>>766
って、あれれ? ま〜た藁人形叩きに移行してら。

   「多くの人が選択してるから正しいだろう」で思考停止する藁人形を叩いて
   「多くの人が選択してるからあちらが一見正しそうだが、さて?」と自分で考えてる人々を叩いたつもり。

まさにコレこそ藁人形論法。
まさにコレこそ真のストローマン。
何回言えば分かるんだろうね?

災害現場は良い例だわな。

「大火事に遭いました。
 皆が一定の方向に逃げてます。
 では、それを参考として自分の逃げる方向を決定するのと
 それを全く参考にしないで自分の逃げる方向を発想するのと
 どちらが生存率が高いでしょーか?
 なお「私」は特別な知識(建物の設計図や火災の発生箇所等)を得ていないものとします」

そりゃ大勢が間違ってる可能性もある。
しかし、個人が間違える可能性と大勢が連続して間違える可能性、どっちが高い?
まして大勢の決定を参考としない個人と、参考とする個人、同じ頭の使いようなら、どちらが助かりやすい?

集団であれば、たまたま火災の発生箇所を見てた人が居るかも知れない。
たまたま非常階段の位置を憶えてた人が居るかも知れない。
(鉄火場で、真っ先に行動するのは、結構そういう人たちだしね)
それらを参考とする人たちが集団を形成して、さて、
その集団を参考とする者と、参考としない者、どちらが助かりやすい?

ぶっちゃけ、思考停止して従っていて「すら」、生存率は前者の方が高そうよ?