阪神大震災のあと、甲南山手が開業するとか、請願駅・西日本主導も含めて新駅計画が次々と出されたり、T電のスピードアップ構想があったりとか、C電の性能面で基本を207とする前提というか、期待した話になっていたよ。

西日本が阪神大震災で勢いづいて、京阪神で競合する大手私鉄をさらに引き離すため、血眼になってたころだね。
207-1000もはじめの計画より多く造れてたし、223-2000につづき、勢いで207-2000の新造も準備しはじめてた。
それでも201・205の分を置き換えることすら、近郊形優先で予算的に微妙だったから、205を譲り受ける話すら出てきたわけでさ。

どちらかといえばC電は、スピードアップより地下線へ直通できる通勤形でそろえたかったという感じだし、その性能の余力を京阪神の競争力向上に使いたかったってところ。
207もギア比とモーターの回転数的に、そこまで高速が得意というわけでもないし。

尼崎の脱酸事故の前に321として、コストと新機軸の両立をなんとかした物がまとまって、自力で新造していくメドを立てたけど。