二之湯の演説では、米原も亀岡も舞鶴も綾部も福知山も検討の余地があるとのこと。
ただし京都市内を通るのは不可。工費や補償の負担に京都が耐えられない。
結局50年前の田中角栄の「北京都」に戻った。