反論の余地があるかどうかはともかくとして、廃止論者はそれなりに主張をできているわけです。
感情的に納得するかどうかは人それぞれが決めることであり、廃止論者の知識や頭の回転とは無関係。

「現在、廃止論者は少数」という、“ 自分の努力や知識や論理性とは無関係に ” すでに存在する事実を背景にすれば
「国民感情を動かせてねーだろ」と言って相手を見下すことはじつに簡単なわけです。
“自分の努力や知識や論理性とは無関係に ” すでに存在しているお立ち台の上から見下ろすことはじつに簡単なわけです。

「廃止論者はちゃんと主張できてない」と言って見下そうとしたのにそのアテが外れたものだから、
急遽、“ 自分の努力や知識や論理性とは無関係に ” すでに存在しているお立ち台を持ってきて
その上に立って廃止論者を見下すというやり方に変更したのです。
それが「税金が節約できることをもって、 国民が感情が大きく変わることを論じてみろ」なわけですね。

早い話が、「オレ様がやりやすい、オレ様のやり方に合わせて論じろ」というワガママなわけです。
哲学なんかやってますが、やってることはお子ちゃま、精神年齢はお子ちゃまなわけですね。