それが理想ではあるのでしょうが
あまりにも政権や一般の人々が所謂刹那主義という加余裕がないという加
議論の前提や下地がないように思います
學校の勉強では足りないということでありましょう
確かに過去の戦争の勝ち負けやそれに伴う条約や地政学的な対立と
それにともなう民族、宗教、政治軍事同盟や軍拡や紛争や局地的な戦争が繰り替えされました
それをイメージ出来ての改憲のありかたになるでしょう
それがないと憲法へ込める言葉の意味が180度かわってしまうてあろう、と予想されるからであります