【こうや・6300】南海電鉄、車輌専用スレ25【8000】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
現役の車輌から過去の車輌までの語り合い、批評から、
外部データ・納入実績などを基にした次期車輌予想・自己車輌案、
果ては計算のケの字も無い妄想から、単なる脳内車輌まで、
飽きるまで語りつくそうと
※路線に関わる話をここで絶対にしないでください。
※地域叩きは禁止。あっても徹底無視でお願いします。
※AA禁止、相手に不必要に喧嘩を売ったり煽るような書き込みもNG
※いわゆる「統一論議」は一切禁止致します。見かけたら触らず荒らしとして扱うこと。
※会社そのものの話題は禁止。総合板でやってください。
※社員同士の収入がどうたら、人生相談などはスレ違いなので禁止。夢・独り言板やメンヘルサロン板・なんでもあり板でやってください。
※住人の合意なしでローカルルールを追加しても無効とします。
※こちらが本スレになります。
※前スレ
【9000・8300】南海電鉄、車輌専用スレ24【鋼索線新型】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1587341398/
【21000・6000】南海電鉄、車輌専用スレ25【8300】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1596542459/ あと関空用ハイデッカー特急車は9000/10000が登場した1985年頃の検討だったらしいが、要するにこの時点で空港線開業による車両新造計画は盛り込まれていたんではないかな >>77
2000が登場した段階では特急車の増備は南海線が10000、空港線がハイデッカー空港特急車、高野線が30000を前提としていたと思う
その後の方針変更で南海線/高野線共用VVVFビジネス特急車とそれをベースにしたVVVF空港特急車の予定だったろうが、
結局諸事情で史実の形(10000新造中間車/11000/50000)になったと思う (途中まで進めてた6200更新を途中で中止し、わざわざ更新予備として借りていた1004Fも返したことを考えると2015年の社長交代は色々車両計画の影響が大きかったのではないかと思われる) >>86
元々6200の更新は4連のみだったようだが >>87
旧8200更新完了から9000更新開始まで4年弱の間があったことを考えると当初は旧8200の次は6200の6連(6521Fも含む)を更新する予定だったが、
経年など色々判断した結果9000更新になったと思う >>91
ラピートは機器のみで車体は更新してないし一部は旧8200更新完了前の機器更新なんだが >>82
仮称9100試作/1000量産から史実1000へ計画変更されたためともあったが明確なソースは無し
>>83
2000計画前ならそうだったかもしれないが、2000計画時に21m車もVVVF車に移行することについては考えていた模様 >>57
当初は1050増備が考えられていたが困難と判断され、結果的に今の8000となった
その名残が8000の主電動機は1051Fと共通品であること 結果的に旧8200と9000は中途半端な存在になってしまったが とりあえず1000は新カラーデザインの決定を待ってからの設計、泉北5000は南海21m車にVVVF車が導入されるのを待ってからの増備車登場だった? 6000系と7000系を冷改時に抜本的に延命したことにより
80年代の南海は老朽化による取替対象が少なかった。
そもそも73年の昇圧で貴志川線以外は大幅な若返りを達成しており、
高野線は沿線の住宅開発による増車も一段落。
弘法大師入定1150年輸送を機にこうや号を30000系に置き換えるとか、
本線旧1000系が昇圧改造から年数が経ってきて2扉6連の使いにくさから
100周年を機にサザンへの置き換えが図られた程度だった。
結局、空港線開業に備えた増車が必要になる90年すぎまで4扉通勤車をコンスタントに新製する機会がないうちに
他社ではVVVFの導入が続々と始まり、
ステンレス車体も第2世代へ移行。
8200系と9000系は登場時期からして大量新製は望めなかった。 仮に旧塗装のままだったら>>82にもあるように9000をビード車体に変更の上で増備していた可能性があるけどね
91年の空白も、>>82や>>83が本当だったらこれで説明がつく 当初計画の21mVVVF車はVVVFに後のIGBTに当たる新素子を採用したり、制御伝送を採用するなど野心的な設計にすることが考えられていた模様… >>98
旧1000代替車計画時は一部指定席の6両固定編成にする案もあった模様だが、なるほどそういう事情があったのか 90〜91年時点では94年に開業する空港線分の増車をするにはまだ早い。
9000系を東武10000系のように途中から軽量ステンレスにマイナーチェンジすることも模索はされたであろうが、
その頃は早期に置き換えせねばならないほど状態の悪い車両が支線に少しいるだけだったし、
新車の技術トレンドは80年代後半からVVVFと軽量ステンレスに急速に移りつつあった。
そして平成のはじめはCIの刷新があらゆる業界でブーム。
南海が関空開港を機にイメージチェンジを行うのは経営上当然の状況だった。
川勝出身の縁で電通に新CIを発注したのが2000系が竣工した90年ごろ。
車両需給・技術・CIの三点のバランスを勘案して
92年製の新車でフルモデルチェンジして空港線開港に備えることにしたのが1000系。
構想や企画だけならどんな会社でも常に現場で何案も模索していることであり、
実際に経営判断されて現車が完成しないことには何の意味ももたんよ。 >>84
空港特急車両について、あれこれ考えられていたけど、計画として、具体的になったようなものは、なにもなかったし。
>>85
いやいや、ちがうちがう。2000系ができあがったとき、>>77で言ったような、状況だったんだよ。
>>86
>>88
社長の人事は、まったく関係ないよ。6200系の6両編成も、更新工事でインバータ制御にしていく、ってところだったんだけど、なにわ筋線の準備が考えられて、2030年までに、取り替えることになっちゃったから。
ところが、COVID-19の影響から、そこがまた、くつがえるかもしれない・・・ >>83
空港線のためじゃなくって、1000系の1次車のぶんだから、南海本線で、8両編成の運転を増やすために、考えられてたものだよ。
>>92
50000系の更新工事では、車体の修繕もやってるよ。 本線の8両運転開始は空港従事者だけでも確実に需要が増えることから空港線開業に先駆けて行われたもので、
関空開業後に沿線を発展させていくとの長期計画に基づく段階的な環境整備。
ここには有料特急の営業基盤を構築していくことも含まれ、
四国号時代は閑古鳥が鳴いていた指定席を10000系サザン置き換えで上級移行を定着させ、
92年にはそのサザンの指定席を2→4両に倍増させて8両編成にと、
すべては関空開港に照準を合わせて進められていた。 1000新造時点では1003Fも南海線所属となる予定であったが、1000登場時に社長が交代し
その社長の鶴の一声で高野線に配属されることになったという逸話 それは泉北5000系の影響によるところ大。
初めてのオリジナル車があれだけ豪華仕様で出てきて92年頃から高野線に乗り入れてくる話になっていたので、
南海は負けてはならじと開発中の1000系の大幅な上級化を決意した。
御堂筋線なかもず開業後の逸走対策もあったし、高野線でも新CIの目玉をということで同時導入となったわけ。 >>100
つまり車体は史実1000幅広車的だけどシステムや台車等は史実の泉北7000的になっていたということ ないな。大容量GTO-VVVFは価格や磁歪音が課題とされていたものの
素子がIGBTに移行したのは90年代後半。
南海の発注規模では他社に先駆けて新しいものを入れるなどとても出来ない。
制御伝送も自動車のパワーウィンドウなどに採用されたもののまだ信頼性に問題があったしね。 50000系がGTOをIGBTに交換したのはなんでなん?
そして1000系、2000系はどうすんの? 近鉄の新型特急車が一列ごとの窓なのでヒゲ新やズームを彷彿する >>111
南海電車としてもインバータ制御車両は、大容量GTOサイリスタをつかったものから、汎用にちかい、新しいものが出てくる感触を、2000系を考えてるときに、持ってたんだよなあ。実際に、すこしずつ試験もはじまってたしね。泉北高速鉄道からも、新しい系式で制御伝送をつかうって話が、南海電車に伝わってきて、それも考えることになってさ。
インバータ制御をつかうために、旧運輸省から、補助金を出してもらえる制度が、そのころにもあったんだけど、大容量GTOサイリスタをつくるには、歩留まりが良くなくって、価格もけっこう高かったし。たくさんつくるのは、まだまだ難しい、って感じだった。
だから、21mの車体で4ドアの、インバータ制御の新しい通勤車両で、それを本格的につかって、つくりはじめるときは、空港線ができあがるときに、間にあえばいいってところだったんだ。そのすぐあと、ちょうど7000系の取り替えを、はじめるタイミングになるし、ちょうどよかったんだよね。
1000系の2次車をつくったときが、まさにそうするタイミングだったわけさ。それまでは、いろいろ試験をするためのインバータ制御の通勤車両は、9100系という試作編成を1つだけつくって、1000系の1次車にあたるぶんは、設計を変えた9000系を、増やしておくことで対応しよう、って考えられてた。
だけど、9100系を考えてるあいだに、泉北高速鉄道の5000系がつくられたとか、あと、大容量GTOサイリスタのまま、技術的に量産車両をつくっても、そんなに(南海電車的に)弊害はなさそう、っていう雰囲気になってきてたんだ。経営的に余裕が出てきてたのかな、取締役たちも、9100系をたくさんつくればいいんだよ、って感じになってきたし。
ってなわけで9100系は、1000系の1次車として、24両もつくられちゃって、必要があれば、設計を変更しながら"進化"させる、ってことになったんだ。 >>112
50000系は、インバータ制御の特急車両として、走行距離も長くなってたし、更新工事のタイミングだったからだよ。
2000系・1000系は、電子機器をつかった装置のオーバホール的なことを、本格的な更新工事までの修繕として、やってきてる。9000系の更新工事が終われば、つぎは2000系・1000系の順番だなあ。
>>106
ハハハ、キミをおもしろがらせるために、書き込んでるんじゃ、ないからねえ。 >>115
ここだけじゃなく、阪急スレでも相手にされてないのワロタ
リアルでも友達いないタイプ >>116
阪神でも実質論破されてるね
中身がないから致命傷 >>116
え?レスポンスされてんじゃん。
>>117
論破?どのように、論破されてるの? 泉北5000は登場時は南海に21mVVVF車がなかったことと、高野線の通勤車にECB車がなかったため線内専用だった
南海1000が登場したため泉北5000も難波に乗り入れるようになった >>122
南海電車では、電気指令式ブレーキのことを、"ECB"って呼んでないと思うよ、名古屋鉄道くらいじゃないかなあ。それが、理由ってわけじゃ、なかったしさ。
高野線だったら、1000系が使われるまえにも、9000系を、南海本線と千代田工場の回送で、走らせる必要があったし。
そして特急車両だけど、30000系が電気指令式ブレーキとして、運転されていたし。あのころは、高野線の特急電車に乗務する、選抜された運転士さんと車掌さんのコンビが、15組ほどあったかな。 三菱の電気指令式空気ブレーキにはMBSという名称が一応あるが、
日本エアブレーキ(ナブテスコ)のHRD-1のようなメーカー名称は殆ど使われず「電気指令ブレーキ」で通る。
最初に実用化した三菱電機製の大阪市交30/60系ではOEC-1(大阪電気指令1番)なんていうイタい名称つけていたけどな。 泉北5000は8連貫通という今までになかった特殊編成だったから南海としても慎重になったんだろうな
そういや8300が近車に姿を表したらしい、4連+2連かな? 泉北5000は登場時は日中以降は全て8連とする構想があったため8両固定になったとも言われているが 乗り入れに使うことは当然事前に決まっていたから南海2000系と同じ制御器を採用したわけだが、
最初の2年間は1本だけだったからな。
VVVFは抵抗制御とノッチ曲線が違うので運転士の講習も大掛かりになるし、
何しろ初物づくしなので検修も大変革。
南海としてはまず2000系でVVVFを習得し、
次いで泉北5000系の受け入れ、並行して1000系導入と段階を踏んだわけ。 そもそも泉北5000登場時は南海に泉北5000のような車両が無かったため91年は泉北も新造を見送り、>>97にもあるが南海1000の登場を待ってから泉北5000の増備車が登場した >>129
他人のフンドシで知ったか状態になってんで、それ楽しいんか? 8000登場時の計画では一般車は年10両廃車に対し8両新造ということになっていて、減らした分の一部は特急車の増備に充てるつもりだった模様 1003Fが納車時に本線仕様だったぐらい1000系の高野線導入決定は急だったので
泉北5000系の南海乗り入れに2年を要したのとは直接関係がない。
乗り入れ先で重大故障を起こすと困るから1本目は南海2000系と同型のVVVFを採用し、
乗務員講習や誘導障害対策を行いやすく。まずは線内運用で熟成を図ったんだな。
こうした環境が高野線では整えられていたことで急な1000系配備をスムーズに受け入れることができた。
新CIと新車群は川勝新社長が就任前から進めていた肝煎り企画だったし、
泉北準急の8両運転拡大には南海車の増車も必要で、
結局すべてのタイミングを92年夏に合わせてインパクトが最大になるようにしたわけさ。 >>131
言った分の十倍は返されてる件
理路整然としてる分、ササクッテロよりエグい 昭和天皇の写真を焼いて踏みつける!!!!のあいちトリエンナーレ
大村愛知県知事リコール
日本人でない人にこの気持ち分からないでしょうね? 8000の座席を8300同等のものに換装するという噂が過去スレにあったような
(同時にドア上のLEDがLCDに換装も) >>73
それを言ったら9000系旧塗装は埼京線にパクられたということになるが… >>135
基本的に南海は内装だけの更新はしない
ひこうりつだから足回り更新のついでにセットでやる >>132
元々9000増備の予定が変更となって登場したものだから当初は高野線への配置は想定してなかったんだろうな
10000新造中間車/11000は一般車が9000増備から1000に方針転換した際に、
こちらも本線高野線共用VVVFビジネス特急車(恐らく史実1000の車体を史実11000的なものに換装したようなもの)にする予定だったけど、
仕様が時期尚早だったから史実の形になったとも あと8300は高野線用は番台区分する案もあったのではないかな
1000と違い線区別にカスタマイズしてるので >>140
2000系が、南海本線でつかうようになったころから、されていることは、電子機器のオーバホールだけだったしなあ。1000系のほうは、インバウンドで外国人の利用者が、急に増えたことに対応するため、更新も兼ねて、接客関係の装置を新しくした、ってところでさ。電子機器のオーバホールもされてる、って話も聞くけど、2000系・1000系のどちらも、いわゆる更新工事ってものは、まだされてないよ。
>>145
「仕様が時期尚早だったから」っていうより、空港線が開通する準備、ちょうど、1000系の2次車をつくったときくらいに、「サザン」「りんかん」でつかうためのインバータ制御の特急車両も、つくることが考えられていて、いまみたいに、10000系・12000系のどちらともつかわれてる感じになるはず、だったんだよね。
それが、計画よりはやくなったために、"9100"系が基本になってしまうことや、7000系の取り替えが、まだまだ先のことになるし、高野線の乗務員の組合支部から、("H特急"の専用でつかう)特急車両も、30000系にちかいシステムにしてほしい、みたいなことも言われて、10000系の4次車と11000系、というカタチになっちゃってる。 1000系の高野線導入は本線と同時には急な話であったけど、
遅かれ早かれは入れるつもりだったから両線共通仕様で作られたのよ。
泉北5000系の計画時には乗客数が右肩上がりで和泉中央延伸も着工されていたし、
泉北準急が終日8両編成以上になると南海でも増車が必要。
高野線でも林間田園都市が本格稼働し始め、橋本までの複線化時にはズームカーの入れ替えとともに系統分離が模索されており大型車の新製増備は必須と考えられていた。
ところが91年には泉北ニュータウンの人口が減り始め、
高野線では宅地開発が続々と進んで金剛駅の混雑が酷くなり、
2000系と21000/2200系の協調性の悪さも問題になり
南海は急遽、2000系大量増備による17m車10連急行という愚策に出る。
沿線の環境変化に車両施策が追いつかなかった悲運の産物とはいえ、
2000系の5〜7次車44両は本来なら1000系で作られているべき車両だった。 というか2000は計画時から間接的には21000/1521/1201置き換え(22000を1521/1201置き換え用に転用)として64両の新造計画で、
21m車は当初方針通り9000増備のみで良かったような気がしてきたが… >>148
元々は2000は最終的には21000置き換えとなる4両8本だけで終了し、後は1000(史実とは異なる、主要機器は泉北7000的)をまず高野線に投入して22000を置き換えるつもりだったと推測 50000系は一番金がかかるところの台車が詫び台車で無料で新品になったので
もう少し長く使えるか更新でも流用できる算段 >>149
補足
2000登場時点では高野線に21m通勤車増備の想定は無し 2000系も2枚扉だから急行じゃ使い難いのであって
3枚扉ならそれほどでもなかったんじゃね? >>132
泉北高速鉄道の5000系が、南海電車の2000系と「同型」のインバータ制御装置をつかった?そういうことでも、ないんだよなあ。
んー・・・いくらオリジナルの設計ったって、これまでの100系・3000系とおなじ、日立製作所のものをつかったほうが、サポートの面で安心だし、大容量GTOサイリスタのときだったら、インバータ制御装置の中身も(三菱電機・東芝をとわず)、それほどちがいがなかったしなあ。
制御をするソフトが、南海電車の2000系と泉北高速鉄道の5000系で、ちがうところもおおかったし、5000系は、制御伝送で指令していたし、南海電車に乗り入れる手続き的には、"おなじメーカの、似たものをつかった"、ってメリットは、そこまでなかったよ。
>>148
勘違いしちゃいけないよ、「2000系と21000/2200系の協調性の悪さも問題に」、ぜーんぜんなってないから。
「2200系の編成が、中途半端に3つも残っちゃうと、せっかくの2000系がもつ性能を、引き出すことができない」っていう、2200系を追いだすための口実が、勘違いされて伝わっただけだし。
2ドアかつ17mの車体の車両を、いくら10両編成にしても、ラッシュタイムのいちばん混雑するときに、つかっちゃう状況になったことが、問題だったんだよ。
>>149
>>152
いやいや、高野線の複線化の工事が、できあがるのにあわせて、22000系の取り替えのぶんを、4ドアで21mの車体のいわゆる"S車"として、新しくつくっていくつもりだったし。>>150と、思いっきり矛盾してんじゃん。 >>153
そういうものを考えるくらいなら、橋本で乗り換えてもらって、4ドアかつ21mの車体の系式を走らせる、ってのが、南海電車の考えかただから。 >>154
公式に認められてること否定するなら、ソースだしな >>156
公式?そんなこと、どこに書いてあるの? >>157
実際、故障頻発、遅延連発で黒歴史だったのは当時利用してた人は誰もが知ってる話 >>158
ハハハ、それでさ、「公式」って?どこに、書いてあるんだい?"Z車"がラッシュタイムに、遅れを出していたのは、連結していたから、じゃないし。 >>159
だから、それを証明すればって事よ
リアルに体感してる人間いる限りは覆せないよ >>160
>>161
ハハハ、なに言ってるの?キミは>>156で、「公式に認められてること」って書いたじゃん、キミの挙証責任として、とても重いよ。 21000系が古くなっているので、故障が多くって、なんば駅に常駐してる検車の係員さんとか、現場が苦労してた、ってのはあったね。だから2000系へ、取り替えが進んでた、ってわけでさ。 17m車に3扉ってのは、山線の急曲線ホームで中扉の車両との隙間が過大になりすぎるので無理。 むしろ2000は5〜7次車ではなく2連車が本来は21m車の予定が変更になったものだと思う
2000は元々は4連車しか製造しない予定だったが、計画変更と共に2連車も製造された 2連で建造するか4連で建造するかは移行期の増結車をどう運用するかの違いでしかない。
結局、96年に橋本複線化や小原田検車区が完成しても、橋本での系統分離は05年白紙改正からと10年近くを要したわけだし、
その間に沿線全体で乗客減が始まり、橋本以南は2両ワンマン化が必要になって2300系を新製。
結果論でいえば2000系は史実64両に対して20両程度で良かったわけだが、
高野山直通が速達種別という長年の伝統を切り替えるのに時間を要し、
大局的な車両の世代交代が出来なかったということ。 >>145
>>149
補足
2000登場段階ではGTO-VVVFの計画は2000と幻の6000改造車のみで、南海線に新車が必要な局面はしばらく9000増備の方針だった模様 >>114
>>147
9100は方針変更当初の仮称で、当時の図面にも9100と書かれているものもあった模様だが、
結果的には新塗装化後最初の新形式車ということで1000になった
但し旧方針でも21mVVVF車(IGBT-VVVF/制御伝送採用前提)は形式を1000とする前提ではあった模様 >>154
同じ日立製のGTO-VVVFだが、
南海2000のVVVFが1C8MのVF-HR-125(4500V・2500A)で、
泉北5000のVVVFが1C4MのVF-HR-130(4500V・2000A)だから互換性はない
単に筐体の形状が同じなだけ >>166
つまり2000の存在価値無ということだな
21000を引退させて1000をもう少し多くつくって
22000だけにして山に籠らせる
22000を2300で置き換える
これが答えだったな
つまり2000の存在価値無 サザンの座席指定車は2+2で臨機応変に増解結したらどうだろう >>170
流れ的に2000系は、必要な車両だったとは思うけど、いまの半分くらいの両数で、よかったよねえ。
>>171
むかしは、そういう状態でつかわれていたけど、4両編成にされてから、30年ちかくなるし、10年まえにつくられた12000系だって、おなじ内容の編成で、つくられてるわけさ。
南海電車としては、そのほうが、つかいやすいんだよね。 12000を3両に減車して先頭車を4両造れば12000の3両編成が計4編成できる 基本の編成として、3両もつくれるようにする、って考えかたは、8000系・12000系だけで、終わっちゃったからなあ。 1000が設計開始当時の仮称のまま9100を名乗っていたら史実の8000が1000を名乗っていた可能性
そもそも8000建造は例外的なものだが >>102
>>132
とりあえず
新塗装化試験(千代田入場中の6000/7100/10000の計3両を用いて実施)…91年8月
1000図面開示(=設計完了?)…91年10月
1000/11000と新塗装化計画の発表…92年1月
川勝新社長就任…92年5月
の模様 >>172
2000系は以前にもそういう話題があったな
3ドアにすりゃ良かったとか、我慢すりゃ良かったとか 昔のことをあれこれ言っても仕方ない
今後は8300系・12000系を増備して
2023年度迄に10000系・11000系を
2025年度迄に6000系・7100系を
2030年度迄に2200系・3000系・6100系を
全て置き換えてほしい
新規設計なんてやってる場合ではない
同一車種を作り続けることで
余計なコストをかけず置き換えを進めてほしい
ただし8300系増備車については
SiC又はPMSM又はその両方のいずれかと
グラスコックピットを採用して
最新鋭の機器にしたほうが省エネ化できて良いと思う
逆に言えばそのためにゼロから設計し直す必要は無い
まずはその手始めとして
12000系を増備して
サザン指定席と泉北ライナーを
全て12000系に置き換えてほしい
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e3/Nankai_8300Series_8352F.jpg/800px-Nankai_8300Series_8352F.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a1/Nankai_12102_at_Shin-Imamiya_Station.JPG/800px-Nankai_12102_at_Shin-Imamiya_Station.JPG 12000は元々3本しか計画されていなかったしそもそも10000置き換えのためではなかった >>179
是非ともそうしていただきたい
>>180
仮にそれが事実ならば計画変更でこれから12000系を増備して
10000系・11000系を全て12000系に置き換えてほしい 12000は元々南海線の特急を全て一部指定にするための指定席車増備
しかし指定席車の編成数がそのままで一部指定に統一できることが判明したため止むを得ず10000が2本余剰廃車になったものと推測する ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています