの人口が減り始め、
高野線では宅地開発が続々と進んで金剛駅の混雑が酷くなり、
2000系と21000/2200系の協調性の悪さも問題になり
南海は急遽、2000系大量増備による17m車10連急行という愚策に出る。
沿線の環境変化に車両施策が追いつかなかった悲運の産物とはいえ、
2000系の5〜7次車44両は本来なら1000系で作られているべき車両だった。 というか2000は計画時から間接的には21000/1521/1201置き換え(22000を1521/1201置き換え用に転用)として64両の新造計画で、
21m車は当初方針通り9000増備のみで良かったような気がしてきたが… >>148
元々は2000は最終的には21000置き換えとなる4両8本だけで終了し、後は1000(史実とは異なる、主要機器は泉北7000的)をまず高野線に投入して22000を置き換えるつもりだったと推測 50000系は一番金がかかるところの台車が詫び台車で無料で新品になったので
もう少し長く使えるか更新でも流用できる算段 >>149
補足
2000登場時点では高野線に21m通勤車増備の想定は無し 2000系も2枚扉だから急行じゃ使い難いのであって
3枚扉ならそれほどでもなかったんじゃね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています