設問1:憲法では天皇は日本の象徴として定められている。イエスか、ノーか?
設問2:あなたの個人的な主観では、天皇は日本にとって象徴的な存在と言えるか? イエスかノーか?
設問3:あなたにとって、日本の象徴は何か? (自由回答、複数可)

設問1に対する正解は当然、「イエス」です。これに関しては議論の余地はないでしょう。

では、設問2や設問3の対する正解は?
正解なんか、ありませんよね。個人的に何を何の象徴だと考えるかは、100%完全に、個人の自由なのです。

「憲法の記述を抜きにして考えたとき、天皇は日本の象徴だと思いますか?」と聞かれたときに、
「はい」と答えるのも「いいえ」と答えるのも100%完全に、個人の自由なのです。
「いいえ」と答えたからといって、誰に非難される筋合いもないのです。

「憲法の記述を抜きにして」という前提のこの質問に「いいえ」と答えた人に対して、
「いや、憲法では天皇は・・・・・・」などという方面からイチャモンつけるのは、愚かな電波ちゃん♪


要するに、個人的な主観として、天皇が日本にとって象徴的な存在だと思えるかどうか、
そんなのは100%完全に、個人の自由なのです。
個人的な主観として、何が日本の象徴として相応しいと考えるかも、100%完全に個人の自由なのです。
天皇に関して日本にとって象徴的な存在だと思えないからと非難される筋合いはまったくなく、
そう思わなければいけないという客観的必然性もまったくないわけです。

誰かさんが執拗に粘着してギャーゴギャーゴと喚いているのは、
「以上のような自由な主観を他人に述べるときに、どのように言葉を選ぶべきか」という極めて表面的な部分に対して、
「俺様は国語の教師!」と言わんばかりに、「俺様が正しいと思う表現」を押し付けているだけなのです。
「俺様は模範的な国語力の持ち主」という、何の根拠もない思い上がりとカン違いに基づく粘着なのです。