“これまでも要望活動は続けてきた。だが、今年は明らかに潮目が変わった―”

8月30日、四国4県の知事の姿は東京・霞が関にありました。首相官邸、財務省、国土交通省での「四国新幹線」の実現に向けた要望活動を終えた中村時広・愛媛県知事は、こう力を込めます。

「初めて四国4県の意見が一致した。機は熟した」

今年は1973年に四国新幹線が国の基本計画となって50年目の節目を迎えました。それはつまり、四国新幹線は”50年もの間、基本計画どまり”だったことを意味します。

こうした中、様々な理由から、半世紀にわたって“一時停止”していた四国新幹線が動きだそうとしています。

松山から東京まで3時間、新大阪まで1時間半という、交流人口を激変させる切り札の四国新幹線。一方で、ネットの言論空間も含めて巷間にあふれるのは導入に否定的な意見も含めた賛否の声。四国新幹線の現在地を考えます。
(県政担当・植田竜一)

「夢は実現可能な夢でないといけない。今のままでは四国新幹線は徳島駅で一時停止しているみたいだ」(後藤田正純・徳島県知事)

なぜ、“機は熟した” “潮目が変わった”のでしょうか。

1つは新たに徳島県知事に就任した後藤田氏の意向です。これまで四国4県の中で四国新幹線の整備ルートについて意見に相違がありました。徳島県は淡路島を通る「淡路ルート」を、愛媛県、香川県、高知県は瀬戸大橋を通る「岡山ルート」での実現を求めていました。

しかし、今年新たに徳島県知事に就任した後藤田氏は、“「岡山ルート」でも了”とする意向を表明。基本計画から50年でついに四国4県の意見が一致したのです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f4447df7ea82680e767887e72615b5ba8636a2d2