>>814
阪神大震災まで阪急において8010が、3000・3100・5000まで置き換えることは考えられてた。

阪神大震災まで西日本においては>>813で書いたように、103の置き換えがままならない状況だったから、103体質改善40N試作を計画するしかなかったんだよ。
震災によって焼け太りしたから、207は2000番台まで増やせたし、国鉄型の体質改善も30Nにできて、新車へ置き換える環境が整っていったわけ。

大手私鉄と西日本では、震災が及ぼした影響が真逆になってしまったことを覚えておこう。

>>815
旧阪急の株主が総会で、コイルバネ台車のことを騒いだとかないし。
阪急の旧車両部が管理上で、そういう技術仕様で世代分けをしてたことは事実。

阪神大震災のあと7年間も新造ができなくって、9300から復活させるんだけど、通勤車や神戸線・宝塚線向けの目処がたたなかった。
5000のリフレッシュ工事すら、3300と同じレベルの車体更新工事で済ませる話がしょっちゅう出てたくらいでさ。
それでもそうこうしてるうちに、予算配分とかを工夫すれば神戸線・宝塚線にも新車を復活できるんじゃないかって雰囲気になってきたわけ。

そこで9300をベースに、神戸線・宝塚線用通勤車の仕様へ改めて造ったのが9000。
3100は足が遅かったし、3000とかを含めて傷んできてたから、株主に言われなくっても置き換えを急いだんだよ。
1010・1300・2800・2300だって空気バネ台車のものも置き換えてたからね。