>東日本で西日本207のようなVVVF通勤車の登場がその後になったのは、
よほど207-900のコストが高すぎたことに懲りていたんだろうな

走ルンですのコンセプトを実現する(減価償却期間の13年できっちり捨てても従来車両と同等の収益性が実現できる)
ステンレス2シート工法の開発や、車両製造を分担する東急車輌と川重のすり合わせに時間が掛かったからだよ。
西日本207系の車体構造は205系・211/213系までと大差なかったからその分早くできただけ。
といってもせいぜい2年程度のリードでしかない。

>要するに207量産先行車を登場させた当時の西日本は尖っていた
一見尖ってるように見えて、
外見も内装も関西私鉄のパクリ(阪急8000系と近鉄7000系と南海2000系あたりをチャンポンにした)車両でしかない。
要するに後の社長、会長となった当時の井手正敬副社長が抱えるコンプレックスを表現したような車両。
(皮肉にもその車両が起こした事故で会長を退任することになるが・・・)技術面では209系の方がよっぽど尖ってたよ。

>(東日本103も東日本初期の頃は更新工事してたのでその時点ではまだまだ使うつもりだったかもしれないが、
火を噴いたために方針転換し早々に消滅となった

大規模なコストダウンを図った209系が成功したのと、駅ナカ・ガーラ湯沢・通勤新幹線など新たな収益源を掘り当てたからだよ。
103系の故障は急遽209系500番台(当時の次期車両=E231系の開発が途上だったから
その車体に209系の機器を載せた)を投入した副次的理由に過ぎない。