我々は滋賀作が何故このようなスレッドを立てたのかという疑問を解決するため、滋賀作の故郷であるという久○市に向かった。
「まだ日本にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。

小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、
そして彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
高度成長だの、神武景気だの、オリンピックだので浮かれていた我々は改めて久○市の現状を噛み締めていた。

ボロ屑のような家に居たのは、老いた母親一人。我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに
「滋賀作が申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。

我々はこの時初めて滋賀作を許そうと思った。誰が悪い訳ではない、久○市の貧しさが全て悪かったのだ。

我々は滋賀作の母親から貰った塩あんびんを手に、打ちひしがれながら東京へと帰路についたのだった。