「日本に於て父子の正しき關係を孝と謂ひ、君臣の正しき關係を忠と謂ひ、忠孝一本と謂はれる所以は實に叙上の理由による。
即ち忠孝とは君父に於て自らの生命の本原を認めること、一層詳かに云へば、孝とは兄弟子女が各自の少我を超脱して、
一家一門の生命の本原に歸一すること、忠とは國家個々の私を去りて、國家の生命の本原に歸一することである。
この意味に於て、日本は徹底して君民一體の國家である。
君民一體の實なき時、日本國家は其の本來の面目を蔽はれたものである。
 而も日本は建國以來屡君民一體の實を離れた。
而して離れる度毎に皇室を中心として、復古則ち維新が繰返されて來た。
君民一體の實を妨ぐる者は如何なる例外もなしに
皇室と國民との閧ノ介在して、特權を壟斷する少數豪族である。
上代に於ては蘇我氏、中世に於ては藤原氏、次で中世より近世に亙りて武士階級が土地及び人民の支配權を實際に掌握することによつて、
日本國家の本來の面目から遠ざからしめた。
中大兄皇子が蘇我氏を倒したのも、御三條天皇が藤原氏を抑へむとしたのも、後白河天皇が平氏を亡ぼしたのも、
後醍醐天皇が北條氏を倒したのも、而して維新の志士が
明治天皇を奉じてコ川氏を倒したのも、
總じて是日本をして、建國の根本拐~に立歸らしめ、以て君民一體の實をu濃かならしめむが爲に外ならなかつた。
天皇と國民との閧ノありて、其の正しき關係を阻隔する者の存在を許さゞることは實に
皇室ありて、以來一貫して易るところなき大御心であり、不幸にして是の如き者の出現したる場合は
竟に之を倒さずば止まざりしことは大化改新以來の國策である。」

大川周明「維新日本の建設」昭和二年一月「月刊日本」第二十二號