8.33代女帝推古天皇の御代隋国より素晴らく豊かな国に成るには独立することだ。
 と天皇は考え、当時天才の名をほしいままにしていた聖徳太子を摂政にしてチャイナより素晴らしい
国に大和国=倭国をしなさい。
 そのためにはチャイナ隋国の属国ではなく独立国となりなさいと命じて政治を委託した。
 聖徳太子は、1.和国を統一し、2.冠位12階を定め、3.17条憲法を制定して隋朝煬帝にかの有名な、
 日の出所の天子から、日の没する所の天子へ国書を使わします。 お元気でしたか。
日本は、貴国に勝るとも劣らない国家に整えましたので今後は、対等におつきあいしましょう。
 と独立宣言の国書を届けた。
 すると煬帝は烈火のごとく怒ったが、朝鮮討伐遠征の前に日本を敵にする愚かさに直ぐに気づき
冷静に成り、随朝から日本に返礼の使者を使わした。
 これにより、日本は平和的にチャイナ隋国の属国から独立をすることに成ったのです。
平和的に独立した日本です。 めでたし、めでたし。
 天孫降臨も話し合いで国譲りが成立し、随朝からの独立も国書で独立宣言し皇帝煬帝が認め
返礼の使者を日本に使わしたのです。