>>645
ふむ、語るに落ちるとはこのことか。

君は「主観的内面に対して事実や現実を述べた一例」に対して
それが主観的内面に対して事実や現実を述べる行為自体が「須く」愚かであることではなく、
「行為後の評価に行為前の事象を持ち出すのは反論になってないから」愚かだと述べるに留まった。
つまり君は主観的内面に事実や現実を示す汎的な愚かさを全く示せていない。

さらに言えば、君のその反論は「行為の瞬間に人格が変わるわけではない」
「同一の人間が事件を起こしたなら、加害者の人格を多面的に理解する必要があるのでは」等々の
様々な反論の余地を残している。
君がその反論を受け入れるか、再反論するかはさておいても
「いや生物種的にはヒトっすよ」という完全にどうしようもない的外れとはレベルが違う。

また、君は新たに「同じ人間だと思いたくない」という文を引き合いに出したが
これも「生物種的に同種と思いたくない」ではなく「人間がこうも人間性を失いえるとは思いたくない」の意だ。
試しに、同じく主観的内面に事実や現実を述べる例として
猟奇殺人者と彼らの幼少期の家庭環境や虐待の有無の関連性を述べるのを想像するといい。
君は「やはり愚かだ」と言うかも知れんが、↑同様に
それと「実際には生物種的には彼らもヒトですよ」と述べる愚かさとは別物だと分かるだろう。

そもそも、君の反論は言わば、
俺の「『国民統合の象徴』って言ったら憲法1条のアレだろ」という意見を
主観的内面と見なした上で、君なりの事実や現実をぶつけていることそのものだろう。

なら、君がもし「やはり主観的内面に事実や現実を述べるのは愚かなんだ!」と確信してるなら
君のやるべきは、俺の主観的内面(だと君が思っているもの)を変えるべく長文を打つことではなく
ブラウザをそっと閉じて、外で深呼吸して、朝のジョギングでもして心身の健康を保つことだ。
そうだろう?